師走2日
朝暘の東京湾岸
kmsk50さんから、アドバイス頂いた、東京レインボーブリッジと東京ゲートブリッジを走りました。
これが最初で最後とばかりに、それぞれ往復しました。
東京ゲートブリッジの頂上から見た富士山が、えもいわれぬ程美しかったですよ。
kmsk50さん、素敵なアドバイスをありがとうございました。
金沢文庫
金沢文庫は鎌倉時代のなかごろ、北条氏の一族(金沢北条氏)の北条実時が武蔵国久良岐郡六浦荘金沢(現、横浜市金沢区)の邸宅内に造った武家の文庫です。
現在は、「神奈川県立金沢文庫」として、鎌倉時代中心の歴史博物館になっています。
横須賀
日露戦争の時に、東郷平八郎元帥が乗った戦艦三笠です。
三笠は日本海海戦において、東郷平八郎司令長官率いる連合艦隊の旗艦として勇猛果敢に戦い、歴史的な大勝利に貢献しました。
世界三大記念艦の一つです。
横須賀海軍カレー
今の日本式カレーの発祥ですね。
やっぱり僕にはこういうカレーが一番です。
♪ここはヨコスカ♪
横須賀と言えば、やっぱり山口百恵さんの「横須賀ストーリー」ですね。
サビの最後の♪ここは横須賀♪はめっちゃ印象に残っていますよね?
ぐるり三浦半島
富士山
観音崎へ向かう国道16号線から
燈明堂
燈明堂は浦賀港の西にあり、港に出入りする船にとって灯台の役目をしていました。
慶安元年(1648)幕府の命により造られ、菜種油で灯された光は海上4海里(7.4km)を照らしたといわれています。
元禄の頃から、最盛期を迎えた東浦賀の干鰯問屋の負担で維持管理を行い、明治5年(1872)に廃止されるまでの約220年間、一日も休まずに航路の安全を守ってきました。
建物は明治20年代まで残っていたといわれていますが、風雨で崩壊し石垣だけが残されていました。昭和63年(1988)に、残った石垣の上に現在の建物が、当時の外観に復元されました。
慶安元年(1648)幕府の命により造られ、菜種油で灯された光は海上4海里(7.4km)を照らしたといわれています。
元禄の頃から、最盛期を迎えた東浦賀の干鰯問屋の負担で維持管理を行い、明治5年(1872)に廃止されるまでの約220年間、一日も休まずに航路の安全を守ってきました。
建物は明治20年代まで残っていたといわれていますが、風雨で崩壊し石垣だけが残されていました。昭和63年(1988)に、残った石垣の上に現在の建物が、当時の外観に復元されました。
千代ケ崎砲台跡
千代ヶ崎砲台は、江戸時代後期に会津藩により造られた平根山台場跡地に隣接し、1892(明治25)年から1895(明治28)年にかけて陸軍が建設した西洋式の砲台です。 標高約65mの山の上には、3つの砲座が南北に並び、1砲座に2門ずつ榴弾砲が設置されていました。砲座はすり鉢状で、地下には煉瓦の壁とコンクリートの天井を持つ掩蔽部(ルビ:えんぺいぶ)や弾薬庫が造られました。弾薬庫に残る砲弾を供給するための揚弾井や、砲台内部に造られた給排水のシステムなどが残っています。 築造当初の姿を良好に留めていること、日本の近代の軍事や築城技術を理解するうえで重要であることから、2015(平成27)年に国の史跡に指定されました。
見たかったのですが、平日は休みでした。
残念です。
城ケ島大橋の上から
葉山の海岸
北近江@旅人