主に携帯で気が向いたら更新。
尖閣諸島衝突映像流出。
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実際の衝突シーン ミン晋漁5179
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流出しちゃいました。
明日のトップニュースになると思います。
多分動画はすぐに除去されると思うから、今の内に保存することを推奨します。
いわゆる尖閣諸島問題です。
はっきりいいます。
ちょっと感情的になってしまいますが、すみません。
尖閣諸島は日本領で間違いありません。
何故日本領なのかとか、今回はそういうとこに突っ込む記事を書こうとしてる訳じゃないので悪しからず。
若かりし頃の体力はありません。
中国側の主張。
もう呆れてものも言えない。
何年か前によくこういう話題で記事を更新していたころなら頃の記事なら「これが国家のすることか」とか絶対に書いていたと思うが、民主党政権になってしまい日本政府自体がこの動画を隠すような馬鹿みたいな時代になってしまったので、そんなことも言えない。
以下は国民に公開されてない時点での与党議員の発言。
(社民党) 福島瑞穂社民党党首「車が道路でちょっとコツンとぶつかるような、あてて逃げるという映像だ。(挑発行為は)離れてるし、分からなかった。反日デモがエスカレートしている状況だ。国民に公開することは慎重であるべきだ」
(民主党)小林興起衆院議員「向こうが逃げまどって、当たっちゃったということだ。衝撃があるような当たり方じゃない。ぶつかる瞬間はカメラの位置からして見えない」
(社民党)服部良一衆議院議員「中国人船長を逮捕したこと自体に疑問がある」
おい。
ふざけんなよ。マジで。
民主党が政権を取ってから確実に日本崩壊に向かってるとしか思えない。
あまりにも酷過ぎる。こんな政府があっていいものか。
自民政権時代の日記ではよく某政党のことを「どこの国の政党だ」とか書いてたが、今は「どこの国の政府だ」になってしまった。非常に悔しい。
あまりにもこういう問題に関して無関心過ぎるのではないか。
中学時代から馬鹿みたいにこういう問題に関心を持って色々と調べていたのは今思えばよかったなと思う。
これは実際の画像。
本当に今の民主党政権には国民が危機感を覚えていいと言っても過言ではない。
あーーーーーーもう。
なんで釈放したんだよ。
意味わかんねーよ仙谷。
これを釈放してなにになんだよ。
完全にぶつかってきてるだろ。
自分たちの領土って自信持ってんならそんなことしねーだろ。
どこの国の政府だよ。
メドベージェフ大統領が日本の北方領土に踏み込んだのも、明らかに今が日本の弱点だと思っての行動としか思えない。
民主党政権で日本はボロボロになる。
もう竹島も北方領土も尖閣諸島も占領されて戦争にでもなって国民に危機感持たせた方がいいんじゃないの。
愛国心はもう戦後のアメリカ占領政策でズタズタにされてるし。
国旗もろくに掲げられない国に住んでて恥ずかしい。
ZENちゃん追悼
去年買ったmp3プレイヤーのZENちゃんを先日どこかでなくした。
恐らく学校。
早稲田祭前で1番プレイヤーがフル稼動すると予想されてたこの時期に紛失するのはさすがに予想外だった。
ただ嘆くばかりである。
今夏にZENちゃんの新シリーズが発売されたことを思い出し、その購入も検討したがそれよりも金がない。
そして昨日、そのことを寮で嘆いていると、奥野氏がいらなくなったWALKMANをくれた。
これが所謂神の所業である。
早速使い方を完全にマスターし、ZENちゃんに入れてた曲のバックアップを全て転送。
愛情を込めて使用していたZENちゃんの意思はこうして継がれるのであった。追悼。
こうして2時間にしてZENちゃん(仮)が出来上がったのである。
いつか新しいシリーズのZENちゃんを購入しようと思うが、それまでの我慢である。
だいがくせいになりました。
ちゃっちゃちゃーす。
どうもです。
また更新が止まってしまいましたね。
しゃーないです。
あれから腰痛が一度悪化しましてね、本当に大変でした。
もう、みんなも腰痛にだけは気をつけてもらいたい。
ちなみに塾講師は落ちました。はい。
まぁ、解の公式もわからなかったし!!!!
しかたない!!!!
俺がもし人事担当だったら、スパッと落とす!!!
