私は長い年月
ブログを書いて来ました。
ほぼ夫と
過ごした日々の出来事や
いろいろ
そのいろいろも
いつも夫が一緒でした。
友人のような夫が
12月の16日に
亡くなりました。
三大疾病を乗り越え
5回の脳出血も乗り越え
頑張って来た夫の闘病。
不自由になって
8年余りの介護でした。
それでも
死んでしまう時が
突如の死。
病院に入院中の突然死。
息を引き取る時は
1人個室での死
(蘇生に間に合わず)です。
誤嚥性肺炎の様子も回復へ
そして
バイタルを計測する機械は使用終了で
外されていた。
発見された時には
既に息は
止まっていたそうでした。
計測機を使用していれば
わかったのでは?と残念無念です。
病院からの電話の知らせで
私が30分余りで
夫と会った時には
既に夫は
あたたかさが消えていたのです。
私は悲しみの中で
夫の顔に触れると
私の手に冷たく伝わって
ーー時間が経ちすぎている?ーー
と思った。
だからと言って病院と
争っても夫は戻らず。
きっと
争う事は夫は好まない。
仕方の無い状況
それで…辛く哀しい思いで
その日のうちに
病院から家に夫は帰って来ました。
そして
24日の自宅での葬儀の日まで
家で安置しております。
昨日
20日に納棺致しました。
その日は雨が降りました。
そして新月でした。
夫は黒のタキシードに身をお包み
フェラガモの蝶ネクタイを結び
(蝶ネクタイは送り人の方が
不慣れでしたので私が結びました。)
そして
フェラガモの靴を履かせました。
来年
2月19日で結婚55年になるのに
先に逝ってしまいました夫。
願いは
いつか私が旅立つ時に
結婚式の時の写真の
ベルベットドレスを
掛けるなり着せるなりして
もらえるように(以前から)
息子に伝えました。
そして
写真のミニぽっくり
これは
夫が修学旅行の京都から
私に
お土産にと
買って来てくれた物です。
受け取った時の私は
「将来一緒に慣れたら合わせようね」
と願いながら片方つづ夫と分けて
持っていたものでした。
私と夫の願いが叶い
合わせられ
54年前に結婚しました。
小さなぽっくりは
それから長い年月大切に
戸棚に飾ってありました。
向かって
左側が夫が持っていてたもの
(ちょっと鈴があせている)
右側はサランラップに包み
私の持っていた
ぽっくりでした。
それを夫の棺に
私が持っていた(鈴の綺麗な方)
向かって右のぽっくりを片方
(願いを込めて)を渡しました。
そして
いつか私が旅立つ時には
夫が生前預かっていた左のぽっくり
「私に持たせてください」
と息子に頼みました。
ウエディングの写真のように…
ぽっくりを合わせられる願いを
込めて…
一旦
この大宇宙に形を変えて存在する
夫と逢える願いを込めて…………
葬儀まで日にちがあるので
日々生前と変わらず
家で一緒の時間を夫と
過ごしています。
その間
インターの校友の方々や
長年交流の有る人々が
我が家に訪問して頂けて
その度ごとに
私は涙にならないように
夫と私の若い頃の武勇伝を話したり
夫の亡くなった次の日からは
初めてのデートの時に
プレゼントして頂いた
真珠のネックレス(57年前)を
身に着けて自慢を語りつつ
話を弾ませていました。
この真珠のネックレスを
くださるのは良いのでしたが
夫(青年)が
「着けてあげる」と言い
それも初めての
1度目のデートの時ですから
(初めてのデートの写真)
私は髪の後ろ(うなじ)見せるのに
気恥ずかしかった(想いをして)
その時
真珠のネックレスを
着けて貰いましたが
恥ずかしさが先に立ち
直ぐに外して貰ったのでした。
結果
結婚式のお色直しに
ラメの淡いピンクの
イブニングドレスに
合わせてつけるまで
それから
一度も着けなかった次第。
真珠は
しまったままの
三年間でしたけれど。
また
その私のドレス(ラメピンク)は
義理の姉が仕立ててくれて
今でも保管中
いつかインターナショナル
スクールに通う孫娘が
パーティで着て貰えたら
嬉しいですね。
自慢は結婚式の時の
四段のウエディングケーキ
式を済ませて宴会の時間に
待ち時間があって
待っておられた参列者の
お客様にお出ししたそうでした。
(全て食べられるケーキ)
つづく
(今日は
令和7年12月21日(日曜)小雨)
12月22日晴
夫が息を引き取って
今日で一週間です。
本来なら仏教では初七日。
夫の安置している部屋は
皆さんから頂きました枕花が
香りを放っていて
それが別の部屋にも
やさしく流れて来ています。
そして今夜
修理中だった私の結婚指輪が
戻って来ました。
外商の方が気を使ってくださり
届けてくださいました。(感謝)
亡き実母が生前
「やたらに外してはいけないよ
外すと縁が薄くなるから」と
その教えの通り
ほぼ外しませんでした。
都合の悪い時は
回転させて手のひらの方に…
そのような54年。
12月23日
既に喪に伏す我が家。
孫娘に(16日の事)
「グランパーが旅立ってしまったので
外部の飾り電球を全て止めますね」と
伝えて賑やかな明かりを消しました。
そして
家猫ちゃんたちは
何かを感じるのでしょうか?
階下に降りて来なくなりました。
普通は
中庭に出してと仕草するのに。
また
昨日戻って来た指輪を着けて
間もなく
左肩から左指が痛くなって…
でも今朝はそのような様子は
すっかりありません。
明日は葬儀です。
下は
夫にプレゼントした言葉(婚約時)
紫陽花の咲く雨の頃
心に映(エ)がいた恋が
今は
周りから認められる
愛と成って
結婚の日を待つ私です。
幾度か雨の中で紫陽花を見ては
貴方の事を幾時(いつも)幾時も
忍んで来ました。
それはとても切ない苦しみでした。
でも誰よりも幸せに思っています。
これから来る生活は誰にも分からない、
『二人の道』その道は二人してつくる
新しい道 涙を流す時も貴方となら
怺えて(たえて)行ける二人の道であるよう
この日(1971年10月8日)に当たって
強く心に誓い祈りたい私です。































