昨日、中学時代の同級生とひとりは29年ぶり、もうひとりは15年ぶりに会いました。
私は学生の頃、夏休みの登校日なるものが好きで、みんながどう変わったのか、自分だけ置いて行かれているのではないかと目を凝らして見ていたものです。
中学生は多感な年頃だったので、みんな感情剥き出しで衝突が多く、勘違いも多く、人を傷つけたり傷つけられたり、今と違って当時は先生の地位が高かったので暴力を振るわれたり、先生がいじめのきっかけを作っていたりすることもありました。
女3人、酒を一滴も飲まないのにもかかわらず8時間も、土曜日の池袋なんて輪をかけて混雑しているので場所を3度も変えながらしゃべり倒しました。
今は場所も時間も問わず気軽にLineやケータイで連絡を取れますが、私が中学生の頃は家の電話を親ときょうだいの目、相手の時間を気にしながらこそこそ使ったり、手紙で連絡を取ったりしていました。
クラス替えで別になれば交換日記をやったり、クラブや委員を同じにして会えるようにしてみたり、そんな濃い友達時代があったこそ、こうしてずっと会わないでいても昔話が止まらなくなるのだと思うのでした。
同学年だった子が病気や自殺などで亡くなったとか、離婚した、まだ独り者でいる、もう孫がいるといろいろ聞かされ、50代はそういう年齢なのだと改めて思いました。
私自身はこれまで大きな病気はないものの、弱視なのに老眼が進んでいる気がするし、膝が痛い、シミや耳鳴りや飛蚊症が気になる、すぐ目が冴えてしまってあまり寝られないなど、確実に年を重ねる=死に近づいていることを実感しています。
ところで、今「大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ/中村仁一」という本を読んでいるのですが、医療が”穏やかな死”を邪魔しているとか、「できるだけ手を尽くす」は「できる限り苦しめる」、がんは完全放置すれば痛まない、自分の死について考えると、生き方が変わるなどといった見出しが並んでいて、強く興味を持っています。
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