という訳でバイト探し中です。
腰痛が少しずつ退いていってからまた活動は再開してました。
いろいろ行ってー…というのはまた書けたら書きます。
はい、でですね、そろそろ書かないと現実の時系列にこのブログが置いてきぼりにされたままになるんではないかという危機感がだんだんと積もって参りましてですね、今に至る訳です。
でも実はもうすぐ登校しないといけないというジレンマ…。
もう授業中に携帯で書こうかな(笑)
ちゃんと写真うp出来ないのが痛いけど、帰ってから修正すればいいか。
はい、そろそろ書き始めます。
出発してからですね。
東京駅です。
あ、サイズ小さくしてみました。(携帯だと変わらないですけど)
いちいち手動でサイズ変更するのがめんどくさくなったので(笑)
当時の写真を見返すと、新幹線を撮ったものはなかったです。
もう何回も乗ったせいか、新幹線のありがたみは頭の中にはもう既に無かったみたいですね。
着いたのが手帳によると7:23です。
二上駅出発が3:28分なんで4時間ってとこですね。
でも実はこっから寮までが意外と遠い。
なんだかんだで寮に着いたときには9時くらいだった気がします。
着いた当初の寮の部屋の写真がありました。
いまと違ってめちゃくちゃ奇麗で感動!!!!!
こんなきれいやったんかwwwwww
いまはもう生活感がぷんぷん漂う男子の部屋になってます。
まぁ、そんなもんです(笑)
それからの流れがふつーと違うのが早稲田。
つーか、入学式前から学校あるとかあほですか?笑
とにもかくにも、次の日初登校しました。
学校に着くと、新歓が物凄い。
マジで凄い。
祭かよってくらい。
狭いキャンパスに4万人程度押し込められてる状態だから、
他の学校とは比べモノにならないくらい人の数が多かったです。
というか通れない(笑)
香芝駅前の下田の祭り(←超ローカルネタ)とかそんなレベルじゃないwwwww
すると、いきなり典型的なチャラ男につかまりました。
チャラ「ねぇ、君テニスとか興味ない??」
テニサーキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!
ほんとにテニスやってるんですか、しかも部員黒髪2人くらいしかいないじゃないですか。
俺の新歓はここからスタートでした。
もっとまともなサークルが良かった…笑
持ち前のスルー力を利用して颯爽ときりぬけました。
はよいかな時間間に合わんから!
で、教室に入るとそこは教育学部地歴専修ばかり。
こんなにもいるんや、と感慨深かったですね。
というか俺自身転専修(地歴専修→社会科学専修)するつもりまんまんだったんですが、なんかもういいかなって思ったんもここでしたね。
そしてですね、一人一人プリントが配られました。
「自動登録結果通知書類」らしいですが、ようわからん。
なにしろ、教科が既に登録されてるらしい。
まぁ高校まではそれくらい当たり前だったけど。
で、ここから自分で科目登録をして埋めろっちゅー訳です。
地歴は必修科目がかなり多いので、この時点でかなりの部分が埋まってたわけですが。
(ちなみに受験をするなら、必修の少ないシャカ専もしくは社学をオススメします)
そっからクラス会。
今でも友達に語り継がれる事件がここで発生します。
さっきの教室に居た地歴全員が三つのG1G2G3というクラスに分かれました。
ひとクラス50人くらいだった(気がします)。
このときで基本決まるんですよね、クラスの雰囲気が。
しかも、地歴ではここに集まった以外にクラス会が無いみたいです。
実質クラスなんか存在しないようなもんなんですよ。
でも、一応は同じクラスなんだし、クラス会とかしたいし…という訳でまぁなんとなく期待を膨らましていたんです。
クラス担任はどはまり授業カス語…じゃなくてトルコ語の先生です。
カス語…じゃなくてトルコ語の授業はほんとにだるい。
第三外国語の如くトルコ語のことしか授業で扱わないんですよ。
歴史まったく関係なし。
これで授業の名前が「歴史学基礎演習」。
もうね、あほかとバカかと…
………とまぁそんな話はおいといて、その先生が担任でした。
先生「とりあえず時間も余ったことですし自己紹介でもしましょうか」
はい。
そりゃそうです。
みんな友達少ないし、この時点ではほんとどがシーン。
自己紹介して親睦を深めよう、そうしよう。
一番前の席の女子「え、いやだ」
先生「あ、そうですね、まぁ恥ずかしいでしょうし無理に(ry」
はあああああああああああああああああああああああああああああああああ!?
ここからG1の凋落が始まります。
G3の悪夢も始まります。
G3は、クラス会たのしいらしいです。
うらやましい!!!!マジでうらやましい!!!!!!
俺たちG1は、女友達がほとんどいません。
だってクラス会がないんだもの!!
ほんとうにクラスの一体感なんてものはないです。
え、お前G1?
こんなんです。
この前、音楽サークルに顔出しました。
そこで仲良くなった友達に、学部学科聞くと、なんとG1でした。
そんなもんです。
がんばれG1!とりもどせG1!
