★おてんば娘★HIsToRY★

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可愛いの前では服従!全面降伏!

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2018年3月9日(金)
祖母が亡くなってから一年が経ちました。
今までアメ限やったけど外して全体公開へ
見直したら誤字脱字が多いと気付いたから
少し訂正して当時はPCから書いてたんで
改行とかスマホから見るとおかしなってる
から、できるだけ文字数揃えるようにして
内容はほぼほぼ変わってません。
 
↓当時の内容です↓
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お疲れ様です。
ちびまきです。
 
お久しぶりですね。
アメ限で妄想して以来ですかね。
 
これから書くのは少し暗めの話しやから
まるっとスルーして進まず閉じて大丈夫
 
私事の記録として遺しておきたい内容な
だけですからね。
 
 
 
 
 
 
ってことで。
徒然と書きますかね。

2017年3月9日(金)
午後23時24分

享年86歳
母方の祖母が亡くなった
もうすぐで87歳の誕生日やっのになぁ
 
 

その日うちは普通に仕事へ行ってて1時間
だけ残業し帰る時に母にLINEして返信
なかったけど、いつもの事で気付いてへん
だけやって思って家に帰ったら母はおらん
くて時間差で帰ってきよった。
 
「おばあちゃんが急変した」
そう母から突然告げられ詳しく聞いてみる
と今すぐにどうこうなる事やないってこと
万が一の状態が起きた時の延命治療諸々の
判断は土曜に京都に住む叔父(母の兄)呼
んで決めるって言われた
 
こんとき、うちはそんな急変したって言う
ても大したことないってどこか甘く思って
て持ち堪えてまた元気になるやろって思っ
てたねん
 
だって…………
祖母が入院したんは骨折が原因で入院した
だけやった3月2日には退院って言われて
たねんで?
 
 
 
去年の年末から正月の三賀日までは我が家
で一緒に過ごして祖母が自分の家に戻って
からベッドから起き上がる時にバランス崩
して転けて、そんで叔母(母の妹)が病院
に連れてったら尾骶骨かなんかを骨折しも
うたからそのまま治るまでの入院やってん
 
たったそれだけやったのに
先月半ばに一過性の脳梗塞かもって疑い出
たけど再検査してもなんも見つからんくて
再度起きるかは分からんって言われ喘息も
気管支喘息やなくて心臓からの喘息やとか
肺に水が溜まってるとか……なんか急に色
んな悪いモノが見つかってった
それでも大丈夫やって思ってた
うちが母とお見舞いに言った時も他の患者
さんよりも煩いぐらい元気に喋ってたもん
 
 
夕方に母が祖母の急変聞いて病院行った時
は少ししんどそうやったけど座って喋って
たって言うてた
 
ほんま心の準備なんてなくて急すぎやねん
母も一旦帰ってきて夕飯も食べてリビング
でゆっくりしてる時に母のスマホが鳴った
叔母からで病院から連絡きて脈が弱くなっ
てきたから来てって
ひとまず両親が病院行くから家で待ってて
って言われ……その数時間後に父からの連
絡でうちのスマホが鳴った
もう危ないかも知れんから今すぐ来いって
兄に伝えすぐさま家を出て猛スピードで運
転して現実味がないけど身体は震えとった
 
病院に着いて祖母の病室に行こうとしたら
叔母が泣き崩れ旦那さんと従兄弟に抱えな
がら出てきて、その様子見てびっくりした
うちも病室に入るとそこには人工呼吸器に
繋がられて変わり果てた祖母の姿があった
意識はなくて僅かに呼吸してる状態やった
母は足を擦りながら父は頭上で肩をポンポ
ンしながら声を掛けとった
うちも祖母の傍にいき腕を擦りながら
「ばあちゃん?まきやで。今着いたねん。
わかる?聞こえてる?兄ちゃんもすぐ来る
からな。もう充分頑張ってるけどまだ少し
頑張ろうな。もうすぐで叔父さんも着くか
らな」って声を掛け続けた
 
