つい先日
私は、急に
永遠の妖精🧚
オードリー・ヘップバーン
の
デビュー作
『ローマの休日』
が、観たくなって💗
こうした“ふとした衝動&欲求”は
ガチな直感だから
せっかくの
宇宙からのダイレクトなお達しを
(=それをするといいですよ
という、宇宙と繋がっている
自分自“神”からのメッセージ)
見す見す逃しては勿体無い!と思い
私は💗
持っていた290円のDVDで
すぐに観たら
それがなんと
とっても素敵な
運の月🌜🌛(本当は“尽き”ですが)
となり
その日以来、私は
ソファの前に座れば
『ローマの休日』か
今、私が夢中になっている
画家のゴッホに関する映像三昧な日々
右 ⇒既に所有していたDVD📀
特典映像なし
左 ⇒これを機に新たに購入した
綺麗な画像&特典映像も沢山付いている
DVD📀
私は
いつの頃からか
オードリー・ヘップバーンの
熱烈な信望者
このブログを
主に、自己開示を目的として始めて
もうすぐ4年になるのだけど
オードリー・ヘップバーンLOVE
のことや
オードリー・ヘップバーンの話題すら
出したことがなかったことに
最近、気付いて
それはなぜかしらを考えたら
それは
私にとり
極めて普通の私事情なため
取り立てて
その
息を吸って吐く位に普通な
私事情の事を
書いてこなかったのだと思う
私の人生の成り立ちとして
外出した際に
オードリーのポストカードを見付けると
呼吸するのと同じ位
自然に買ってしまうほどに
私のエネルギーの流れ的に
オードリー・ヘップバーン命💘
なのは
私の自然な流れなのだ💖彡💖彡💖彡
私の結婚式のウェディングドレスは
『ローマの休日』の
ティアラの写真の通りにしたし👑
お色直しのドレスは
ティファニーブルーの
(ティファニーの紙袋や包装紙の色💙)
ドレスを選び👗
学生時代の教育実習の時には
『ローマの休日』で
ヘップバーンが
ローマの街を
市民のふりをして歩き回った時の服装で
教壇に立ったりした♪
ちなみに、これは↑
白いブラウスに
腰がギュッとなってる
Aラインのスカートのコーデ♪
ダイエットして
またこうゆう服装をしようかしら
♪
↓ ↓ ↓
その内
たまたまを装ったシンクロニシティにより
似たワンピースに遭遇するわよね
↑この望みが
私の本心からの望みであるならば
絶対💗
叶うから
いつ、どんなルートで、それが叶うのか
ワクワク&ウキウキしていよう👗
それで
『ローマの休日』について
私が初めて
この白黒の映画を観たのは📽️
私が
高校受験の夏期講座を受けていた
中学3年生の時でした(1983年位?)。
この映画が製作されたのは
1953年なので
私が初めて
『ローマの休日』を観たのは
この映画誕生から
たったの30年後の
ことなのですね。。。
当時、中学3年生の私は
私が生まれるずっと前の
とっても古い映画のように思って
観ていたことを覚えています
(※それからまた40年経っているので
今年は、この映画誕生から
約70年なんて)
中学3年生の当時の私は
私にはいつも鬼厳しい母から
当時、教育テレビ(3チャンネル)等で
特別番組として放映された
古い映画(名画)として📽️
『シェーン』
『ウエストサイド物語』
『ティファニーで朝食を』
『風と共に去りぬ』
『マイフェアレディ』
『ベン・ハー』
そしてこちら
『ローマの休日』
等々を
「ちゃんと観とくように❗
興味がなくても
観ろ、観とけ、観なさい❗」
と、厳しく言い渡されていて
それは
今すべき今日のお勉強を脇に置いても
「観るべし❗」
と、ほぼ強制命令を受けていた
そうした
ほぼ強制命令の母親からのお達しに
背くと怖いからとして
おとなしく従順に従っていて
後の私は(=最近の私は)
映画や
他に、舞台や芸術
という点に関しては
「従っておいてよかったな~」
って
特に最近になって
つくづく&しみじみ思う
↑
こうゆうのって
子供から見て
地球(人生)の先輩である親は
そうした強制が
その子供の自由意志を阻害するものか
または
こうゆうのもありますよ
こうゆう世界もあるんですよ
とした、
新しい何かを紹介して上げて
子供の視野を広げる選択肢の
紹介となるのか
その見極めは
難しいとは思うのだけど
私のこの場合のように
物をあまり広く知り得ていない
視野の狭い子供時代に
上から(親の)命令が
後々
その子供の
興味やワクワク💓
生きる喜びや大好き💓
等に繋がり
その子供の心の財産に
成り得るケースも
よくあるから
大人(親)の役割や
子供の導き方って
本当に肝心要となったりするな~
って、思う。
特に、私は
自発的に自分の視野や
興味の拡大&開拓には
能動的には動かないタイプだから
「古い映画なんて興味ない。
時間を取って観るのめんどくさい。」
として、そのまま何も言われなかったら
そうした古い映画や
舞台観劇や美術館に行く
としたことからは
遠い日常(人生)を送っていたものと思う
↑
こうゆうのって
それをしなくても生きてゆける
アイテムに思う
すると私はどうなるか?を想像するに
日常で
・観るもの
・行くところ
・選択する飲食店
・食べ物
・行動や思考回路
等々に於いて
いつも代わり映えのしない
いつも同じ事や物や場所や行動を
馴染んでるから安心として