次の日も事務的な集まりがありました。
これが31日です。
大隈講堂での科目登録方法説明会と教職ガイダンス。
大隈講堂はこれです。
早稲田といえばここですよね。
新入生歓迎イベントでとある先輩がこう言いました。
「三限目に授業を入れなかったら、昼休みが長くなってゆっくりご飯食べれて便利だよ」
それに従って実際火曜日の三限を空けてみました。
いまでは週で一番ヒマな時間と化しました。
4/1。
やっと来ました入学式。
ふつうはここで初めて顔合わせですよね。
入学式の写真はデジカメにあるそうですが、デジカメ実家です(笑)
という訳で俺がとった写真を…って思ったんですが、そんな写真撮る時間ないです。こんでて。
入学式も、新入生が多いからか4回に分けてしたみたいです。
教育学部は2回目でした。
あ、ちなみに、
寝ましたwwwwwwwwwwww
ここ最近いろいろ忙しくて疲れてたからwwwwwww
WASEDA UNIVERSITY!
以外とかっこよくてお気に入りです。
なんか、本当に大学生になったんだなぁと実感。
ちなみに入学式の日はわざわざ両親が足を運んでくれました。
(デジカメを持って帰ってくれました(笑))
祖父が入学祝いとしてスーツを購入してくれましたので、
スーツを着た入学式当日の写真を撮ろうということで、大隈講堂をバックにして撮りました。
あ、ちなみにですね、入学式は大隈講堂じゃなくて文キャンにある記念会堂で行われていたので、大隈講堂周辺は比較的すいてました。
そっから一歩正門に足を踏み入れると新歓に巻き込まれて終わりですが(笑)
入学式では安倍に会いました。
写真を撮った気がしますが、まだ貰ってません(笑)
そんなこんなで高田馬場まで行き、駅周辺のラーメン店で家族でラーメンを食べました。
それが今んとこ最後ですね、一緒に食べたの。
それで、馬場のロータリーで両親と別れて寮に帰宅しました。
帰ってからは基本身支度に追われましたね。
部屋の整理やらなんやら。
テレビやプリンターのセッティングもこのときですね。
次の4/2は久しぶりに休日でした。
ついでに科目登録の最終日だったので、必死に科目登録と闘っていました。
確か5時間近くかかった気がします。
とりたい授業と、教職科目との兼ね合いなど、いろいろと悩まされました。
そして時間か余ったので、夕方から学校に赴いて水泳サークルのブースへチラシをもらいにいきました。
水泳やるきでした(笑)
ちなみにその次の日が水泳の新歓で。
花見です。
その日は教育学部主催の入学式も兼ねていました。
教育学部だけですので、以外とすいてました。
なのでパシャっと。
2回目の入学式。なんか変な感じです(笑)
このあと水泳の新歓でした。
花見したあとサイゼリア。
ここから、悪魔の日々が待ち受けているとも知らずに…笑
気持ちまだまだ高校生でしたね。
授業も始まってませんでしたし、イベント続きで本当の大学生活は掴めなかったです。
これから授業が始まっていったんですが、そっからやっと大学生になったことを実感し始めた気がします。
「だいがくせいになりました」
とりあえず、この題名で書こうと思っていたのはここまでです。
また、続き早めに書きます。
ちなみに昨日、1600字以上のレポートしと、プレゼンテーションのパワーポイントの課題をどっと済ませたんですよね。
それで今、開放感に満ち溢れています。空も飛べるはず。
そのノリでブログを書いたといえばあながちまちがっていないかもしれない(笑)
とにかく!
続きはまたっ
入学までの空白期間。
まず3/8。
甲斐くんらと畝傍山を登山したり、神宮いったり。
でも、3月末に行った葛城山登山の方が印象強いんのは仕方ないww
久しぶりに見た橿原神宮。
やっぱでかい。
昔は家族で初詣にいくときはいつもここに来てた覚えがありますが、
10年くらい前から大神神社のほうに参拝するようになりました。
という家族レベルの内輪ネタ(笑)
今しみじみとこの画像を見て奈良に帰りたくなった(笑)
やっぱ奈良の町っていいよね、独特な雰囲気持ってて。
地元の友達とワンカル。
というか塾の友達でもあるw
塾というとかっこいいけど、あの「がんばる学園」です(笑)
あと東京にきて色々と語弊があるのが「地元の友達」って言葉。
高校時代で地元の友達って言ったら小学校時代の同じ市町村に住んでる友達みたいな意味だったし、
まぁさっき使ったのもそういう意味で使ったんだけれども、
こっちきて「小中高校時代の友達」=「地元の友達」にひとくくりにされてます。
これもまぁしかたないですな。
3/15。
同じクラスの男子を集めて難波PARKSで中華料理のバイキング!!
超うまかった!!!
あと、久しぶりにみんなに会えて感動。
東大受かった奴もいるし(笑)
東大とかもう異次元(笑)
といいながらも高二のときに東大の学食に特攻した気がする。
いや、なかったことにしよう。
あと、店員がちょーかわいかったww
チャイナドレス反則すぎるwwww
なんだかんだで、1日だけにしては記憶に残ってる日でもあります。
でも、
U「え、女子呼んで良かったん!?」
全員「いや呼べよ!!!!!!!!!!」
ワロタwwwwwwwww
俺も心から女子を呼んでほしかったです。
夏もし集まるなら女子を呼んでくださいお願いします(真顔)
3/16。
東京きました。
寮の見学。
これ入口です。
父と一緒に行きました。
あ、いまはここに住んでます。
住み心地めちゃくちゃいいですよ。
どれくらいいいかは、書くの面倒なのでmixiのプロフから引用で(笑)
地元奈良を去って東京で寮生活をしています!
