今流行りの?世界観ブログ 今に至るまでざっとー! | 着物を楽しもう☆着付け教室 ひまり庵@大阪市淀川区十三

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大阪市淀川区十三で着付け教室 ひまり庵を
開講中。着物って高価で面倒くさいって
思ってらっしゃる方にも、もっと気軽に着物を
楽しんで頂きたい。私と一緒に着物を楽しみましょう♡

なんだか周りで流行ってる?
世界観ブログ


幼少期から 今に至るまでの歴史。

そんなの誰が興味あるんだろうと
思いながらも案外わたくし、人の世界観ブログ
を読み込んでしまったりするので
たぶん皆さまご興味あるんでしょ

周りの人だけね、、笑笑

この勝気な負けず嫌いの塊で
人付き合いが超苦手、だけど
寂しがり屋の私がどのようにして
できたか

わたくし、中身はかなり屈折しております

嫌いなのに大好きだったり

大好きだったり嫌いだったり
コロコロ日替わりで変わります

気も多く、フワフワしてます



子供の頃は 1つ上の兄の前を歩く、、

かなり勝気でほぼ男の子のような
性格でしたねー。


↑この頃から着物の時は仁王立ち!



兄がそれはそれは穏やかな優しい
性格で たぶん何でも 自分の思うとおりに
していたんだと思います。


その頃から 空想癖がひどくて
丸一日、何か空想して ノートに色々
メモとか 絵を描いている子供で

たぶん変わった子供だったと思います

あと言うこと聞かない子供なので
子育てには苦労したと思います

どんなに 親がこう!って言っても
自分で納得しないと動かない

めちゃくちゃ頑固で そんな子いたら
絶対嫌やろーって

自分でも思います

なぜか子供の頃から家出癖もあり
フラフラと何処かへ行ってしまう、、

何度迷子のアナウンスをされた事か、、

すみませーん。

ややこしい子供だったと、、、

でもこんな事書いたらまた、、と
思われるかもですが、、なぜか
お勉強だけ、、成績だけは
小学校時代までは良くて 特に作文は
いつも褒められてましたー。あー
嫌だー自慢だー。でもホンマやから。


