大河ドラマ
『青天を衝け』の中で
ある人物が
「(自分は)何のために生まれてきたのか」
って、苦しげな表情で尋ねていて。
(※この問い掛けは、渋沢栄一さんの親戚の方の問い掛けでした)
別に、問い掛けた相手に
答えを求めていたわけでも
答えを期待したわけでも
なさそうだったのだけど。
自分が信じた道を選んだつもりが
途中、上手く進めず、何度も挫折を繰り返した挙げ句の
その問い掛けに、私は思った
それで
今の私が、私なりに、その人物の
その問い掛けに答えてみた
↓ ↓ ↓
Q: 何のために人間は生まれてくるの?
(=俺は何のために生まれてきたのか?)
わ: 人間は楽しむために生まれて来ます
↑
この
“人生は楽しむために”の翻訳は
↓
“楽しむ”は
アハハ、オホホ、ウキウキ、ルンルン
だけが、楽しむではなくて
“楽しむ”は
肉体を持って(肉体に宿って)
この地球に人間として
様々な自分のカケラ(感情や気持ち)を
体験する(=味わう、感じる)
という意味で使っています。
なので
“楽しむ”
は
喜びも悲しみも
その間に存在する様々な感情のグラデーションも含めた全ての自分自身を
体験する!味わう!感じる!ということですね。
人生は決して
苦しむためにあるものでも
頑張るためにあるものでもなくて
それらも含めての“楽しむ”であって
人間は、生まれてから、目の前に現れる
全ての他者、出来事、事象を通して
自分を知ってゆく(=愛する)ことをしたくて
生まれてくるのだと、私は思います
ですから、Youが
今、どのような状態で、どのような気分を体験していても
全て、人生の正解⭕でしかありませんし
それを “ザ・楽しむ” をしているという
生まれてきた目的を達成している状態となります。
ちょっとここで、話は、横道にそれますが
こうした↑
自分の考えを明言すことを
自分自身に許していない人がいたとして
そうした人は、自分に許可してないことを
他者がしてると、ワサワサ ザワザワして
悪感情(怒り、憎しみ、嫉妬、イライラ)を湧かせるものですが
それは
自分が自分に許可していないだけなので
私のせいではありません
&
私の言動に問題があるわけでもありません
“私はYouでYouは私”なので
(※ですが
私は私。YouはYou。
というのも本当ですが
この違いは
また別の記事にしたいと思います。)
目に映る誰か(他者)に
ワサワサ、ザワザワした感情や気持ちが湧く時は
目に映るその人物が原因で
不快な気分が湧くのではなく
(=他者のせいではなく)
意識の先を、くるりと自分に向けて
自分自身を視ることで
その原因が、わかります。
そこには大抵
You自身のカケラが映っているか
または
YouがYou自身に
それをすることを許可してない
(=禁止している)ことを
その他者はしているので
自分=他者(私=あなた)なので
あなたは、その他者にも
それをすることが許せなくて
ザワザワしてしまうカラクリです。
目に映る全ての事象
(人、出来事、自然等)
は
Youが持つあらゆる姿の
“映し鏡”
の
役割をしているだけです。
人間は
顔に目が👀
外側を見るように作られているので
人間は
自分の姿を見ることは出来ず
自分の姿を
外側のあらゆる事象を通して
知る作りとなっています。
それには、目で見ると同時に
自分の目に写った他者や出来事に
身体(自分自身)の内側に湧く
バイブレーション(気持ちや感情)
つまり
自分は今、何を感じているのか?
