千葉県某市内で高校~大学時代を過ごしていた男子なら、割と

経験したことある人いるんじゃないかって話。

 

夏の短期バイトですね。

 

もう20年近く前の話になるので、当時は某無料バイト情報誌も

出たばっかりで、結構日曜の新聞折り込みの求人チラシで

仕事を探すことが多かったんですが、夏前になると必ずとある

パン工場の求人が入ってるんですね。

 

高校生OKのバイトってやっぱ少なくて、かつ短期で時給がいいと

なると本当に限られてくる。パン工場は貴重な仕事先でした。

 

応募すると求人登録会に参加することになり、まず1回出頭。

そこで履歴書を渡して振込口座とか登録してその日は終了。

 

その後いよいよ勤務となるわけですが、何を血迷ったか当時の

僕は6連勤という地獄のようなスケジュールを選んでしまいました。

 

初日は良かったものの、2日目からもう栄養ドリンクなしでは

機能せず、休憩時間はほぼ睡眠、家に帰ってもメシ食ったあと

即就寝というある意味健康的な生活でした。。

 

タイトルの通り、お盆~お彼岸にかけて需要期を迎える、おはぎの

生産工程に携わるのがメインで、合間にパン工場らしい、パンの

ラインに入ったりもしました。

 

おはぎの工程は決まっていて、まず午前中は炊き立てご飯に

お酢をまぶしてひたすら酢飯を量産。ただでさえ夏場の工場は

暑いのに米も熱いのでただの灼熱地獄。午前中の作業だけで

確実に痩せます。

 

なので休憩時間は冷房の効いた食堂がひたすらありがたい。

当時は売り物にならないパンなら無料で山積みだったので、

少しでも食費を浮かせたい学生バイトたちがパンに群がって

ました。もちろん僕もその一人。

 

15分でパンを腹に収めて残り45分で就寝。

 

体調回復させないと午後が持ちません。

 

午後は午前中に生産した酢飯にあんこをコーティングして

おはぎを完成させるわけですが、コーティングは機械の仕事で、

我々バイトはその機会にひたすらあんこを投入する作業に従事。

 

この工程を社員さんが見張ってるんですが、2kg位の袋に入った

あんこを開封して機械の上から投入するんですが、袋の切り方が

悪いと怒鳴られキレられ大変なんです。

 

袋のビニールがちょっとでも混入すると大事になるので。

 

それにしてもえらいキレられっぷりでげんなりしましたね。

食品を扱ってるんで当たり前の話なんですけど。

 

あんこの袋を開けて機械に突っ込み、社員さんに怒鳴られ指導を

受けているとあんこがなくなってくるのでまた袋を開けてあんこを

機械に突っ込む、その単純作業をあんこがなくなるまで延々と

繰り返すだけ。人間としての尊厳は確実に失われます。。

 

大体夕方4時ごろには作業が終わるので、余った時間はパンを

入れる「パンジュー(って言ってたと思う)」と呼ばれる箱を、

倉庫からラインに持っていくという力仕事か、パンの生産ラインの

下流で袋が破けてたりする不良品を目視でのけたりする仕事を

定時までやって勤務終了。

 

なお、おはぎの仕事も定員があるので、人数が多いときとかは

1日中パンジューを運ぶ仕事だった日もあったはずです。

 

そんな日はラッキーですよ。パンジューを運ぶ経路って人目に

つかないところも多いんで、涼を取りがてらゆっくり目に作業したり

時には機械の隅でうたた寝なんて…

 

別の日だとおはぎが早めに出来上がったんで残り3時間くらい

ライン目視だったんですけど、こっちは意外と楽じゃない。

 

何せ午前中から体を酷使してるから眠気がピークに達する上に、

ラインを流れてくるパンを見るという単調な作業は逆にきつい。

立ったまま何回か記憶飛びましたから。。

 

そういえば、衛生面は本当に厳戒でしたね。白衣に耳まで隠れる

白帽、当然マスク着用。裸眼も眼鏡も関係なくゴーグルも着用。

 

手は爪の間までブラシで洗った後にビニール手袋2枚重ねで、

その上からアルコール消毒してようやくOK。入口にエアカーテンも

あったし完璧。

 

さすがにおはぎはこのバイト以降全く食べられなくなりましたが、

そのメーカーのパンは今でも安心して買ってます。

 

当時の記憶だと9時から17時半まで7時間勤務で時給750円とか、

1日働いて6,000円はいかなかったと思います。それでも当時の

高校生のコンビニバイトの時給が600円台後半だったので

経済的に見たら悪くなかったかな…。

 

ちなみに大学生以降夜勤に入ったら900円とかだったと。夏場は

おはぎですが冬場はクリスマスケーキとか、まぁ季節が変われば

また違う需要があるってことで、年中何かしらの短期バイトの

募集が出ていたはずです。

 

