幼い頃の食卓は、楽しみがほとんどない、苦痛の時間でした。
もともと食べ物に対しての執着が薄く、はっきり言って白おかゆに塩をパラパラくらいで丁度良かった。
出てくる食事が塩辛かったり、甘すぎたり、辛すぎたり、酸っぱすぎたりで舌のビリビリが脳天にまで届く。舌が痛い(>.<)。
野菜に関しては、根菜類の茹でた匂いがもうダメ。葉野菜に関しては味も素っ気もなく(ドレッシングを使わず塩だけなので)何が美味しいと感じるのかわからない。ちなみにマヨネーズは濃厚過ぎて気持ちが悪くなる。
魚料理は塩シャケの切り身が祖母は好きでよく食べてたが、基本辛口なので手に負えない。
食べ物の酸味に関しては一番敏感で、赤ん坊の頃からイチゴを食べさせると吐き出していた。
僅かでも感じるとチーズケーキのデザートでも受け付けない。
野菜や果物全般受け付けないので、仕方なく肉ばかりになる。
肉に関しても、脂身や鳥皮などのグニュグニュした食感は×(+_+)。
歯に力が入らなくてなかなか噛み切れないうちに顎がくたびれてくるのでハムやソーセージなどの加工肉くらいしか食べられない。
こうして羅列してみても、途方に暮れてしまうほどの偏食で………我がことながら厳しいな~っと感じる。
それに加え、食卓のいわゆる《三角食べ》が出来ない。ごはんなら、ごはんだけ。おかずならおかずだけ。
口の中で種類の違う食材が混ざるのが、もう気持ちが悪い。(ごはんにはごはんの甘みがあるのに!と、思っていた)
当然、日本人のマナーとは!と、散々祖母から注意をされる。
ハシの持ち方も苦戦した。
ハシを持つ指先の力の調整がうまく出来ず、必死になんとか持っても震えるほど力を込めてるので開けない(挟めない)。力を抜くと、手からハシがこぼれ落ちる。プラスチックハシで何度も練習しても、かえってツルツルすべる。
プレッシャーと祖母の威圧感に緊張し、食欲はますます失せていく。
しまいには決まって卵かけごはんになる。
「あんたが食べないから、乳児検診に行ったときに先生から『栄養失調じゃないか』って私が怒られるんだよ!」
上記の祖母の台詞を聴く度に、
意味はわからなかったけれど
『自分のせいで祖母がイヤな思いをしたんだなぁ……。じゃぁ、怒られても仕方ないんだなぁ……』
と、身を縮めていました。
当時のNICUの保育器の影響か、わたしは万年色黒だったので手足や身体の細さが際立っていた。肋骨が浮き出て、そのくせお腹だけは前にポンポンに張り出して
TVで報道される当時のアフリカやエチオピアの難民の子どもの姿そっくりだった。
観る度に、自分の身体を見比べてやるせない気持ちになったが、食欲不振は拭えなかった。
肌にもビタミン不足からくる《ハタケ》と呼ばれる皮膚疾患が頻繁に出来て、ビタミン剤をいつも叱られながら飲んでいました。
祖母は毎食後半に卵かけごはんで栄養を取らせようとし、食事介助をして無理やり口の中にごはんとスプーンを突っ込んでくる。歯にガチガチ当たって金臭い。
「さっさと食べてよ。片づけられやしない。はい。あ~ん!」
睨まれながら、わたしは泣きたい気持ちで口を開ける。開けないと、もっと叱られる。
口に入ったごはんをなんとか飲み込もうとする。卵が絡んだごはんのぼやけた味がする。
飲み込む前に、
「はい。あ~ん」
要求されて、慌ててまた口を開ける。ごはんが放りこまれる。
「あんたが食べないから、やってあげてるのに、さっさと食べなさい!」
口の中に増えたごはんと格闘してる間に
「あ~ん」
さらなる要求に、ほっぺの内側にごはんを仕方なく移動させてスペースを空け、
繰り返す内に、口の中がハムスターが頬袋にエサをたくさん詰め込んだような顔面そっくりになる。
「なんで飲み込んでないのに口開けるのよ!(*`Д´*)」
まくし立てる祖母の前で結局どうする事も出来なくなって吐いてしまい、怒りに油を注ぐ結果になるのも、おなじみの光景でした。
結局、偏食に関しては高校性になる頃くらいまでどうにもならなかった。中学生になって少しずつ食べられるのが増えていくまで、学校給食は地獄の様だった(x_x)。
大人の味覚って《鈍感》になることなんじゃないかと、わたしは感じています。