マンションやアパートじゃなく同じ大学の友達と共同生活のできる寮を選んどいて本当によかったとしみじみ。
なんといっても部屋を出て最低徒歩2秒で友達の部屋に行けるってのが素晴らしい(笑)
毎日楽しく過ごしてます
と、いうわけです。
3/18-19。
愛知いってきましたよ愛知。
これについて書くとながながとなってしまいそうなので写真だけで(笑)
あ、一緒にいった人のブログに俺よりは詳しく書いてあるのでそちらを参考にしてください(笑)
3/24-25。
葛城山!!!!
あいにくの天気にも関わらずめちゃ楽しかった!!
「葛城高原ロッジ」なるものの存在を見つけた甲斐君に感謝!
安いし晩飯うまいし朝飯うまいし部屋広いし、神やね。
このときの倍の値段払って受験した時のホテルやからな。笑
まず直に火を起こして焼肉!!
熱かったけどがんばった俺。
そう、俺がずっと火を管理してました!!
いがいと好きなんです、火。
火の担当をしていたからかたらふく食べることは出来なかったけれども、
「岡本おらんかったら肉食えんかったわwwww」
って言われたときの達成感で十分満腹になりました。笑
晩飯に「鴨鍋」でした。
カモですよ、カモ。
初めて食ったと思う。
鴨肉はこんな感じ。
超豪華。
東京のホテルでは晩飯さえなかったのに!
肉の味は牛と豚の中間くらいの味でした。
でも非常に美味。
おいしい。
ふつうに豚こえたかもしれん(笑)
すき焼きの時の牛には負けるけど、それでもホントにおいしかった。
鍋にずっと入れとくと、どんどん硬くなっていったけど、それでも普通にうまかったですな。
またいつか食べたい味でした。
あ、そういえばですね、
ここの鴨鍋の存在は意外と(奈良では)有名らしく、父が知ってました。
「あこなんか変な肉出てきたやろ、なんやっけ」
変な肉ってwwww
晩御飯の時の全員の写真です。
1か月くらい前なだけなのにほんま懐かしいwwwww
きなこーーーーーーーーーー!
3/28には、寮に動物を持って入る事ができないので、岩崎の家にきなこをあずけにいきました。
簡易ケージ的なのに移したときの写真がコチラ。
かわいい。
こっちみとる。
かわいい。
でも、実は5/5に息を引き取ったそうです。
ここでは深くは語らないでおきます。
最後の機会だったので、ぜひ学校へは行きたい、と言ってちょっと無理をして出発当日に五条にまでやってきました。
これ以来ここには来てません。
写真はよく解らん変化を遂げていた大川橋(笑)
なんじゃこらww
いまどうなってるのか切実に気になる。
というか、この歩道ををつける意味はあるのだろうか?笑
なんか途中で元の歩道とくっついてたしww
絶対前のままのが良かったやろww
学校へ行くと、やっぱり聞いた通り、「掃除」ってのは名目上でした(笑)
ほとんどお別れ会の雰囲気(笑)
でも、たしかに最後にみんなと会えてよかったなーと思う。
時間がキツキツですぐに帰ってしまったけど、それでも行っといてよかった。
でもやっぱり午後にガストかにいきたかったなー。笑
まぁ、いつかまたみんなとあえるでしょう!!!
で、10時頃に着いたものの1時にはもう学校を出ました。
「一時電」(この響きが懐かしい!)に乗って2時半に帰宅、
3時15分には家を出て東京に出発しました。
大阪方面に行くときにいつもお世話になってた二上駅。
田舎の駅で場違いなキャリーをゴロゴロ押しながら、ふと撮った1枚です。
また東京に出てからのことも書きますねー。
とりあえず、いったんここまででw
合否発表。
あとは、合否発表だけでしたが、
ひとことでいうと、まぁとにかくヒマでした。
受験が終わるとこんなにもヒマになるのか…と思いつつ、
終わったことを直に実感できる日々でした。
最終日の社会科学部の試験で、最後の日本史を解き終わった瞬間、ちょっと涙腺ゆるみましたな。
まーしゃーないわ。
予備校と言っても授業を3つしか取らずに、しかもその授業も夏までには終わるという状況で、
2学期からは予備校の自習室で自習しかしませんでした。
ほぼ、自習で受かったようなもんかもしれません。
が!!!!
