いつか伝わると思っていた気持ちは、ついに伝わることがなくて
誰にも伝わらないであろうと思っていた想いは、ふとした瞬間に伝わることがある。
だから人は人に伝え続けないといけないと思う人と
だから人は人に伝えたって仕方がないと思う人と
そこで初めて人それぞれの色が出てくるのだと思う。
あまりにも多くの人が生きているこの世の中で
楽に生きる方法は『型』と見つけてしまうことだ。
『型』にはめた友情をはぐくみ
『型』にはめた恋愛をし
『型』にはめた自分を見つけ
『型』にはめた人生を謳歌する。
人の悩みを聞いていると
結局、この『型』にはまらなかった事が原因で悩んでいる場合が多い。
あいつは『型』通りに友情を返してくれない。
あいつは『型』通りに愛してくれない。
わたしは『型』通りの自分を見つけられない。
わたしは『型』通りの人生を歩めてない。
しかし、みんな気付いてるはずだ。
『型』は誰かが恣意的に決めた物語でしかなく
『型』通りに進むあらかじめ決められた物語は無いのだと。
結局、『型』にはまっていない自分のあやふさが怖いのだ。
情報化された現代社会においては
『型』は共有された認識事項であるから
『型』にはまれば自分の存在を楽に人に伝えられる。
私の存在を保証してくれる他者という存在を介して
楽に伝えられた『型』にはまった自分という存在は生きながらえる。
依存に依存を重ねて
もう一人で立つこともままならない。
まさに戦後とある国が歩んできた道とそこで暮らす人々がだぶる。
やはり『国』は『人』だ。
断言しよう。
自分の存在を確実なものにするには
他人ととことん『会話』をする事だ。
何気ない会話で良い。
雑談でも良い。
真面目な話だっても良い。
他者とのコミュニケーションを通じて自分という輪郭が見えてくる。
自分を見つけたいのであれば自分以外を見続けることが重要だ。
自分以外を見つけたいのであれば自分を見続けることが重要だ。
捨象された世界には
抽象の世界では見られない事が多々あって
それが何気に苦しい事もあるけど
それが何気に感動的だったりもする。
一度試してみては…と思う。