紆余曲折があって今もその当時と同じ市内に住んでますが、

現職に見放されたらつなぎでまたパン工場に行こうかなとか

ふと思うことがあります。セーフティーネットとしては優秀な、

とあるパン工場でのバイトのお話でした。

 

 

 

現職の話なので相当オブラートに包んで書いてみようと思います。

転職した後にある程度詳しいエピソードを書いていこうかと。。

 

といっても当分転職するつもりもありませんが。

 

今、筆者は都内で営業職をしています。

営業といっても、無形財(サービス)の営業です。

何を売っているかっていうと、会議室。

 

最近は遊休化したオフィスビルの活用方法として、空きスペースに

貸し会議室を設けるケースも増えていると聞きます。大手町や

日比谷、虎ノ門あたりにポコポコとタケノコのように新しいビルが

立ち続けていますが、そうした大型ビルにも予め貸し会議室が

設けられていることも増えてきました。

 

競争は激化する一方ですが、新型コロナが流行するまでは

市場自体も右肩上がりのようで、経営は順調なようでした。

 

企業のオフィスは賃料の高騰などで縮小傾向にあり、社内会議を

行う小規模な会議室はあっても、全国会議や集合研修をする

大型な会議室を持つ企業は減ってきています。

 

そこにビジネスチャンスがあると思ったんですね。当時の僕は…

 

たまにしか使わない大きな会議室を自社で抱え込むよりも、

必要な時に外部の会議室を借りて利用する方が経済的。

 

ところが、現在は「人が集まること=リスク」ととらえられる時代。

リモート会議で代替できる内容であれば遠隔実施が推奨される、

そんな環境下での会議室ビジネスは難しいものがあるなと

常々感じています。

 

正直、現職に就いたのはコロナ前だったので、こういう時代に

なるとは露程も想像できませんでした。想像力が甘かったと

言われればそれまでですが、想像できた方がすごいのでは?

 

あと数年は粘ってみるつもりですが。。

 

「営業」とは名がつけども、こういう状況下では外回りで営業に

出るのも憚られるし、効果も限りなく低い。有形財系の営業とは

異なり「必要な時にしか注文が出ない」ため、顔つなぎをしても

効果は薄い。

 

ただ黙って新しい問い合わせが来ることを、大きな口を開けて

待つしかできない状況は営業として非常につらい。

 

広告宣伝や認知度向上施策に活路を見出そうといろいろ上司と

相談してみましたが、コロナ禍で会社の財政も厳しくなっており

投資拡大の余地はほぼないとのこと。

 

詰んでる。。

 

とりあえず数年来のリピーターのお客さんにメール営業をして、

様子をうかがっているような現状です。ただ、結局「会議室を

使うようなイベントをしたい」という計画がなければリピーターも

借りてくれないので、待ちを強いられる状況は続きそうです。

 

今のうちにやれることを見つけて、腐らずにやっていきたいと。

 

 

 

 

アルバイト駅員として過ごした期間は1年半程度でしたが、短い

期間でもいろいろと濃密な記憶があるものです。

 

今回は何もトラブルが起こらない駅員の日常を振り返ります。

 

夕方出勤してからしばらくは改札勤務。「ウインドラッチ」と

呼ばれる自動改札の脇にある小窓から改札を監視し、たまに

改札で引っかかったお客さんの切符やICカードを確認したり、

特殊な切符で乗り越し精算機が使えないお客さんの精算を

やったりしてました。

 

鉄道ファンの方ならご存知でしょうが、運賃の計算にはいろいろと

ルールがあって、自社の路線や乗り入れ先の地下鉄線の運賃は

一覧表があるのですぐわかるんですが、たまに改札を通らずに

私鉄を3路線にまたがってやってくるお客さんがいて、すぐに

計算できずにあたふたするってのが新人のあるある。

 

(ルールを破っているわけではなく、たまたま途中の乗換駅に

改札がないだけの話。10年くらい前の話なので今は少ないと

思います)

 

改札業務の間に1回夕食休憩があり、以前ブログに書きましたが

社員さんは料理を自分で作って食べますが、アルバイト駅員は

近くの牛丼屋やファーストフード、コンビニで出来合いのものを

買ってきて食べる感じ。

 

たまに社員さんのおこぼれをいただくこともありましたが、これが

相当うまい。最近では料理男子も珍しくなくなりましたし、働き方

改革からか駅員さん自ら食事を作る会社も減ってきたそうですが

当時は新入社員さんが最初に覚える業務が「賄い飯作り」と

言われてました。

 

なお、10年くらい前だとまだ女性の駅員さんも少なく、仮眠施設の

関係で僕がいた地域(管区と呼ばれてました)の中で女性駅員が

いる駅は1つだけでした。今はもっと増えてきているのでしょう。

 