ご覧の通り、あの予備校のたかーーーーーい講座を受ける代わりに何冊も何冊も参考書を回り続けました。
だから、掃除してみるこ、こんな状況。
人一倍参考書の数が多いと思います。
段ボール6個にもなりました。
でもですね、計算してみた訳ですよ。
予備校でたかーーーーーーーい授業を取るよりも、かなり安くついてるんですよね、これでも。
というか予備校の値段はボッタだと思うんですよ、特に東進(笑)
日本史を一周まわるためにどんなけ授業とらなあかんねん!という。
戦後史なしで14万円です、東進(笑)
たしかに!!たしかに!!!!
実況中継全冊買ったり、いろんな種類の一問一答を買ったり、
資料問題のも色々買ったりしましたけど、
確実に14万なんて行かん!というか3万もいってなかったわ!!
はい、それだけですすいません。
合否発表は人科と教育が同じ日でした。
右が人科、左が教育の合格証明書類です。
うかりました。
正直、信じられなかった。
あ、人科はさすがに受かるでしょーって感じでしたけど、教育はもう泣けた。
まずですね、早稲田の合否発表のシステムがほんと緊張させる。
電話ですよでんわ。
それで、受験番号を入力したら、1秒後とかに結果が録音した女の人の声で流れてくるんですよ。
「おめでとうございます、合格です、繰り返します、おめでとうございます、合格です」
か
「残念ながら、不合格です、繰り返します、残念ながら、不合格です」
KOEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!!!
同志社や関大みたいに携帯でサイト行って受験番号入れてピピッとみれたり、
リッツみたいにサイトに全員の番号貼りだしたり、
もうなんかそういうのを凌駕した怖さがあった。
というか、不合格わかったから2回繰り返すなし。
これが商学部と社会科学部の結果を聞いたときの感想でした。
というか、「くりか」くらいで電話切ったわwww
ででで、まぁ教育の合格を電話で知ったとき、
自室で聞いたんですが、即効親に知らせましたね。
しゃーないです。嬉しかったんです。
「ちょwwwwwwww早稲田うかっdrftgyふjこpl@!!!!」
階段の上から一階に居る母に叫んだ気がします(笑)
そんなもんです(笑)
言われました。
「まーそうなると思ってたわ…笑」
なんすかそれ(笑)
とにもかくにも、いま、早稲田大学教育学部に通ってます。
それがなによりもの結果発表ですね。
受験が終わって。
長かったような短かったような受験生活はちゃんと終わってくれました。
なんだかんだで受験、楽しかったです、ホント。
こういう経験も一生のうち一度は経験しておくべきだなー。
中央大法学部の推薦はかなり魅力的ではあったけど、申込の封筒出さずに自力でがんばってほんとによかった。
推薦の締切日んとき、父にハンコまで押してもらった申込用紙の入った封筒学校持って行ってまで悩んだなあ。
いい思い出ですなw
で、朝いつもどおり学校に始発で行ったけど、勉強手に付かず。
でも決心して先生に推薦やっぱいらへんって言って、ペンで封筒に×書いてぐしゃぐしゃにしたのもいい思い出w
そっから追い込んで追い込んで早稲田受験の日になって、この前のあの記事ですね。
いやー、懐かしい。笑
ついふた月だけ前のことなのに、高校時代がずっと昔のように思えますなw
うん、
なにから書いていこう。
やっぱ早稲田の受験の時かな。
新大阪駅に貼ってあった宣伝w
緊張がほぐれた一言でしたw
そうそう、新大阪駅といえば、このときキャリーバックコロコロ事件がありましてですね、
思い出すだけでもダサい(笑)
御堂筋線を降りて新幹線のホームに行く下りの階段で事件は起こりました。
キャーバックの、「とって」がとれる。
コゴロゴロゴロゴロードーン!
