全然想像ができないことが寂しい | ひまわり家のたりらりら~

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とーちゃんが亡くなってから

よく想像することがあったんです。


これをとーちゃんに伝えたら、相談したら

とーちゃんは何て言うかな?うーんって。


でもそれは

容易に想像できて

なんか生きていた頃と同じように会話しているようでした。


まぁ、単に自分に都合いいように

とーちゃんのセリフを想像しているだけなんだけどね汗




でも

かーちゃんだったら何て言ってくるんだろううーんと想像しても

全然想像ができず。。。


それが

ただただ寂しいです。


結婚前のデートの様子。

若い頃のかーちゃんが若い頃のオイラとそっくりでビックリでした。




かーちゃんは
10年以上前から認知症の症状が現れていて

そうなってからの
かーちゃんとの会話は

会話と言っても
意見を出し合うとか
意思の疎通をはかる、といった具合ではなく

認知症特有の誤魔化すような言い方や
投げた言葉に「そうだね〜」「あ、そぅ〜」といった
差し支えのない単純な返事ばかり

なので
互いの考えを伝え合うような会話という会話は
ここ10年してない気がします。

とーちゃんとは
ちょくちょく会っていたし
よく話もしていたので

オイラが言うことや、やることに対して
どんな風に言ってくるかが想像できるのですが

かーちゃんだったら…のセリフが
まったくイメージできないことが
とても寂しいんです。



もっと話をしたかったな〜

今だからこそ聞けることや伝えられることもあるのに
それらが出来なかった事は
最大の心残りです。



奇しくも
かーちゃんがちゃんと理解できていたと思われる
オイラとかーちゃんとの最後の会話は



ひまわりクローバー