ある時期、毎月、赤坂の草月ホールに、チハラトークを観に通っていた🚶
チハラトーク、千原せいじさんと千原ジュニアさんの舞台😆
青山通りにあって、虎屋本店や、芸事で有名な神社の側に位置し、生け花の草月会館内にある落ち着いた会場は、私のお気に入りでもあった✨
ちゃんと計算すると、10年程前の6ヶ月間だった💡
いろいろ普段は忘れている出来事もあるけれど、ふと思い出しても、いつのかつての日常も、まるで2、3日前のリアリティーさがある。
毎回、会場前にどこでお茶をしたか、その日の服装から心持ち、風の温度や街の見え方に至るまで、やはり、リアリティーしかないことに驚く😲
当時、私は、笑わなくては❗と、内心、危機感を募らせていた。
私の日常は、笑いとは縁遠い日常で、無意識の辺りで、このままいたら病気になる💨と不安にまみれていたのだ。
その主軸となるのは、パートナーとの仲の悪さ=パートナーシップの辛さ&厳しさだった😥
私の日常は、パートナーが仕事に行く平日は、パパパっと家事を済ませてから、井の頭線で、取り敢えず渋谷に出て🚉、
そこから青山通りを歩き、今は無き赤坂プリンスホテルでトイレ休憩🚻に立ち寄り、
紀尾井町に抜けて、半蔵門に直進、そこから私の世界で一番の絶景となるお堀沿いを、桜田門に抜けて、
二重橋、広々としてる松林の通り、丸の内仲通りから、千代田線で帰宅する、の繰返しをしていた頃だ。
いつの間にか、歩いている内に、そのルートが定着し、家を清潔に保ち、よく歩くことによって、今の苦しみから解放される糸口を掴もうと、必死だった💦
私は、必死だったのだ~💦
私は、前世でも、ひたすら歩き、
歩くことで、その時々の心の苦しみから逃れようとしていた。
今世の話に戻ると、毎日、途中のどの街の、どのお店で、何を食べるか(🍛🍝🍔)が歩くモチベーションとなっていて、同時に、お金を遣ってしまうことへの罪悪感は減らず、
私のパターンの幸せと不幸せ(罪悪感)は、いつもトントンで、
その差し引きは、
気分的に息苦しくて辛い=幸せなはずなのに、その幸せを感じられないことによる苦しみの方が圧勝している状態は、
今も変わってないと判明した。
天国と地獄は、私の中でいつも対発生。
私の意識のフィルターは罪悪感&ネガティブな色であるため、どうしても地獄色の方が勝って見えてしまうのだろう。
そんな中で、笑いたくなったのだ❗
私は舞台鑑賞が好きだ💕
イヤホンガイド付でなら、美術館も好きだ💕
だからよく知っている→舞台なんて観なくたって、美術館に行かなくたって、人生は成立することを。
好き❤が、私を動かすだけで、興味も関心も薄ければ、一生、そうした場に赴かなくても、人生は問題なく生きてける。
だから、笑いも、「笑いのライブが観たい❗一流の場から、触れたい❗」と思い立った時に、足を運ばないなら、一生、触れることはないとも、思ったのだった💡
それで、笑いとはあまり馴染みのない私にも、確実に笑えて、全てがシンプルで、全てが一流💕の笑いの場を目指したのだった。
最初が肝心だ。
最初に触れるものは、絶対、一番&一流が必須という思い込みが、私にはある❇❤❇
チハラトークは、お二人の日常の出来事(世間話)を、シンプルなステージ上で会話だけで進行させる、まさに私の望んでいたスタイルだった🎵
途中で、ゲストの芸人さんも加わるが、お二人だけで、最後まで続けて頂きたかった位、せいじさん&ジュニアさんで、じゅうぶん過ぎるエネルギーだった💙💚💕
最初、私は、舞台上からのエネルギーに圧倒されたり、話についてゆけず、周りの人達のドッカーンと沸き立つ笑いに圧倒され続けてしまった。
普段から笑ってないと、こうなるとわかったし、
私の思考癖が、感じることより、考えることに走るため、話についてゆけないのだと、思考した😒🌀
一番、可笑しく思ったのは、ステージ上のジュニアさんと、よく目が合うな~💕と思い、ちょっとした自意識過剰モードから勘違いする気持ちのトリック等も、楽しさの1つだったっけ😆💡
ひとりが↑そう勘違いしてるならば、その席の向こう三軒両隣でも、同時に同じ勘違いトキメキが起きているものだ☝🎶
まだ、チハラトークは同じ所で、変わらず続けて興行されてるのかしら?
また、足を運びたくなってきた~💓❤❕