今日は、朝起きたら、youtubeにコメントがきてた。

コメントの内容は、批判?注意?


、、、 はなしを要約しろ、語彙力を学べ。


というもの。



批判に弱いわたしは、は?じゃぁ見にくんなや!


わたしはいま、自分の世界で、自分好みの世界をつくるために、何かをかって、どう感じたのか、ということを、発信している、だけ。



それを、どこの誰かもわからない、顔もだしてない奴に、わたしのことをしりもしないやつに、野次馬根性で、批判されたくねぇっつーの!◯ね!




ぐらい、怒りが湧いた。




でも、そこから、気づきもあった。なんで、こんなに否定に弱いんだろう。誰かの攻撃的なエネルギーに、わたしはとてつもなく弱くて、


おおきければ、おおきいほど、右へ倣えしてしまう。正直、そんな自分が嫌いだ。




いつも、そんなときに振り返るのは、中学の頃の意識たい。たくさん、嫌な思いをした。3年間ずっと、これでもかっちゅうほど、みじめな気持ち、たくさん味わった。


恋も失敗だらけ。イケメン男子とつきあってる、キラキラした女の子が、すごく羨ましくて。


それからの人生は、自分も美しくなることや、人から好かれること、勉強をがんばったり、


とにかくこう、社会からみて、いい感じとゆうか、まぁ、みじめではないよね。っていう、こましな感じを手に入れるため、ずっと必死だった。




でも、誰と仲良くなっても、職場が天国にかわっても、こう、心の奥底の闇、みたいなのはぬぐえず。

なにか、いやなことが起こるたび、戻るのはいつも、中学時代の意識だった。



これまで、何回と何回と、戻って、癒してもぬぐえないと思っていたが、今日、youtubeで批判されたあとにこう感じた。


わたしは、なんでみじめなわたし。から、ずっと逃げてきたのかなって。


みじめなわたしは、中学の頃、吐き気がするほど味わった。だから、例えば30代になって結婚してない、とか。アニメが好きだ、とか。お母さんが、お弁当を作ってくれることがある、とか。お年玉をくれることがある、とか。


社会人とか30代になって、人に言えば恥ずかしい思いをしそうなことは、なるべくならさけたかつまた。


だって、あの頃(中学)が、わたしはほんとにやだったから。でも、今日はこんな風に感じた。



みじめな気持ちは、中学のとき、いやっちゅうほど味わった。



だから、だから、わたしは、みじめな気持ちには、人一倍強いはずだって。


そう、捉え方が変わった。


そこから、なんか、楽になった。世界に対する捉え方が変わった。


みじめ、上等。 みじめよ、きたまえ。



だってさ、散々みじめな思い、もうしたじゃん。

悪口も、きもいも、ブサイクも、死ねも、
病気がうつるも、ゲロ吐き名人も、


たくさん言われたじゃん。



そう思うと、なんかこう。逆に開きなおれるというか。


別に、誰がどう思ったって、関係ないよね。どうでもいいよね。


だって、あの縛られた、どこにも逃げ場がない、中学時代を、わたしは乗り越えられたんだもの。


大人になったいま、それ以上、どうみじめになれというのだろう。周りだって、大人になってるし、

わたしだって、もうあの頃と同じではないのだから。


みじめ、どんとこい。好きにいきてやる。



ふわり