①②③の続き
スペイン生まれの画家ピカソが
『ゲルニカ』を描いた経緯は
↓
当時、パリ在住のピカソは
1937年に
パリで行われるパリ万博で🇫🇷
スペイン館の壁画を依頼されました。
スペイン共和国政府からの
その依頼を受けたピカソの元に
それから少しして起きた
スペインの街、ゲルニカが
ドイツ軍によって無差別空爆され
街が全滅し
ゲルニカの一般市民が
沢山、命を失うという
悲惨なニュースが届きました。
ピカソは
それまで構想していたテーマを一新し
1937年4月26日に起きた
そのゲルニカの悲劇を
戦争の悲惨さ、人間の残忍性、
そして反戦を主張する作品として
描くことにしたのでした。
その本は
上下、2冊に分かれていて
大変、分厚い本でしたが
一緒に映画を観た友人が
私が「貸して!」って言ってないのに
「読んだほうがいいから
貸してあげるね!」って
貸してくれたので♪
その友人と私は
ピカソのことやピカソ芸術には
とんと疎いのに
ピカソの愛人達のことについては
謎にとても詳しくなったのでした!
ちなみに
唯一、ピカソに
破滅させられなかった女性、
フランソラーズ・ジローは
ティファニーのデザイナーでもあった
パロマ・ピカソの
お母様なのだとか
なので
映画と本に触れた私は
その友人とお茶などすると
当時
よくピカソの悪口三昧を
カフェ等でしていました
「どうしてあんなことするのかしら?
ピカソって、ク○よね」
「なんで
ピカソなんか好きなのかしら?」
「あんな男の
別の愛人なんかと喧嘩するに値する??」
「ピカソの絵なんか
もう観たくなくなったわ」
とかとか。
今思えば、単に
怒りの投影ですが🤭
制作途中の『ゲルニカ』の前で
取っ組み合いの喧嘩をした
ドラ・マールは
自分は知的で聡明な女性なのに
なぜ知性のカケラもない
マリー・テレーズが
しゃしゃり出てくるのかに
とても腹を立てて
ピカソを取られないよう
ピカソを巡って
喧嘩したのだそうですが
喧嘩した時点で
もうすでに対戦相手とは
同周波だし
もともと、同周波であることに気付けない時点で
知性とは何か
聡明さとか何かを
自問した方が賢明であったと
私はつくづく思います。
しかも、ピカソ作品の『泣く女』として
あんなガチャガチャな描き方で
永遠に世界に残ってしまうなんて
私だったら
絶対、いたたまれないと思います
ピカソは
というより、ピカソのように
複数人の愛人を持つ人間て
きっとその女性からしたら
ものすごく魅力的な何かがあって
きっと
「私のことを
誰より何より愛してるんだわ!
この人は!」
って
なぜか、そうすっかり信じ込んでいるから
別の愛人と戦ってしまうのだと
私は思うに至る なう。
つまり
「私が絶対的1番なのに
何を勘違いしてるのかしら?この女は!
その勘違いを教えてあげなければ!」
って
悪気なく、そう思い込んでるから
戦えるんだと思います
どうかしら?違うかしら?
だって、自分以外にも愛人がいて
そんな男の愛人なんかと
真剣に戦うなんて
自分がみっともなさ過ぎだし
自分の時間と労力も
鬼勿体無さ過ぎなのに
と、まあ、私は
ピカソの愛人問題になると
映画を観てから
30年弱が経つのに
今もこうして
途端に謎の文句が
無限大に
口を突いて出てくるのでした💨
ピカソって最○!
なので私は
頭の中の妄想劇として
もしも合コンに
「ピカソとゴッホが来たら
どちらがマ○かしら🤔」
を
たまに、真剣に考える派
魅力まみれの、でも、絶対、いいことないピカソと
暗くてストーカー気質の
○乏なゴッホ
どっちもどっちよね
そして
その問いを考える度に
私は
未だに
答えが出ないまま生きていて
そして
いくら探しても
『サバイビング・ピカソ』の
映画も本もなくて
アマゾン プライムに申し込んだら
観られるのかしら
でも、観るとまた
私って
イライラ
怒り心頭になるから
当分、止めておくわ
fin