小学2年生の頃くらいから、朝学校へ向かうタイ坊の足取りが重くなりました。

 
同じアパートの一階の部屋に住む四才年上の従兄弟のお兄ちゃんとも、一緒に通わず、ひとりで行くようになりました。
 
なんか、様子が変だな…
 
と、思いながらも四月中頃の初『授業参観』。早生まれのタイ坊は出席番号最後の方になることが多く、新学期の初めは席も黒板から離れた後方がほとんどなのですが、
 
隣の子に話しかけたり、椅子をゆらゆら揺らしたりどこか上の空。
 
休み時間に駆け寄ってきてくれた体躯は、同級生の子ども達より一回り明らかに小柄で、行動も幼い印象を受けました。
三月生まれって、幼稚園のころよりも1年の成長の違いが見た目に出てくるのだな、とも思いました。
 
その内、
 
1年生の頃にはあまり書かれてなかった担任の先生のコメントが、連絡ノートによく書かれるようになりました。
 
『タイ坊くん、忘れ物が多いです。お家の方もお声かけお願いします。』
『漢字の書き取り苦手なのか、取り組みが遅いです。覚えるやる気もあまり感じられません。お家でも励ましの声かけお願いします。』
『避難訓練の時、臨時でいつもと違う流れで❨目的地が校庭から体育館へ変更❩避難開始のときも一人だけ準備が遅れます。安全にかかわることなので少し強めに注意しました。』
『短い休み時間なのに教室から離れて遠くまで行ってしまい、授業が始まってから「チャイムに気がつかなかった~」と遅れて戻ってきました。』
『給食お代わりじゃんけんで負けて、ずっと泣いてました。』
『「黒板消し」を教室の戸の上部に挟んでいたので危ないからと強めに注意しました。』
『隣のクラスの〇〇くんと掴み合いのケンカになり、蹴られて保健室へ行ってます。』
 
先生のコメントに対して、謝罪の言葉やタイ坊と会話した内容❨そうなった時の状況や理由と、反省を踏まえてこれからどうしていこうかということ❩を連絡ノートに書くことたびたび。
 
当時のパート先で、作業場に持ち込めずにロッカーに置いていた携帯📱留守電に学校からの伝言を聞き夕方18時近くに折り返すこと数回。
 
1学期だけで連絡ノート一冊分が終わってしまうのを目にし、
 
「ぼく、ばかなんだ。足も遅いし、出来ないことばかり。学校でも、注意されてばかり…。隣のクラスの子でも、ぼくが教室から出たら見つけてわざと追いかけてきたり、ちょっかい出してくる子がいる。
ぼくが、ばかだから。出来ないことばかりだから。へたくそだから」
 
わたしの前でポロポロ涙を落とし、うつ向くタイ坊。
 
「ママやパパにしんぱいかけちゃうと思ってた」
 
早く家を出たはずなのに寄り道して時間ぎりぎりに学校へ到着してたのは、冒険へ向かう探検道やルールを設定して、気持ちを無理やり前向きにするため。
 
「ぼくが学校でこんなにダメだったら、ママがっかりするでしょ?」
 
チイ坊が、今にも泣きそうな顔でタイ坊の服の袖をつまんで見上げている。
 
「タイ坊は、馬鹿じゃないよ。君たちを『馬鹿』って怒ったことママは1度だってないよ。」
 
二人揃ってぎゅっと抱きしめた。
 
「タイ坊、きみはお腹の中にいた時からママの命を二回も助けてくれた。チイ坊も、赤ん坊のときからいつもママを気遣ってくれてた。君たちは、ママの恩人。絶対に馬鹿じゃないよ」 
 
出来ることと出来ないことの差が、周りにもタイ坊本人にもいよいよ明確になってきたのを感じた。
 
 
1学期の終わりの個人面談で、わたしは担任の先生に自身の発達障害を明かし、夏休み中に小児神経科でタイ坊の『発達検査』の実施を予約したことを伝えた。
 
 
つづきます(^∀^;)



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