白百合学園のことを「百合」とニックネームのように呼んでいらした方がいました。

果たしてそのように内部で呼ばれているのかどうかを存じ上げません。私の母校であります東洋英和は「英和」と呼ばれています。某デュ掲示板で「東洋」と呼ばれていた、ということを聞いたときはクスッとしました。


さて最近、「百合」という言葉に、はっとしたことをお話しします。


それは、夏目漱石の『夢十夜』の第一夜を読み返す機会があり、そのときのことでした。


以下、あらすじです。


主人公は、死ぬ間際の女に、「百年待っていて下さい」 と、思い切った調子で言われます。さらに「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」とも。


男は女の墓の横で、待ち続けます。太陽が登り沈むのを何度も見ながら、女の言葉だけを信じて待つのです。


そして自分が欺されたのではないかと思い始めた頃、石の下から青い茎が自分の方に伸びてきて、一輪の真っ白い百合が咲きます。男は百合に接吻し、空を仰ぐと暁の星が瞬いていました。


「百年はもう来ていたんだな」とこのとき初めて気がつくのでした。


漱石文学では百合の花は、愛の象徴と言われています。


漱石の代表的な作品である「それから」は、代助と三千代二人の悲劇であります。代助が、まだ三千代の兄が生きていた頃に、代助が三千代と兄に初めて持参したのが、百合の花でした。百合は思い出の花として描かれています。


夢十夜の第一夜に話を戻しますが、漱石の時代の平均寿命は五十才にも満ちませんでした。百年待って欲しいと願い、それを実行するということがどのような意味を持つのかは、言わずと知れたことでしょう。


そして、「百合」というのは、「百」と「合」と分解できて、百年の会合という含みある言葉とも感じられます。


茎が立ちのぼって、細長い一輪の蕾がふっくらと開き、百合は強い香りを放ちます。その匂いは、鼻の先で骨にこたえる程匂ったと描写されています。


百合の球根を秋に植えた方もいらっしゃると思います。

どんな花が来年咲くのでしょうか。毎年私たちを惹きつける匂いを放つ百合に、思いを馳せました。