心拍数が弱くて50
前後をさまよい続けて
て40を切ると赤く点滅してブブブーって
警報が鳴った
その度に「ばあちゃん!まだや!頑張ろ!
息して!吸って吐いて!」って必死に声を
掛け続けた
 
泣き崩れた叔母が戻って来て「まだあかん
って!早いて!まだ逝ったらあかんって!」
って、もう泣き叫んで取り乱しとった
 
30分以上、その状態を何度も繰り返した
延命治療はせんって決めたから闘いやった
最期に大きく息を苦しそうに吸って心拍数
が0になり心肺停止になった
ドラマみたいに心配停止なったらピーーー
って鳴らんからようわからんかったんよな
その最期の判断が……
 
医師が来て「もうこれは逝っちゃったって
ことですか?」って叔母が聞いた
「そうですね。心肺停止状態になってしま
ったので。このまま死亡確認してもいいで
すか?」って聞かれた
 
2017年3月9日
午後23時24分
享年86歳
 
あっけなかった
まさかの出来事やった
嘘みたいやった
 
その後は真夜中やけど会社の上司に連絡し
母は知り合いに連絡して葬儀をどうしたら
いいかの手続きに入った
祖母がお寺さんで葬儀をしたいって言って
たんは知ってたみたいやから、その願いは
叶えてあげようってことで準備に入ってた
 
何時やったかな?
諸々の連絡とかしてると、京都からやっと
叔父が病院についた
 
そんで3月10日午前2時30分頃に葬儀
屋さんが来て、一旦祖母を家に帰らしてあ
げようってなった
骨折治して帰るはずやった家にこんな姿で
帰ることになるやなんて当たり前やけど誰
もそんなん思ってなかった
 
みんなで祖母と一緒に祖母の家に帰った
布団に寝かせ葬儀屋さんが支度してくれた
病院ではまだ少し温もり残ってたけど家に
帰ってきた頃には硬直してもうて手を組む
のも難しい状態で、今すぐにでも起きそう
な感じで静かに眠ってた
葬儀屋さんとの打ち合わせも終わってから
枕経を行い終わった頃には午前4時30分
頃過ぎてて一旦家に帰ることになった
 
いつもやったら仕事で起きる時間に家に戻
って運転してて変な感じやったわ
ついさっき起こった事が嘘みたい
 
家に帰って少し寝ようかと思ったけど寝れ
んからそのまま起きてた
ボーッとしつつ時間が過ぎてって午前8時
頃に会社に再度連絡入れて式場の場所や日
時等を伝えた
 
夜中の打ち合わせでは土曜にお通夜で日曜
に葬儀やったけど変更になって、そのまま
金曜にお通夜で土曜に葬儀になった
 
お通夜まで時間あったから必要なモノ用意
したり愛犬3匹の世話したりで至って普通
に過ごしてた
 
うん……
なんかな身内が亡くなるの初めてやったん
やけど悲しむってことより準備やらなんや
らと忙しくて、バタバタで悲しむ暇なんて
ほぼなかった
 
あと…10日の昼から丁度Da-iCEの
チケット当落で13時から枕経あったから
それ終わって落ち着いたタイミングで当落
結果確認してたからな笑
意外と普通に過ごしとってん
 
お通夜も終えお寺さんに22時までしかお
れんくてギリギリまで祖母の傍におった
親戚一同で祖母の顔がどんどん笑ってるよ
うに見えるんやけどとか写真の祖母の表情
も変わってきてない?とか談笑してた
そんで帰る前に「また明日ね。暫く寂しい
けどここで待っててな」ってみんなで声掛
けてお寺さんをあとにした
 
木曜から一睡ももせずにおったからその日
は死んだように寝た
土曜の葬儀は10時からやったから8時に
は家出るつもりやったのに起きたら寝坊で
時40分やって焦りまくったわ笑
 
母だけ先にお寺さん向かって、私と父と兄
が少し出遅れて向かった
 
お通夜では少し泣いた
翌日の告別式では、最後に祖母の服に果物
に煙草、その上から樒を詰めてもうこれで
お顔見れるのは最後ですからって言葉に涙
溢れてきて「ばあちゃん、お疲れ様でした
ゆっくり休むんやで。じいちゃんと天国で
再会していっぱい話してな」って言いなが
ら泣いた
 
