私は何がしたいのかなあ

今48歳

70歳まで生きるとしてあと約20年間

何をして生きていこうかな

今ようやく行こう愛することを始めました

あの家に行く時は

最高に自分を愛せる私でいたいそのための20年間でありたい

今までは他人のために生きてきた

日本語は難しいね

他人のために生きてきたと言うよりも

自分を守るためにいつも他人の気持ちを優先してきた

そのことにもう心が悲鳴をあげたんだよね

もう無理だよって

自分を守るためってなんでそんなに必死に

自分を守ろうとしてきたんだろう

相手の気持ちを優先することによって

私は何を持ってきたのかな

優しさでもなんでもないただ怖いだけ

相手の人は私が生きる上でそんなに大切な人?相手の人の気持ちを優先してばかりいて

得られるメリットって何?

いっときの安心

相手の顔色を見てにっこりしてれば安心表情が曇っていれば不安になる

もうそんな毎日いやでもそういうふうに思い始めて30年以上かな

この癖はなかなか抜けない

自分の幸せはいつも相手の心次第

子供の頃はお父さんが怒らないように怒られたら怖いから

お母さんが怒鳴られているのが嫌だから

子供にとっては親に可愛がられる事は

必須条件だからかどうかわからないけど

命がけでお父さんの機嫌をとってたんだね

それが私の生きる方法だ術だった

そうじゃないと子供は生きていけないから

本能的に親が喜ぶようにすると言う

でも今は周りの人は親じゃない

その人が喜ばなくても

怒っても私は生きていける

関係ない

その人に私の人生を大委ねなくたっていい

なんでそんなに私は傷つくのだろう本当は傷ついてないと思う

本当の本当の私の部分は光ってる

だけど言う意識の部分では

いつだって私は人の言動で振り回されている

苦しんでいる

怒っている

人は思い通りにならなくて

怒ってる

まるで私の人生のテーマが

人に振り回される


人の機嫌をとり 怒られない 嫌われない ようにすること


そうする事が、私の心の安定 幸せ

になってしまっている


自分を軽視したり、見下したり、怒って来た人に対しては、殺したくなるくらい 憎む 恨む

いつまでも許せない 

体が受け付けなくなる




怒る気持ちをいつも隠してる

人の気持ちを知りその人の期待に応えてその人の思う通り、望み通りの自分になって自分をすり減らして自分なのか分からなくなる

知らぬ間に身に付いてしまっている自分の信念と言うものがあると言う

だとすれば私の場合はこれだろう

人は私を傷つける人は私を怒る知らぬ間に身に付いてしまっている自分の信念と言うものがあると言う

だとすれば私の場合はこれだろう

人は私を傷つける人は私を怒る

人は私を見下す

人に対して思ったことを言ってはいけない

人はその人が期待することを私から聞かなければ怒る

人は私を見下す

人に対して思ったことを言ってはいけない

人はその人が期待することを私から聞かなければ怒る

だから私は自分以外の人に会う時いつも緊張している脇に汗をかく肩肘張っている

だから家に帰ってきた時

人の何倍も何倍もエネルギー使って

ぐったりしてしまっている

そう私は幼い時今自分が想像している以に   

家の中で200%のアンテナを張り巡らして

お父さんが怒らないように努めていたに違いない

お父さんが怒鳴る声にいつもビクビクしながら


生きてきたに違いない

お母さんがお父さんに怒鳴られないように

頑張ってきたに違いない

お父さんと似て私もお母さんを怒ったりしてきたと思う

お母さんはあまり褒めてくれなかったほったらかしだった

話をうんうんて聞いてくれなかった

嬉しかったことを言っても否定的な言葉が返ってきた

今まで私は必死こいて相手にビクビクしながら怒られ養いかと生きてきた気分を害さないかなそのいってんに集中して人に接してきたというかやめたいけどやめられないというか癖だった

人に会うとき怖いと言う気持ちが底辺では常にあった

人に愛された経験がないからわからない

でももうあと20年は少しずつでもいいからその癖を減らして自分の人生を歩みたい

ビクビクしながら生きていくのはもう嫌人の気持ちじゃなくて自分の気持ち私の気持ち

私がどうしたいか私がどう思うかその声に忠実に従って生きていく

その心の声を無視しない

その心の声を大事にする

メイちゃんの心の声を大事にする

メイちゃんを私が守る共感する肯定する  

メイちゃんは何をしたい?

メイちゃんあと20年間どう生きていこうか