今、とっても壮大でいい気分(=素敵な気分✨)が湧き起こった💓
映画『風と共に去りぬ』と『エデンの東』の映画音楽を、
『風と共に去りぬ』と『エデンの東』の音楽は、
私の感覚の中で、
映画『風と共に去りぬ』と『エデンの東』の映画音楽を、
繰り返し、かけていたからだった🎦🎶
私は、ミュージカルが大好きで、歌を習っている。😲🎶🎵
次の課題曲が、映画音楽の『エデンの東』🎼
そう言えば、私は、私が生まれる前の、
私は、ミュージカルが大好きで、歌を習っている。😲🎶🎵
次の課題曲が、映画音楽の『エデンの東』🎼
そう言えば、私は、私が生まれる前の、
ハリウッド映画隆盛期のハリウッド映画&音楽が、
中学の頃から大好きだった❕
それにしても、『エデンの東』に歌詞が付いていたなんて、知らなかった。
『風と共に去りぬ』は歌詞がついてないし、
私の歌のお稽古には、関係はないのだが、
中学の頃から大好きだった❕
それにしても、『エデンの東』に歌詞が付いていたなんて、知らなかった。
『風と共に去りぬ』は歌詞がついてないし、
私の歌のお稽古には、関係はないのだが、
『風と共に去りぬ』と『エデンの東』の音楽は、
私の感覚の中で、
夏目漱石と森鴎外、
トシちゃんとマッチ、
のような、対で浮かぶ映画音楽の、
トシちゃんとマッチ、
のような、対で浮かぶ映画音楽の、
二大巨匠なのである。
それで、『風と共に去りぬ』について、少し思いを馳せてみた。
スカーレット・オハラという気の強い絶世の美女の一代期を、
貴族出身のアシュレと、貴族出身ではないレッド・バトラーという男性との恋愛模様を通して、
描いた物語だと記憶している。🎦✨
『風と共に去りぬ』が、そのテーマ曲にも表現されてるように、
とてもスケールが大きくて、壮大なストーリーとされているのは、
きっと、その背景にアメリカ合衆国の南北戦争があり、
その戦争により、翻弄されたスカーレットの、
その気性の激しさ同様な、起伏の激しい人生を描いているからだろう。
テーマ曲の「タラのテーマ」の、
タラという土地が、スカーレットには、大きく影響している。
タラという土地は、スカーレットにとり、
大好きだった父親との約束や、
戦争前の、豊かで華やかな守られた生活、
そこで育まれた様々な、彼女の信念や観念等の象徴なのだと思った。
私の映画好きは、私の家庭環境が、大きく影響している。
中学に上がる頃から、夜、テレビで、かつての名画と称される作品を放映する日には、
有無を言わず、テレビを見させられた📺💦
『ローマの休日』 『ウエストサイド物語』 『雨に唄えば』 『シェーン』 『ティファニーで朝食を』『裏窓』『北北西に進路をとれ』『青い山脈』?『ひまわり』『太陽がいっぱい』『慕情』『王様と私』『十戒』『サウンドオブミュージック』等々。。。
それで、『風と共に去りぬ』について、少し思いを馳せてみた。
スカーレット・オハラという気の強い絶世の美女の一代期を、
貴族出身のアシュレと、貴族出身ではないレッド・バトラーという男性との恋愛模様を通して、
描いた物語だと記憶している。🎦✨
『風と共に去りぬ』が、そのテーマ曲にも表現されてるように、
とてもスケールが大きくて、壮大なストーリーとされているのは、
きっと、その背景にアメリカ合衆国の南北戦争があり、
その戦争により、翻弄されたスカーレットの、
その気性の激しさ同様な、起伏の激しい人生を描いているからだろう。
テーマ曲の「タラのテーマ」の、
タラという土地が、スカーレットには、大きく影響している。
タラという土地は、スカーレットにとり、
大好きだった父親との約束や、
戦争前の、豊かで華やかな守られた生活、
そこで育まれた様々な、彼女の信念や観念等の象徴なのだと思った。
私の映画好きは、私の家庭環境が、大きく影響している。
中学に上がる頃から、夜、テレビで、かつての名画と称される作品を放映する日には、
有無を言わず、テレビを見させられた📺💦
『ローマの休日』 『ウエストサイド物語』 『雨に唄えば』 『シェーン』 『ティファニーで朝食を』『裏窓』『北北西に進路をとれ』『青い山脈』?『ひまわり』『太陽がいっぱい』『慕情』『王様と私』『十戒』『サウンドオブミュージック』等々。。。
『風と共に去りぬ』『マイフェアレディ』に於いては、必ず、映画館に連れていかれた。
最初の頃は、勿論、興味も知識もないから、
拷問のように感じたけれど、
無理やりに、見る&触れる機会を与えられて、
本当によかったな~💐だ。
だって、本当に大好きになったし、
好きだから、どんどん、自分から様々な作品に触れるようになり、
それに伴い、映画音楽にも、積極的に触れるようになっていった。
それは、私の中に、元々、そうしたものが好きな要素が眠っていたから、
その“好き”が、どんどん花開いていったわけだ。
だが、もし、
親が、私のその時の意思&意向(=名画になんて興味がないから、見たくない)を重んじたなら、
私は、人生に於ける私の宝物に成り得たものを、
あまり知らないで生きたかもしれない。
或いは、もっと後になって、もともとあった“好き”に気付いたかもしれないが、
私は、何にせよ、食べず嫌いだから、
もし、私の半生が、
映画や舞台の素敵さを知らないで生きる人生だったら⁉、
と思うと、ゾッとする💦
舞台鑑賞にしても、同じく、
私は、映画よりも、舞台が断トツ好き❤(命❕)になったのも、
そもそもは、
母に無理やり、帝国劇場(屋根の上のバイオリン弾き🎻)に、
学校を早退させても、連れていかれたことが切欠となった。
その一方、私の日常では、
私は、親から、私の気持ち、感情、意思、欲求といった私自身を、
尊重されずに育ったことで、
自分がわからない自分不在の、
自己無価値感の非常に強い人間となり、
自分自身に漠然と自信が持てないという、
人生を自分の足で歩き、自分を幸せにするには、
非常に生きずらい人間(アダルトチルドレン&ピーターパンシンドローム)になった。
だが、その一方で、
まだこの世界に誕生して、年数の浅さによる視野&見識の狭さのため、
ものをあまり知り得てない子供の私に、
私より確実に、ものを多く知っている大人の親が、
こんなものもあるよ、あんなものもあるよ、
あなたの今の興味の有る無しに関わらず、
様々なものを提示してあげるから、
先ずは、見なさい、聞きなさい、触れてみなさい、知ろうとしなさい、
という強行姿勢をとってくれたお陰で、
私には、私の中の大好き❤が発掘されたり、
大好き❤が増えたことは、
私が、私の人生を楽しみ、愛でる切欠となったことも、否めない。
物事には、なんでも、陰と陽がある。
陰のみ見て、嘆いたり、後悔したり、恨んだりするものだが、
やはり、陰には、必ず陽がセットであることが、何だか今、確認できた☝✨
今はあまり、映画も観なくなったけれど、
また、様々な作品を、積極的に観るのもいい気がしてきた😃💡🎦
“気”がする、って、
そうした“気=エネルギー”を感じる💡ということだから、
“気がした”時というのは、自分への宇宙の流れは、
今、そうしたエネルギーの流れ✨ということに思う💡
自己回帰の1つは、
通ってきた道の、
かつての自分の好き💕大好き❤を思い起こして、
その原点に帰るのも一考かもしれない😌🎵💐