ワロタ。
受験行く前に落ちた(笑)
まぁね、確かにいつも持つところに比べて階段昇るときとかに使うキャリーバックのとってがちゃっちいのは解るけど…
でもこれはないわwwwwww
絶望的に恥ずかしかった。
そしてmixiのボイスでそのことを言ったらめちゃくちゃ笑われるしwwwなんなんwwww
受験前にして窮地に立たされたけども、でもなんとか持ち前の方向感覚を駆使してホテルに到着。
会場までの道チェック。
あ、でも実をいうとこの道チェックほとんど意味はなかったですな。笑
分かるひとには分かると思うんですが、地下鉄で行く経路をチェックしました。
でもまぁ、あれなんですよね、結局高田馬場の駅前から「早大正門」行きのバスがひっきりなしに出てるんですよね。
1日に2本しかない五条の野原循環と大違い(笑)
けっきょく、それを毎日利用してました。
で、今も毎日使ってますw
あ、そうなんですよ、
田舎者の俺なんで、受験のときこのひっきりなしに出てるこのバス群を見て、
「ああ、受験当日やから臨時でだしてるんやろな」
とか思ってたわけなんですよ。
だって、異常なくらいバスが出てたし。
でも違ったんですよね、コレ。
実際いまでも毎日こんな感じ。
東京ほんとすごい。
電車も10両編成の奴いつも乗ってるし。
そういえばどこかしらのJRわかや…なんたら線は1時間に1本で2両編成だった気が(笑)
しかもそれでふつーに座れてた気が(笑)
ksk(過疎化)やね、ksk。
人ゴミがすごい、特に受験のときは、って聞いてたけど、バスを使ってたせいかかなり快適に受験会場まで行けました。
でも確かについてみると人の量ははんぱなかった。
でも、これこそが受験会場って感じでしたね。
なんか正門前で手振って校歌歌ってる団体とか居るし(笑)
ちなみに学校の制服で毎日受験しに行ってました。
ほんと落ち着く、この服。
というか私服だいっきらい。
だからいま、ほんとに大変。
大学にも制服導入してくれ!!!!!!(真顔)
写真は自己採点前。
たぶんかなり緊張してたとおもう。
なんだかんだで、終わって回答の出たやつはすぐに自己採点してた。
ホテルの部屋はこんな感じ。
朝食だけついてて10000円。高すぎ。
やっぱり東京の地価はやばいね。
あ、そういえばこの画像を見て久しぶりに制服見た。
もっかい着たいなぁ…
ちなみに、冬服が好きでした。
まぁどっちもダサいけど(笑)
ズボンの下にジャージ着て、上はあの制定の全く寒さを防げないマフラーを巻いて、で始発で曲聞きながら学校に。
何か月この生活してたやろ。
なんか本気なつかしすぎてしみじみするぞ…。
なんか、1日でいいからもう1回あの毎日繰り返してた日々を送りたい。
ちゃんと勉強もするから。
学校最後まで残って、予備校そのまま行って11時に帰宅するから。
最後の社会科学部の受験の日の帰り。
そういえば受験で毎日見てたけど撮ってなかったのでパシャり。
もう来ることがないかもしれないし、って本気で思ってた。
22222!!!!!!
帰りに記念に持って帰った早稲田駅からの切符。
ついでに日づけもレア。
乗り継ぎができたからもって帰れた、嬉しかった。
で、あとは帰宅して結果待ちでした。
こんばんは。
どうも。
おひさしぶりです。
身のまわりの環境が大きく変わったこともあって、ブログの更新が滞ってましたですね。
だがしかし!!!!!!!!!
そろそろ更新を再開してもいいんじゃないか、というかこんなに更新しなかったのはこのブログ初めて以来ですな。
という訳で、またこんな雰囲気で再開しようかと思っているのですが、
あ、誤字脱字は多いので見つけても気にしないでください。
で、ですね、はい、再開しようとは思うのですが、この更新をしなかったふた月の間のことをまとめて更新でもしようかなという訳です。
なぜそんなことをしようと思ったのか。
単刀直入に、暇だからです。
学生ニートやってます。
あ、でもバイトの面接あさってにあるんですよ、塾講なんですけど。
でも腰痛が出てきましてですね、どうもまっすぐ歩けないんですわ、ガチで。
ほんま痛い、たすけて。
で、まぁ面接は座ってするだろうから安心なんですけど、
お辞儀が全くできないというのは痛いですな。2つの意味で痛い。
まぁ、とにもかくにも、
このふた月の事を書いていこうかなと思います。
これからもこのブログをよろしくどうぞ。
中三から書いてると思ったらホント長いなぁ。
最後の最後。
泣いても笑っても最後です。
明日、早稲田大学受験の為に、東京に向けて出発します。
一年って早いなぁ、としみじみ思います。
去年の夏に早稲田大学の受験を両親に許されてから、もう必死こいてやってきました。
今までこれ以上努力したことないです。
でも、やっぱり早稲田に受かる人はもっとしてるんだろうな、とも思ったりしました。
今は、早稲田大学に受験に行く、というか、今までの努力を早稲田大学に認めてもらいに行く、という気分です。
浪人はできません。
だから、落ちたら、それはそれで努力不足だったんだと思います。
受かったら、自分の努力が認められたんだと思います。
