ふるさとは遠きにありて・・・

面白いキャッチフレーズは面白い。ただ、消費者が最も面白くないと思うのは内容を誇大化したヘッドラインである。‘〇〇億円山分け!’といったキャンペーンの裾野で分け前にありつけた人間に、まだお目にかかったことがない。ケフィアの投資事業に騙し取られた方は3万4000人に上ると言われている。彼らは数字、数値のまやかしに乗せられてしまったのかもしれない。

それとは違う次元で昨今は‘確実にゲット’できるキャンペーンが花盛り。前澤勇作のお年玉100万円(当選者になること前提)やペイペイ然り。額面通りの分け前が懐に入ってくるのだから、利用者にとっては有益な部分もあるだろう。

学生時代から三十三年連続で訪れている温泉地がある。仕事抜きだからガス抜きにはちょうどよく、旅というより、それこそ故郷に戻った気分。ブッフェスタイルの宿に泊まったとしても、漬物だけをつまみに飲める行きつけの居酒屋があり、町を歩いていると本気で「おかえりなさい」と声をかけてくれる地元の方がいるほど。実家でさえ、昨今は三年に一度顔を出すペースなのだから、どちらが故郷なのか分からなくなる時もある。

昨年の夏。とうとう嫁が‘ふるさと納税’する、と言い出した。お気に入り温泉町の還元は5万円の納税で1万5000円の町内利用券というから、二つ返事。山分け云々や、あやふやな数値でなく、確実なカタチで享受できる制度は無暗には否定できない。それは数字や数値を誤魔化しはじめると、何事も破滅の方向へ向かってしまうことへの啓示でもあると思う。厚労省の統計不正や鳥取県の国際チャーター便の経済効果統計不正然り、なんとも「粉飾」なることが、この国の(てい)を示すキャッチフレーズとなりかねない事態に陥ってしまっているのだ。

本コラムのヘッドライン「ふるさとは遠きにありて思ふもの-」は室生犀星『抒情小曲集』巻頭の詩「小景異情」の二の冒頭であり、「そして悲しくうたふもの」と続く。これは遠方にあって故郷を思うのではなく、東京から帰郷した折に作った詩で、金沢にいることで反って侘しくなってしまったことを歌ったと言われている。日本人にとって、日本国とは紛れもない‘故郷’であろう。ふるさと納税と比べ、働いた分の数字・数値を粉飾するとは、犀星ならずとも寂寥感に苛まれるというものである。