出棺して霊柩車のあと付いて、車走らせて
火葬場に付いてほんまの最後の役目で叔父
がスイッチ押すのを躊躇ってるのを見て更
に泣いた
 
泣いたとこはこのぐらいかな?
あとは移動時でも他の場面でも普通に元気
にしとってお骨も拾って初めて喉仏を見た
高齢やったけど年齢の割には綺麗なお骨で
すって火葬場の人が教えてくれて、みんな
でワイワイしながら全部お骨拾って一緒に
帰った
 
そうしてなんとかお通夜も葬儀も滞りなく
無事に終えた
 
当たり前におる存在が当たり前やなくなる
いつでも会えるなんてことはない
当たり前はないんやと改めて実感した
 
これがキッカケっていうのもアレやけど、
父方の祖母は介護老人ホームに入ってて
目は見えやんけど生きてるからなるべく会
いに行こうって思った
あとこれは言っちゃ悪いけど……
父方の祖母のが90歳越えてて一度危ない
時あったから母方の祖母が先に亡くなると
は思ってへんかった
ほんまそれぐらい急なことやってん
 
大切にしよう
祖母も両親も
 
 
TwitterやLINEでも温かい言葉
ありがとうございました。

めっちゃ雑文やなぁ…思ったことそのまま
書いてるから時系列とかもめちゃくちゃや
 
読んでくれた方はありがとうございます
こんな話で申し訳ねぇっす
 
今はまだちゃんと実感なくてふとした瞬間
に病院に着いてからの一連のこと思い出し
て泣きそうなったりするけどそれでも元気
です(๑•̀ㅂ•́)و✧
普通に笑うしお腹空いたら食べてるし眠い
ってなったら寝るし…うん元気やで(๑•̀ㅂ•́)و✧
 
ほんならまた

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ってことで、ここまでが当時書いた内容で
今でもあの日のことは鮮明に覚えてるわぁ
先週の土曜に一周忌の法要したんやけどな
そん時の会食の挨拶で叔母が人は二度死ぬ
って言うてん。一度目はほんまに息を引き
取って亡くなった時で二度目は生きてる人
からの記憶や思い出が消えた時なんやって
それ、うちもなんか聞いたことあったから
ばーちゃんのこと、どんなことでも覚えと
こって改めて思った。
ほんで、これは偶然やけどレミオロメンの
3月9日がうちのなかで特別な曲になった
この曲が挿入歌として使用されとったドラ
マ(1リットルの涙)も病気で亡くなる話
で歌詞見ると恋愛要素もあるあるけどなぁ
この曲をできれば大好きな工藤大輝さんの
歌声で聴きたくてカバーして貰いたいけど
無理やと思うから、せめてDa-iCEで
カバーしてくれへんかなぁって願いがある
いつか実現してくれたらええなぁ
 

流れる季節の真ん中で
ふと日の長さを感じます
せわしく過ぎる日々の中に
私とあなたで夢を描く
 
3月の風に想いをのせて
桜のつぼみは春へとつづきます
 
溢れ出す光の粒が
少しずつ朝を暖めます
大きなあくびをした後に
少し照れてるあなたの横で
 
新たな世界の入口に立ち
気づいたことは 1人じゃないってこと
 
瞳を閉じれば あなたが
まぶたのうらに いることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私も そうでありたい
 
砂ぼこり運ぶ つむじ風
洗濯物に絡まりますが
昼前の空の白い月は
なんだかきれいで 見とれました
 
上手くはいかぬこともあるけれど
天を仰げば それさえ小さくて
 
青い空は凛と澄んで
羊雲は静かに揺れる
花咲くを待つ喜びを
分かち合えるのであれば それは幸せ
 
この先も 隣で そっと微笑んで
 
瞳を閉じれば あなたが
まぶたのうらに いることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私も そうでありたい
 
レミオロメン/3月9日