ひとりごと①〜③に関連した記事です。



中学時代は特別夢中になるようなことも無く、淡々と通学していた。


施設や学校から何度逃げ出したかったか…逃げたとしても直ぐに捕まるし、その後の生活の方が辛い。

だから我慢した。我慢することには慣れてるし。なんて事はない。

でも…我慢できたのは、大好きな彼がいたから。

中学一年の頃、お付き合いしていた彼は二つ年上で少しヤンチャ。勉強は全く出来なかった(しなかった)けど、スポーツの才能はズバ抜けていた。

顔立ちも良いから目立つ存在。

本当に、私には勿体ないくらい。

私の唯一の心の支えだった。

彼は中学を卒業し、スポーツ特待で高校へ進学した。 

彼の夢を心から応援していた。

でも…何だかとても寂しかった。

彼が卒業したあとの学校生活は退屈で、何もやる気が無かった。

ボーッとして、「変わった人」「不思議な人」扱い。


彼がいない学校もつまらないし、施設は大舎制で人が多く、どこに居ても監視されてる感覚で息が詰まる。

部屋は6畳部屋で4人〜5人のタコ部屋状態。

ホッとひと息する間もない。


彼とは、ずっと手紙のやり取りをしていた。

今見返すと、赤面するほどの熱いラブレター。

その手紙を施設の子たちに勝手に見られた。

面白がって、揶揄われた。

「なんなのコイツら?人の物を漁って、人の手紙を勝手に見ることが悪いと思ってないのか?」

怒りよりも、驚き。

その手紙は施設の先生にまで回され、

彼との交際を反対された。

表向きは冷静にしていたけど、ただただ悲しかった。

ますます人を信用できなくなった。



「夢を見てはいけない」「夢はあきらめるもの」

高校進学する為の志望校を考える時期、夢も希望も無いし、受験は100%確実に合格する高校を選んだ。

滑り止め受験は無し。

当時、公立高校への進学を志望する際、万が一合格できなかった場合に備えて、私立高校を受験するのはごく普通のことだった。

私の育った施設では、高校受験は公立一本のみ。

私立を志望することは勿論、受験ができなかった。

泣いても笑っても一発勝負。

高校受験に落ちたら施設を退所し、自立しなくてはならない。

だけど…正直なところ、施設を出て自由になりたい気持ちもある。

落ちようと思えば簡単なこと。 

受験日直前まで気持ちが揺れ動いていた。




義務教育中と比べ、高校生活は自由に過ごすことができた。

自由といっても施設という集団生活なので、家庭に比べて制限があるのは致し方ない。

しかし、他の施設から比べると、自由な生活ができていた方だと思う。

さらに自由を求め、高校退学を考えるようになった。

高2の2学期 何度目かの停学の時、私の退学に関する会議が学校で開催された。

多数が退学に賛成したらしいが、

その時、反対したのは1年の時の担任だったそう。後になって、別の先生から聞いた。

そこから私は少しずつ変わった。 

「高校生活、最後まで頑張ってみようかな…」と。




子ども時代の施設生活は楽しいこともたくさんあったが、特に中学時代は、こっぴどく叱られたり、外出禁止令が出たり、体罰があったり、制限も多くて厳しかったので、反抗心は強くなるばかりだった。

打って変わって高校時代は、何かと自由にさせてもらったような気がする。


そんなこんなの思春期…

高校生活もあと1年、施設での生活も終盤。

自立に向けての準備が始まった。