緊急事態宣言が緩和され、私の仕事も再開された。

なにもしない気持ちで仕事へ行く。
それでも、物事は勝手にやってくる。

仲間と話して笑ったり、こなすべき業務に黙々と取り組んだり、資料の内容に急に興味が湧いて熱中したり。

きたものを淡々と片付けていく。
そんな風に過ごすのがとても楽だ。
無理になにかをしようとしなくていい。
なにかやらなきゃ、変えなきゃと思うと急に窮屈な気持ちになる。


私の仕事は、ある程度結果を求められる業種だが、良い結果を出そうとこだわって変な力が入ると、お決まりのように歪んだ結果が待っている。

そこに至る気持ちも大変苦しい。


今日は、特にこだわってはいなかった(と思っていたけれど)が、ちょっとしんどい出来事があった。

そんな時、私は自分の気持ちをよく見るようにしている。

今、どんな気持ち?
なにが嫌?
なにを守りたい?
どうしたい?

そんなことをしていると、だんだんと自分が大切にしたい所に焦点が定まってくる。


それでもどうしようもない時、帰って夫に話を聞いてもらう。そして、私の感じた気持ちは間違ってなかったんだと知り、ようやく安心する。

間違ってる気持ちって何だよって感じだが、共感してもらうと安心するものなのだ。


そこで感じた気持ちを直接仕事関係の人にも話すべきなのかと考えてみるが、話す必要があることなら、自然と話すべき環境がやってくるだろうという答えに行き着く。

ここでも、やっぱりなにもしない。


こんなふうに色々と考えたから頭も疲れたのか、その翌日は休日だったので、珍しく昼まで寝ていた。


社会に接すると楽しいこともあるが、苦しいこともある。でも、それも含めて愛おしいなと感じる。

生活してるな、生きてるなって。



それもこれも、緊急事態宣言で引き篭もり生活を経験できたからこそ感じる感情。

ありきたりな言葉だけど、無駄なことって何もない。




もっともっと達人になったら、ごちゃごちゃ考えることなく、感情の起伏も穏やかなまま、身を任せて生きられるのかな。



「おばあちゃんって特になにもしてないのに、すごく幸せそうだよねー。ねえねえ、ちょっと聞いてよー」

なんて言われる未来を想像して、少しあったかい気持ちになった。