もう一度逢いたかったがいっぱいです。 | ひまわり家のたりらりら~

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昨日、

マレーシアの友達が亡くなったと連絡がありました。



とてもステキな人で

そんな人と出逢えた私は運が良かったと思っています。


ちゃんと

お礼もさよならも言いたいのに


そもそも私はイスラム教徒じゃないし

女だから葬儀にも参列できないし

今後もお墓に行くことも出来ない。



今はただただ

『逢いたいよー』の気持ちと

『逢いたかったよー』の気持ちで溢れています。



私の心の中を整理するためにも

今日はここで書かせてください。




彼は

信頼している友人の1人

イエメン系マレーシア人のハーレムです。


旅ブログを見ていてくれた人は記憶にあるかもしれません。



初めて出逢ったのは19年前の2005年

私が28歳の時


その時、私はただ放浪している旅人でした。


マレーシアに出稼ぎに来ていた

インドネシア人のお婆ちゃんと一緒に過ごすうちに

地元の知り合いも増えていき


そんな知り合いの中の1人でしたが

何の根拠もキッカケもなかったけど

ウソのない人に感じて信頼できる友人となったのです。


その地に

信頼できる友人は2人いますが(ハーレムとハッシム)


その人たちに出逢ったことで私は変われたと思っています。


当時の私はいろんなモノを抱えていて

自分の居場所を探していた頃でした。


何も聞いてはこなかったけど

たぶん何か察してくれていたんだと思います。


「ずっとここに居たらいい」と言ってくれて

何もせずにダラダラと居る私を邪気にすることもなく


家族のいるお家にもお邪魔させてもらったり

奥様や子供たちへの溢れるほどの愛を見せつけてくれました。笑


父の日には

勝手に私の実家に電話しちゃうし↓笑


インドネシア人のお婆ちゃんに生活費を贈りたくて

間に入ってお金を預かってもらったり


なんかわからないけど

会話もたいした話もしてない気がするけど

心の底から信じれたんですよね。


体もデカいけど

心もデカくてあったかくて


マレーシアに行くたびに逢いに行っていましたが

2008年に逢ったのが最後になりました。


その後も

もう1人の信頼している友人ハッシムとは何度か逢えていましたが

ハーレムとは逢えないまま。


時間がなくて逢えなかったり

ハーレムが体調崩していて逢えなかったり


ハッシムから電話が来るたびに

ハーレムの容態を聞いていましたが

回復することはなく

4日前に亡くなったそうです。


男性は3日間喪に服さなければならず

喪が明けた日に連絡をくれました。


なんだろう。


なんて言葉が適しているのかわかりませんが

ただただ感謝でしかなかったです。


連絡しなくてもいいだろうと思われても

全然仕方ないのに

わざわざ連絡をくれた。


それもこんなに早く。


そして

葬儀では私の話も出たそうで


それは

とても嬉しく、とても光栄で。


それと同時に

もう一度ちゃんとお礼が言いたかった、と

逢いたい気持ちと涙が溢れてきて

どうしようもなくって



ちゃんと気持ちの整理をしたくて

当時のブログを読み返していたら


「二度と逢えなくても

俺たちは友達だと思っているから安心しろ」


そんな彼のセリフが書かれていて↓


また涙が溢れてしまいました。



そんなんしているうちに

なんだか彼の声が聞こえてきて


バカだな〜

みんな、いつかは死ぬんだから。

それだけ思い返してくれれば充分だよ。

あとはオマエはオマエの時間を大事に生きろ。



そんな風に言ってそうで

そんな声が聞こえてきて…そう思うことにします。笑



私はちゃんと幸せだよ!ありがとうね。


2005年の日記帳見てたら似顔絵見つけた。笑




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