くいの残らないくらい勉強はやってきたつもりです。
確かに、浪人も手段のひとつかもしれまん。
でも俺自身、両親に、「浪人は絶対に無理」と常々言われてきて、「今年しかないんだ」「絶対に今年で受かってやる」と思いつつ勉強出来たからこそ、今の自分があるのだと思います。
初めから浪人というものが選択肢としてあったら、ここまでやってこれなかったかと思います。
やったる。
俺の努力、早稲田に認めさせたる。
そんな気持ちで行ってきます。
また、いつ結果報告が出来るかわかりませんが、必ずここでします。
それではまたっ。
追記
浪人が出来ん。
なので関西の私大を片っぱしから受けてた。
俺は木村みたいにかっこいいことは出来んwwwww
つか早稲田だけしか受けんとかほんま木村凄すぎだろwwwwww
にってー。
2/2 関西大学法学部法学政治学科(学部別)
2/5 同志社大学法学部政治学科(全学部)
2/6 同志社大学法学部政治学科(学部別)
2/7 関西大学法学部法学政治学科(全学部)
あと、センター利用で
①立命館大学法学部法律学科
②立命館大学政策科学部政策科学学科
合計6回。
なんというか…おとうさん…おかあさん…ごめんなさい…。
ほんまに早稲田も受けるのにこんなに受験させてもらって。泣
もう、絶対いいとこ就職して親孝行しようと思う。
受験してそれ、本気で思った。
今年は迷惑かけすぎた、ほんと。
で、結果は、
全勝。
これで、気持ちよく早稲田の受験に向かえられるわ。
でも…
関西私大全勝早稲田志望
vs
東大志望早稲田滑り止め
んん…
こうすると後者の方が明らかに輝いて見えるwwww
とにもかくにも闘ってくるわww
ではまたっ。
卒業式
でした。
未だに信じられない。
卒業かー。
ほんとにいろいろあった。
嬉しいことも、辛いこともありまくり。
でも、いまから思えば全部良い思い出だと思うわほんと。
いつか飲みにいこう赤井w
赤井は確実にこれから飲みにいく友人の一人に決定なwww
さて、
思えば幸運から偶然に始まった学園生活なんだろうなとしみじみ思う。
ほんとうに中学受験をするなんて思ってもなかった。
父がそれを提案してきた時に「なんだこのひと大丈夫か」などと子供なりに感じた覚えがある。
結局「高校受験の練習やから」という父の言葉に押されて受験したのが、一番の、この学校に入学することになったきっかけだったんだと思う。
ちなみに今でもそんなきまぐれな事を突然言い放つ。
それが人生を動かすんだからなめてられない。
なにも勉強しなかったことはさておき、自分の偏差値より10以上も高いF判定しか出なかったこの学校に補欠合格で滑りこめたのは、本当に今でも強運だなと思う。
父はこれを「やっぱり俺が名付けた通り"悠かなる希望”やな」と言う。
俺が成功した時にいつも言い放つセリフだ。
補欠合格者だけが学校に集められた日を今でも鮮明に覚えている。
会議室に父と入り、みんなで校長の演説を1時間以上も聞かされた。
「やる気のない人は辞退して頂いて結構です」
こう言った校長を俺は「がりべんじじい」だと思った。
そんな「がりべんじじい」の話をみんな、真剣な眼差しで聞いているように思えた。驚いた。
俺はずっと窓の外を眺めていた。
南国に生えてそうな木が何本も連なって植えてある。
すげぇ、さすが私立学校だ。
帰りに父が言う「辞退しやんでええんやな」
ええがな。
子どもなりにそう思った。即決である。
考えても頂きたい。
小学生であり、「なんかすごいとこにうかった」という気持ちはあった。
しかもじぶんの手で。
いくがな。
そうして俺の学園生活は始まった。
いまから思えばなんとも奇妙な始まり方である。
補欠合格者の人数は、記憶が正しければ、たしか27人程度であったかと思う。
人生最初の定期考査で俺は117/147人という驚異的な成績を叩き出した。
もちろん良い意味でである。
父曰く、「補欠合格の人数全員抜かしたやん」
あぁ、確かに。
俺は自分が天才なんだと思った。
いまでもこの一連の話がよく家族内で出る。
結論からすれば、確かにその成績は「驚異的に叩き出した」成績であった。
それがその1年間で断トツの最高順位だったからである。
父の言うことは、いまでもそうだが、正しい。
そしてそれは、ほとんど後になってわかる。
電車通学は好きだった。
電車自体が好きだったからかもしれない。
幼稚園の頃は電車になりたいと思っていた。
父からすれば懸案事項であったらしい。
「入学者説明会いったとき御所工業のゴツイ奴が地べた座り始めたわ、ほんまにこいつこんな生活毎日するん大丈夫なんか」
と母に言ってたことを、後になって聞かされた。
遠まわしに自分にもそう言ってたように思う。
俺自身はそんなことよりも五条までの駅名を早く覚えたかった。
そして言えることを自慢したかった。
気づいたら友達全員が駅名を覚えていた。
144/146人という成績を取ってたりした俺だったが、中3の時に転機を迎えた。
全員がこうだ、などとは決めつけられないが、俺自身はそうだった。
彼女が出来て成績が上がった。
心の余裕というもののせいだろうか。