休憩が終わるとまた改札、夜が深くなると構内清掃。23時を

すぎるとホームのあちらこちらに「もんじゃ」が落ちているので、

おがくずをかけて乾燥させてからほうきとちりとりで片付けます。

※もんじゃ焼き屋さんの関係者の方はすみません。。。

 当時の会社では隠語として使ってました…

 

ある程度経験を積むと、近づかなくても雰囲気で「もんじゃ」が

落ちてることが察知できるようになり、自然と鼻呼吸⇒口呼吸に

シフトできるようになります。まともに臭いを嗅いでしまうと後の

業務に支障が生じるので…

 

あとは色の違いで何を飲み食いした後なのかもわかるように

なってしまいます。あまり会得したくない特殊能力です…。

 

 

 

閑話休題

 

 

 

その後、終電が近づくと改札機や券売機のスイッチを切ったり、

ベンチで寝てる人を起こしたり、改札近くでたむろしてる人たちに

声をかけたりしてひとまず電車に乗せます。駅は終電とともに

閉鎖するため、その時点で構内にいる人を追い出すことになると

それなりに厄介なので、とりあえず終電に乗せてどこか別の町に

流れ着いてもらおうという発想…。

 

終電後、駅を締め切るとたまに線路内清掃をやったりします。

喫煙率が高かったころは線路上に落ちている吸い殻の量が

尋常じゃなかったので毎日掃除していたようですが、近年は

週に一回とか、月に数回のレベルですね。

(保線の係員の方が清掃する会社もあるようです)

 

当時働いていた会社では、終電が出発するのが1時ごろ、翌朝の

始発が4時半~5時の間で、それまでに駅を開けるため、実質

3時間強しか休みがないように思いますが、さすがに終電~始発で

連続勤務することはほとんどありません。

 

例外として、人身事故や悪天候・大雪などダイヤが乱れている

もしくは乱れる可能性があった日は連続勤務になることがしばしば

ありました。通常は始発を担当する駅員さんは「早番」扱いで

22時には仮眠に入りますが、そのタイミングで人身事故や輸送

障害が起きたりすると起こされたりします(大変だった…)。

 

駅員も接客業なので、仮眠前にシャワーを浴びる人がほとんど。

ただし、シャワーを浴びる順番は当然社員さんからなので、その間

アルバイト駅員はシャワー待ちの社員さんと雑談したり、ぼんやり

深夜番組を見たりと思い思いの時間を過ごします。

 

親分気質の社員さんも多いので、アルバイト駅員をねぎらって

お菓子や飲み物を用意してくれる方もいます。僕も駅員になるまで

コーラが飲めませんでしたが、社員さんの施しに預かるうちに

飲めるようになりました(いいのか悪いのか…)。

 

1時に上がれればシャワーは1時間以内に順番が回ってくるので、

カラスの行水をかまして5分で済ませ、髪を乾かして2時には

仮眠につくようなペースが日常。

 

起床は6時半。4時間半眠れればラッキーって感じ。

 

7時には改札に立ってるか、もしくは朝のラッシュ時のホームに

立たなければいけないわけですが、たまに寝坊する社員さんや

アルバイトもいます。まぁ、そこはお互い様という文化でした。

 

ホーム立ちは緊張しましたね。

 

メインで勤務していた駅はホームが狭くて、かつ乗降客も多い

(7万人/日)駅だったので、白線の内側に駅員が立つスペースは

ほとんどない。大体点字ブロックにまたがる形で枕木方向に

立ってホーム監視するのが正しい姿勢とされていました。

(目の不自由な方は白杖をつかれるので音で察知してよけたり

してました)

 

点字ブロックの10数センチ外側に白線がひかれていて、その

外側に20センチくらい滑り止め部がある程度なので、通過列車が

通るときには自分の身体から30センチも離れてないほど近い。

ただ、ラッシュにホームを歩く人は特に気にも留めてないのか、

駅員よりもさらに線路側を歩こうとする人もいる。

 

そういう時に限って通過列車が近づく。

 

警笛の轟音が響き渡る。

 

風と共に通過列車が通り過ぎる。

 

何事もなかった顔をしながら歩き続けるお客さん…

 

あくまでも主観ですが、特に女性が多かった記憶があります。

 

短いスカートをはいた女性がホームに立つ僕を追い越して

電車のすぐ脇を歩き、電車が吹きあげた風でスカートが翻った

瞬間に「キッ」と睨まれたこともあります。

 

いやいや、オレのせいじゃないって。。

 

男女問わずホームの端を歩かないようにしましょう。

元駅員からの切なるお願いです。

 

ただぼんやりとホームに立つのではなく、常に駅員は神経を

張り巡らせているんです、という一例でした。

 

9時に業務終了。大体すぐ着替えて家に帰りますが、たまに

仲間でだらだらと、だれも使ってない仮眠室でしゃべったり

ゲームしてから帰ることもありました。

 

これが何もない日の日常。

 

トラぶったりするとこうはいきませんが、そんなときのことは

また改めて書きます。