「夫婦別姓」とは夫婦にて互いの姓が違う事です。
明治時代より前は庶民には氏を名乗ることは許されていませんでした。
皇族は皇族の倣いにより氏を許されておりました。
武士は領主の指示や許可を得て氏(姓)を用いておりました。
武士の家系が存続の主体をなしていたので、家系の廃絶は武士としての生き方は
以後出来ないのでした。
明治31年に施行された民法では、戸主と家族は家の氏を名乗ることとされた結果、
夫婦は同じ氏を称するという制度が採用されました。
昭和22年に施行された民法では、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、
夫又は妻の氏を称する」とされました。これが、現在の制度です。
厚生労働省が取りまとめた「人口動態統計」によれば、夫の氏を選択する夫婦の
割合は以下のとおりです。
令和 元年 約95.5%
平成27年 約96.0%
平成22年 約96.3%
平成17年 約96.3%
平成12年 約97.0%
平成 7年 約97.4%
夫婦同氏制度の意義について、平成27年最高裁判決では、
・ 氏には、夫婦及びその間の未婚の子が同一の氏を称するとすることにより、
社会の構成 要素である家族の呼称としての意義がある
・ 夫婦同氏制度は、家族を構成する一員であることを対外的に公示し、
識別する機能を有している
・ 家族を構成する個人が、同一の氏を称することにより家族という一つの集団を
構成する一員であることを実感することに意義を見いだす考え方も理解できる
・ 夫婦同氏制度の下においては、子の立場として、いずれの親とも等しく氏を
同じくすることによる利益を享受しやすいといえる
また選択的夫婦別氏制度については、
・ 例えば、夫婦別氏を希望する者にこれを可能とするいわゆる選択的夫婦別氏制度
について、そのような制度に合理性がないと断ずるものではない、
・ この種の制度の在り方は、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならない
というべきである、との旨の判示がされています。
前置きが長くなりましたが、我が日本国の民は「単一民族」と言われている。
諸外国は、国土が広大だったり、陸続きという事で、人種(族)が入り混じって
氏名の付け方が異なっている民族が同じ国に住んでいる事により、
それぞれの違いがあるのだから、その状態の考え方を我が日本には当てはまらないと
私は思う。
日本の法律では婚姻する2人のうち、どちらかが自分の苗字を捨て相手の
苗字に組み入れられないと結婚できないのである。
このような日本の婚姻制度は「夫婦同氏制」と呼ばれるものです。
これは各々の家族という関係を明確にして、我が先祖を受け継いでいくための
制度と思う。
誰もが先祖が在ってこの世に生を受けたのであるのだから、それを後世に
残し継続するシステムと思う。
自由民主主義の社会環境で私は私では、人間という集団動物の世界で
楽しく日々を過ごせるとは思いません。
私の生まれた姓は変えたくない、だから婚姻しても、その姓を受け継次いで
生きていく、それは少し勝手が違う、そもそも婚姻という事は後世に
子孫を残すための規則である。
人間は「考える葦である」という高等動物で規則を作り、規則に従って
生活を続けて来た高等知能動物です。
規則に従わなくても子孫は残せるだろうが、規則に従わない子孫は、
人間社会で生きていくのは大変に無理が有るように思う。
規則に従わない子孫、またその子孫はどうなるのだろうか。
兄弟、姉妹の関係はどうなるのだろうか。
私たちは先祖が在ってこの世に生を与えられた、それは近い先祖、
祖父母、父母が在って兄弟姉妹があり子供が生まれ、それに連れて
孫が誕生して一連の家族である。
夫婦別姓では家族が生まれた時に姓が付けられるが、その姓が大人に
なってから好きではない祖父の姓が良いと思う事が有るだろう。
子供には姓を選べないで付けられた、これでは後世の子供たちは家族
という事は無く別べの個人という事になるのではなかろうか。
我ら人間社会は集団動物なのだから、何らかの形で小集団の絆を作り
助け合って後世に受け継いでいかなければならない民族集団なのだ。
昨今グローバル意識を持って社会構成をしなければならない事はあるが
私は私では先祖が作り上げた土台が崩れているように思う。
我が日本国は民主主義の国家で個人の自由は尊重されるのです。
個人の自由は「個人の勝手」では無いことを知りましょう。
参考