選択し続ける人生を
歩んでいたに違いないと思う
だから、一見
私の母が取った行動は
子供の私の自由意志を
尊重しない命令派のようだけど
それは似て非なるもので
まだ地球時間の少ない子供には
幅広い選択肢となるような
子供の知らない選択肢の紹介は
とても大切なことに思うに至る
こうゆうの↑
最近、そう思うようになった。
↑
これって、一種の
“親に対する感謝の気持ち”
に思うのだけど
私が
最近
そうした“感謝の気持ち”が
自然に湧くようになったのは
子供の頃に抑圧していた
親への怒りや反抗的エネルギーを
それだからこそ
(=抑圧していたからこそ)
私が生き辛かった&生き難かった
その抑圧されたまま蓄積してきたエネルギーを
ずっと大人になった最近までの作業として
ちゃんと気付き
ちゃんと親を嫌って
ちゃんと親への恨み辛みを感じることを自分にオエオエしながら許可し
ちゃんと親にその恨み辛みを吐き
(=伝え)
ちゃんと暴れるを勇気を持ってして
そうしたことを
繰り返し、コツコツ、地道に積み重ねてきたからだと
思うに至る
だから私は思う
いい子供面してないで
(善人ぶってないで)
その時々で
自分の中に湧く気持ちや思い、感情は
ちゃんと自分で受け止めてあげよう
ちゃんとその時々で
人(親)を嫌ったり
反抗的態度や言動を取ったり
とした、一見、
してはいけないとされている態度&言動等を
自分&親(相手)のために
してあげようって。
本当は、そうやって人間は
大人になるのだもの。
様々な理由や気持ちの事情があれど
自分の中に湧いた気持ちや思いを
我慢させたり
抑圧したりした
感情や気持ち(=エネルギー、バイブレーション)
は
感じて上げるまで
絶対に、なくならないから
人生が生き辛い&生き難いのは
その抑圧して
身体に蓄積させてきたエネルギー(=思い、バイブレーション)
のせい。
↑
だけど
そのバイブレーションも
全て自分自身(=自分の大切なカケラ)
なので
そのカケラ達は
自分自身から愛してもらうべき
カケラ達なのです
つまり、そうしたことを通して
自分に気付き、自分と向き合い、
意識や思い込みを更新させてゆくことが
人生のアップデート&バージョンアップとなり
目に映る景色が
肯定的な方向に変わってゆくことに
繋がっているのだということを
私は
精神的に非常に生き難かった時間を通して
お勉強してきたのだと思いました。
話を
『ローマの休日』に戻すと
私は
いつの頃からか身に付いている
口癖&心の中の呟きが
2個あって
1つは⇒「めんどくさい💨」
もう1つは⇒
「Thank You. I'm so glad」
↑
これを低めの声で呟くというもの。
ちなみに
1つ目の「めんどくさい」は
心の不自由さを
コツコツ解いてゆくと
減ってゆく口癖に思う。
それで2つ目の
謎の英語の口癖なのだけど
なんと
この口癖は
この『ローマの休日』で
オードリーの台詞が
由来なことがわかった
な~んだ~そうだったのね
って、この発見、とても嬉しく思う
あと
私は1998年(20th Century)に結婚式を上げて
その時の選んだドレスの話は
この記事の冒頭で話たのだけど。。。
希望に叶った
憧れのオードリーのようなドレスで
結婚して
その結婚生活は
ざっくりまとめると
ちっとも幸せなものではないのだけれど
(主に、精神的に幸薄い結婚生活)
最近、私は、思うに至った事で
それは
↓
人は皆、家族や人間関係は
相手と和気あいあいだったり
ラブラブだとか、仲がいい関係性が
正解⭕
と思い込んで生きてると思うのだけど
それは、ある意味正しくて
ある意味、間違いに、私は思うに至っていて。
それは
人は、相対する相手から
必ずしも、肯定的な気持ちや感情を感じることだけが正解⭕なのではなく
魂が決めてきた今回の自分の人生の
大まかな予定として
例えば
会社の上司のAさんから、今回の人生で感じる悔しい気持ちの3割を体験する
予定とか
結婚相手のB夫から、今回の人生で感じる寂しさを4割体験する予定とか
自分の子供のC子から、今回の人生で感じる予定の惨めさを2割、感じる予定とか
人生って
そうゆうカラクリなのだと
私は思う。
だとしたら
私は、今回の人生では、私は
親や結婚相手から
マイナスな感情や気持ちを
沢山、感じる(体験する)予定の人生設定で
地球に生まれて来ているとするならば
私の生まれてからの家庭環境や
私の結婚生活は
魂的見地からすると
正解⭕
となるから
これでいいのだ
何も間違っていないし
人生は予定通り順調
ということになるもの
話は変わるけど
ローマには🇮🇹
私は
1989年と1998年に行ったのだけど
この際、同じタブーを繰り返して
えらく気分を害したことがある
それは
スペイン広場で↓
スペイン広場って、飲食禁止で
1回目の訪問時に私は、知らなくて
持っていたペットボトルのお水を
飲もうとした。
その瞬間
警備員みたいな人に
ピー-ーーーーーーーーーッ
っと、鋭く笛を吹かれ
えげつないレベルで鬼怒られて
とても懲りたのに
その何年か後に、また
全く同じことを繰り返してしまった
顛末持ち🍦❌
スペイン広場では
今でも飲食禁止なのかしら
とってもカラフルな印象💗💗
fin👑