別に目標というものを確実に立てていた訳でもないが、何故かやる気が出たのを覚えている。
これに関しても色々とあった。
いろんな人に迷惑もかけたとも思う。
今日の理事長先生の話にもあった「辛いことは延々続かない」というのは正しいなと思う思い出の一つでもある。
ほんとうにそうだよな。
この時期が過ぎる前後での俺物事の捉え方は一変しているなと自分では思う。
何でもネガティブに取りがちだった中学時代の俺が、今の内面にほとんど見当たらない。
こういうのがこの学校に入れた価値っていうのかもしれない。
演劇は本当に面白かった。
やっといてよかった。
本番のDVDが我が家に届いた時、キラキラした目でそれを見ていたのが、やはり父である。
「俺が絶対にやらんようなことを子供がやってる姿を見るのが好きやねん」と父は言う。
再生したまま寝てる父を見て、少し気恥ずかしかったけど嬉しかった。
実は理系だった。
今では考えられないけど、そうだった。
「理系の方が就職いいから」
「国語嫌いだから」
今は紛うこと無き文系である。
実を言えば、理系にした一番の理由は上記以外にあった。
馬鹿な中3の俺である。
「彼女が理系だから」
これだ。
自己行動力というものが無かったのかもしれない。
なんとかなると思ってたのかもしれない。
とにもかくにもこの理由が大きかった。
1年後には、完全に理系と文系に分かれる時がやって来た。
もし、この時にその彼女と別れてなかったら間違いなく理系に進んでいたと思う。
結論からすれば文系に行った訳だが、その選択の時点で付き合ってた別の彼女も理系であったにも関わらず文系に変えた自分を今思い返すに、あぁ俺も変わってたんだな、と痛感させられる。
俺の文系生活が始まった。
A組という未知の領域において。
これが存外厳しいものであった。
全く新しい学園生活が始まったと言っても良い程、クラスのメンバーや雰囲気が変わった。
この時期については本当にどれだけ稲葉に助けられたことか。
稲葉との「私大同盟」による鉄壁カバーで困難を乗り越えた。
気づけばその同盟は「私大推薦同盟」に変わったいたことには敢えてここでは触れないでおく。
解ける氷のようにゆっくりとA組に融解していった俺が居た。
喋ったことのない人が減っていくのは、いつでも嬉しいことには変わりないなあ、と思った。
「私大推薦同盟」
強固な意思に包まれた稲葉と俺との切れることのない繋がりであった。
高2後期にこの同盟が活発に活動し始めたことについては何度も筆を走らせてきた。
この同盟の目標はこうであった。「普通に勉強しても行けん関関同立の推薦とか貰うしかないやん。笑」
俺たちの意思は本当に硬かった。
片山先生に直談判する時に至っては演劇本番並みに緊張したのを覚えている。
結論を言えば俺がこの同盟を破棄した訳だが、この選択が正しかったのかどうかは大学入試の結果がでてみないと本当に解らない。
でも、俺自身、後悔はしていない。
大学入試がこんなに厳しいものだとは思わなかった。
でも、こうやって勉強して、自分の受験番号が書いてあるのを見つけた時の嬉しさは、本当に文章では表現できないほどのものだと思う。
こうやって努力してることは、いつか必ず将来に役立つものになると思う。
自分を信じて、早稲田の入試に挑もうと思う。
こんな経験、この選択をしてなきゃ出来なかった。
予想通り泣いてしまった。
答辞は耐えれた(と思う)。
でも「螢の光」「仰げば尊し」で涙腺崩壊。来た。
いい歌だわ、ほんとに。
入場して座ってから、6年間の色々なことが頭の中を巡った。
やっぱり長い、6年は。
証書を受け取りに舞台に上る時、なんとなく笑えた。
演劇の時、ドタバタと走り回ってたようなフザケタ舞台がいつになくキリッとしているようで、可笑しく思えた。
あの時ここでハレ晴レユカイとか踊ってたのかよ、と馬鹿な回想も大切な思い出の一つである。
卒業証書の第一印象は「デカイ」。
第二印象は「すげぇ、ほんまに和紙やんかコレ」。
そんなことを思いながらも、舞台で曼陀羅に向かって最後に一礼するとき、6年間で一番深い礼をした。
全力で礼をした。
本気の礼だった。
なんか、すっきりした。
やりきった。
そんな気がした。
式後はみんなで写真撮りまくった。
かなりいろんな人と撮った気がする。
でもよく考えたら、俺のカメラで撮るのを忘れてた。
そんなのもまぁ俺らしいといえば俺らしいかなと、家に帰って写真の入ってないカメラを眺めながら思った。
朝、式に向かう途中の車の中で、運転席に座る父がいろいろと話しかけてきた。
まさにここに書いたことそのままである。
中学受験のこと、辞退のこと、電車通学のこと。
「ほんまにようやってくれたわ」と父。
ちょっと涙腺が緩んだことは父にばれてないと思う。
卒業した実感は、やっぱりまだない。
でも、やりきった気持ちは持ってる。
なんか、それでいいんじゃないかな。
ここにある今の自分は、この学校に入ったからこそ成っていった自分だと思う。
そう成らせてくれたいろんな思い出を、これからもずっと大切にしていこうと思う。

































