10日前、親友が突然逝去した日の翌朝、秋田時代の友人二人が松本へやって来た。
その二日前に、小田原に住む友人が横須賀に住む友を誘って、遊びに来ると言っていたのだった。
その彼が電車に乗ったという連絡を寄越した直後に、携帯が鳴り <おう、Sからか。 久しぶりだな>と電話を取ると、 それは奥さんからの電話で、Sの訃報を知らせるものだった。
しばらくは言葉を失っていたが、気を取り直して塩尻駅へ向かい、彼ら二人と落ち合った。
小田原からやって来た友人は、Sの中学時代の野球部仲間でよく知っている仲だった。 彼の死を告げると奴も絶句、信じられないと連発していた。
夕方、二人の内一人は小田原へ、一人は(出向中の)仙台へ帰っていったが、もう秋田に辿り着く術が無いので、翌朝(18日)の電車で秋田に向かった。
そして秋田に着いて葬儀場に直行すると、通夜が始まる直前で小田原の彼も顔を出していた。 電報くらいは出すのかなと思っていたが、秋田まで飛んでくるとは驚きであった。
そして翌日の葬儀で、Sの子供達にお願いして(家族同然なので)小田原からのIも葬儀後の精進落しに加えてもらった。
そしてその夜、「これもある種の因縁で、Sに導かれて秋田に来たようだ。」とIは言う。
Iは相当に不思議な奴で、卒業後三十年も会っていなかったのに、俺が山屋をやっていると知って、俺が死に掛けた時と一致するかは分からないが、三回も死に掛けたお前の夢を見たと言う。 このことは十五年も前から、<死にそうになったお前が見えて、いつも気にしていた>と言っていたのだった。
今回の件についても、奴の言うことが本当に思えてくる。
そして俺に言うのだ 「ガンよ、業火に焼かれたくないなら暫く共存して息を潜めていろ。 さすれば、何年かは奴らを押さえ込めるから。」と。
何だか彼の言うことを聞いていると、そう思えてくる。 彼は「俺の周りにはイタコのような人が一杯いたから。」 そういう言葉を聴いて、喪失感からの脱出を図らねば、と思う次第である。