親に言われるがままに 大阪の中高一貫校を
受験して なぜか倍率20倍を突破!
かなりのトップ校なんですよー。



やはり私はすごいわーって
天狗になって いたこの頃

すぐ調子にのりまくるのが私の特徴ですね

周りは基本みませーん。


意気揚々と入学した学校、、

周りは医者や学者さんの子供ばかり、、

やーんセレブなお子様。


そして 東大、京大目指す方々ばかり

小学校でトップでもここでは平凡以下

私の暗黒時代がはじまります、、、

中学高校の記憶は結構飛んでいて

暗く、、なんもないんですよねー。



基本的に本ばかり読んでいたと
思います。

それも暗い本ばかり、、

人生って辛いな、、楽しくないわー
って思ってました

毎日毎日 本と仲良し

友達も基本いたような、、いないような

その頃から付き合いあるような
人は1人もいません。


写真もあまりなく、

もっと中学高校と楽しめたら良かったのになー
と思いました

そして その頃の私の癒しは毎週通う
絵の先生の教室です

根暗街道真っしぐらの私は
その 絵の先生のアトリエに通い
黙々と絵を描き続けることだけが
人生の癒し

その頃、先生のアトリエには ジャスやら
クラシックとか
かけられていて音楽も渋いものを
自然と聞いてました

絵の世界に行きたいなー

絵は私を救ってくれるかも


絵の世界なら
こんな私でも 自由に生きていけるかも
そう思ってました

あとその頃に先生のアトリエに
沢山の絵の画集がありそれを
眺めたりするのが好きでしたね


図書館でも一人で 黙々と絵の画集を
借りて眺めたりする暗いわたし

それとルドンやエゴンシーレなどの
闇を抱えた 作品が好きで、、

↑ルドン


↑エゴンシーレ
それを眺めていたら落ち着く、、
みたいな??笑笑 暗いわー、、病んでるわー

今の明るい面からは信じられませんが

とにかくコンプレックスの塊のような
思春期でした


でも絵で救われていたんです

だから今でも私の恩師の一人であり
もう一人のお母さんみたいな絵の先生には
感謝してます

先生がいたから暗い思春期を乗り越えられたと。


大学は 迷わず 絵の道に、、ではなく
美術館の学芸員志望で美術史がある
学科を選びました

好きなことしかしない主義でした


大学デビューって言葉がありますが

まさに私の大学時代は楽しくて楽しくて
今までの鬱屈した時代が嘘のように
ぱーーっと弾けました

といっても特に はしゃいだりする訳ではなくて
至って真面目なんですが、、



そして この大学時代は人生のモテ期?

なんかしらんけどモテまくり、、


浮かれきっていた人生の春、、4年、、


海外志向も強く 海外で働きたいーとか呑気に
いってましたね

ロンドンにも語学留学させてもらったり

あと、、放浪癖があるので

フラフラ〜ってよく旅に出てました


一人旅。

北海道やら 沖縄の離島まで

アルバイトしてためたお金はすべて
一人旅に使い切り、、

バックパッカーってやつですか?

それはそれは自由で楽しく
もう!人生の春やーってくらい
楽しい 毎日でした。


基本、自由が好きなんですね

楽しいこと大好きなんですー。



気ままな大学生活を終えて
就職したのは某家具屋さんの営業です

なぜか営業成績はトップクラス〜

しかし、全然合わなかったですね

22の頃、、変わらん。



基本、なんでも思ったことを正直に
いってしまうので
衝突してしまうんですよ


人付き合い苦手モードが一気に戻ってきて
しまい、、しんどくてしんどくて
毎日頭痛がして苦しくて

重い足取りを抱えて会社にいくけど
会社に入るとすぐ頭痛がして
薬を飲んでなんとかやり過ごし

こんなにも社会不適合なわたし、、

また人生の、暗黒時代が蘇ってきました

ここまで書いてて思ったんですが
やはり人には
合う場と合わない場があるんですよね

自分がダメなんじゃなくて
合わない、空気が合わない、、
それだけなんです。

合う場にいったらイキイキと羽根を伸ばし
自分の才能を開花できるのは
当たり前のこと


それだけ、、なんです

自分が悪いんじゃない

私には やたらとエリートの学校は
合わなかったし、、営業マンは合わなかった

それだけなんです。


すぐ自分否定をしてしまう思考回路なんで
それは違うよーって
当時の私に言いたいです

そうこうするうちに、寿退社をして
専業主婦に専念。

↑妊婦さん時代

専業主婦なんてまさか自分がするとは
思ってませんでした。

ずっと働くと思っていたから

しかし会社、、組織ってヤツにとことん
馴染めないわたし

わたしは社会不適合者かも、、なんて
思いはじめて
でも目の前の子供はやはり可愛いくて
子育てに没頭する日々でした


わたし、小さいお母さんに言いたいのは
やっぱり子育てに没頭する時間ってとても
大切だと思うんです
子供って自然とホンマに自然と
離れていきます


それを感じたのは
いつも一緒にお出かけしていた
休日の午後、、子供2人がどこか
友達と遊びにいってしまった昼下がり

ぼーっとコタツで一人でいたときかな

子育てから解放されてやったー!じゃなくて
寂しくて寂しくて泣いちゃったんです

いつも私の周りにまとわりついて
ママ〜ママ〜って言ってきた子達が
勝手に遊びにいって
ちっともかえってこない現実、、


そしてそれはこれからも続くであろう現実、、

旦那さんは仕事に忙しく
わたしは独りぼっちやーん 涙


ということで、、、、着付け教室を
開講するまでは
メルマガや 本などでも書きましたので
割愛でーす。


誰が興味あるなんて分かりませんが
なんか面白いので書いてみました

ここまで読んでくださり
ありがとうーございますー!