等から
自分を知るわけです。
自分の内側に湧く気持ちや感情は
自分を知るナビゲーションの役割となっていて
“知る”は
気付く、受け入れる、認める、
つまり
愛する💖という意味で
人間は
どんな自分のカケラも(自分=他者)
愛したくて
その“愛”のレベルを高めたくて
何度も生まれて人生を生きるシステムです💞🌐💞
と、私は解釈しています、なう。
また、私が飛ばされると
最も苦手な“嫉妬”のエネルギーは
自分にもその可能性があるのに
自分でその可能性を禁止しているから
それを実現している他者を見て
ザワザワ、ワサワサが起きる感情なので
目の前の他者には全く関係のないことです。
嫉妬は、早目に嫉妬している自分に気付き
自己責任でお願いします
話が大幅に横にそれましたが
話を冒頭に戻したいと思います
それで
NHK大河ドラマ『青天を衝け』は
今、ちょうど
明治維新の真っ只中ら辺で
日本の国内で🇯🇵🗾🇯🇵
日本人VS日本人
の、戦い(戦争)真っ只中ですが
私は、たまたま、最近
やはりNHKの深夜の連続番組の特集で↓
ヨーロッパで丁度
『青天を衝け』のこの頃(19世紀末)
ヨーロッパで
映像が発明された頃からの
貴重な世界の映像記録を見て📽️
それは、私は
戦争の回だけ
視聴しないし、録画もしないで
19世紀末から保存されている
世界の“文化の変遷”だけを
見ていたのですが
19世紀に続く20世紀は(も)
結局、文化の変遷を追っても
地球は戦争の時代に思いました🌏
なので
世界各国の文化の映像記録には
その背景に
国々の戦争も
どうしても混じってきてしまい
私は
19世紀末(日本は明治維新前後)
から
20世紀までの
世界は
まだまだ
戦争に次ぐ戦争で
内戦から世界対戦に
対戦相手が拡大していっただけなのだと思いました。
そして、やっと、各戦争が終わると
次は
人種差別といった
形を変えた別の戦いが始まり🌎
結局、人類は
形は様々な戦争を
し続ける生き物なのだという印象を
強く持ちました
戦争がなくならないのは
人間が
自分の中で
自分と戦ってるから
(=自分を認めようとしないで
ダメ出し等ばかりしてるから)
それが外側の世界で
戦争という形に映し出されるカラクリに
私は思い、やはり世界平和は
1人1人の内側に責任があると
確信しました
・人種差別で差別された側の人達も
・戦争の中で、虐げられた民俗の人達も
人数は多いのに
人間は、なぜか
ほんの少数の支配者に
精神的に抑圧されたり
支配下に置かれてしまうと
人数が沢山、いても
なぜか、その支配下に
屈した在り方に陥ってしまうのは
恐ろしいマインドコントロールのカラクリがあるのだな
と、思いました。
そして
どの戦争も
結局、国を支配する権力のある人達の
エゴの発露(我の張り合い)に
つくづく思い
人間て
つくづく残念に思いました💨
国の発展や国民の幸せを
大義名分に翳した
権力のある人達の我の張り合いに
言いくるめられ
駆り出されるのは
いつの時代も、どの国に於いても
結局、一般庶民なので
エゴイスト達の国を上げての喧嘩に
犠牲となるのは
(戦争って
国の領土や支配権を
奪い合う喧嘩よね)
いつも弱き立場の人間となる歴史が
よくわかりました
戦争体験者の日本のある女性は
(=90代の一般市民の方)
今も、毎日、様々な新聞に目を通し
世界&日本の情勢を知ることを
続けている理由として
↓
「だって
偉い人達に、いいようにまるめこまれて
私達は、戦争に加担してしまったのだから
それからは、騙されないように
自分でちゃんと、国で起きてることを知り
自分で判断しなくちゃと思って」
ですって👂
私は、とてもその方の日常の在り方に
感銘を受けて
「私も、ちゃんと物事を自分で見極めて
生きよう」
って強く思ったけど
これは↑
私に、全然、興味が湧かない
政治やニュースに精通しなければならないのかしら?
って、一瞬、怯んだ
だけどそれは
私に
新聞やテレビのニュースや世の中の情報に
鬼沢山、触れろ❗
ということでは、きっとなくて
自分で物事を見極め
自分で判断出来る自己を確立せよ❗
という
自分軸を育てることなんだと
私は判断しました
そして、それと平行して
自分内戦
(自分と戦うこと、自分を苛めること)
を
少なくしてゆく自分平和の道を
コツコツコツコツ
日々、地味に地道に進んでゆく
を、してゆこう❗
と思うに至りました。