今夜のリクエストは
ペンネーム♂SAM

テーマは2つ
「えんぴつとけしごむ」

しがらみの中で純粋に生きるえんぴつと混沌とした社会
夢も希望も愛も勇気も友情も何もかもを内包して描く。
もっとも純粋な黒がもっとも混沌とした白に、世界を創る。

世界から嫌われる事をその生きる理由として世界を愛す
そんな孤独な愛が世界をきれいにして新しい世界を産む
悲しい程に歪んだ気持ちが交差して、世界は今日も回る



えんぴつの気持ち



まっしろな空間の小さな世界

何も無い真っ白な世界

僕はそんな小さな世界を支配する

もっともっと小さな破壊者

だから僕は壊して回る

壊して壊してそして描く

新しい世界を描いて回る

黒い世界を描いて回る

白い世界と黒い世界

両方とも僕の大好きな世界

今日もまた新たに一つ

白い世界を壊して回る

さよならは言わない

すぐにまた会えるから





ケシゴムのきもち


僕が生まれた日は

世界が世界を嫌った日

欲求不満の絶えないみんなは

世界を創りまた創り

そして最後に僕を創る

なぁみんな知ってるかい

僕は君たちが大好きなんだ

飽きずに創りそして壊す

そんなわがままな君たちが

光を浴びて輝く七色の虹

黒光りする炭のライン

そして僕はそれを全て消し去り

新しい世界の礎にする

失った世界では皆また欲し

創って創ってまた創って

そして僕を創って全てを消す

僕は全てを愛し、全てを消す

そんな世界の嫌われ者

でも僕にも消える時が来るようだ

消える前に伝えたい

最後にみんなに伝えたい

僕に消されたたくさんの世界と

僕の消した後新たに生まれるたくさんの世界に

僕の孤独な愛が存在した事を

そしてありがとう

最後に僕を消してくれて

これでまた一つ

新しい世界が生まれる





オマケ!




「 小人の仕事」

なぁ
君はなんで仕事をするんだい?

なぁ
君は何の仕事をするんだい?

なぁ
君は鉄の板の前に映る僕に

何を期待しているんだい?

答が無いのは分かっている

分かっているから聞きたい

そんな気持ちが溢れ出る

目から

耳から

鼻から

口から

そして全身の毛穴が戦慄する

答は僕の中にある

それなのに見えない

それがどうしてももどかしく切ない

そんな時は聞いてみよう

彼ならわかるはず。

僕の中にいる小さな小人

こうやって話しかければ

いつかは必ず伝わるはず

僕の中にいて

僕と世界を見る

小さな小さな小さな小人

僕を導く小さな小人

今日、こんなグルーポンを見つけた…
誰か行かない?w
http://goti.jp/  ←和+肉 鍋  2000弱 四ツ谷麹町
http://qpon.jp/  ←和+イ コース5000弱 千駄ヶ谷
http://www.piku.jp/area/tokyo  ←和+肉 鍋 1000弱 五反田
http://pomparade.jp/  ←仏 コース 5000弱 恵比寿

注※時間制限があるので一定時間が経つとクーポン内容が変更されます

まぁそれはそれと
以下グルーポンについて

最近のマイブーム グルーポン

グルーポンとは?
(Groupon)はグループ(group)とクーポン(coupon)を掛け合わせた言葉です。要は共同購入の割引クーポンです。制限付き[既定枚数に満たなければ不成立]共同購入であり、また宣伝効果をかけているため、通常よりも高い割引率が可能となります。

サイト上では割引クーポンの取引(基本1日1地域1取引)が提示されます。取引が成立するためには、決められた時間内に購入申込者が規定の人数に達する必要があります。購入申込者が規定の人数集まらなければ申し込み自体が無かったことになります。これは申込者がツイッターやブログで自分からその商品を口コミ的に紹介し、規定数に届かせる動機にもなっています。

口コミでの広告効果+効果が見られない場合の損失が少ない+事前に利用状況がある程度見込める。というメリットがあります。

以上、グルーポン新聞より引用一部改定


ちなみに傾向としては
・美容健康系、教育系、食事系が多く、量的順番は 食事>美健>教育
・食事では肉系のクーポンが多い気がする、何故か。。
・また、既に知名度が高く皆が知っている店、と言うよりも新興の店やちょっと凝った店などが多い。
・割引率は40~50%off位が多い たまに80とか90とかがある。
・ウェブサイトは今10~20位大小あるが、そこまで違いは無い。
一応いくつか列挙すると…
ミナワリ GOTi Qpod キューポン ニコポン TOKUPO Piku Groupmail PREPON KAUPON ....等々 まぁ「グルーポン」でググれば色々出ます。



そんなグルーポンなのだが、これがまた結構使いにくいという話
と言うのも
・申請してから届くまでにしばらく時間がかかる&到着日が明確でない。
・申請の時点で一緒に行く人数を決定する必要がある。&しばらく先になるので予定が立て難いに関わらず、制限時間は短い。レアなクーポンの場合は早く売り切れる事もある。
・一度に一クーポン、今は結構たくさん業者がいるのでそれなりに数はあるが、何より毎回チェックするのは面倒である。

と、言うわけなのでそれなりにいいクーポンがあって行こうと思ってもではそれを買うかとなると未だ大阪冬の陣。

しかし、実際ここに出てるクーポンの店が魅力的なのも事実なのだ。
よってこれから上記のデメリットを克服する手段を考えていこうと思う


次週
グルーポンを有効利用するために

衆愚政治とは民主政治の別称である。

以下、wikiより引用 

詳しくは→参照 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%86%E6%84%9A%E6%94%BF%E6%B2%BB

多数の愚民による政治の意で、民主政 を揶揄して用いられる言葉 。有権者の大半が知的訓練 を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況をさす。また有権者 がおのおののエゴイズム を追求して意思 決定する政治 状況を指す。


日本という国家は古来、共同体としての和を持って、そしてそれに依存した生活スタイルを持っていた。

現在政治的な問題として挙げられている 年金等の保険システムは企業制度を見れば明らかだ。


それに対して、近年では個人のQOLと言った言葉に表れているように、個人個人がそれぞれ己の生活の質を向上させるために利己的な生き方を持って独立し、オリジナルな幸せを掴んでいく事がよしとされる傾向が生まれてきている。


しかし、一方ではこのような現在風の個人として独立して生き方に馴染めず古来型の共同体システムを求める人もいる。 その中には、純粋にスタイルとしての旧型システムを求める人から、共同体への依存が重度になっているためにstandaloneの状態に戻れなくなっている人まで様々だ。


どちらのスタイルがよい悪い、と言う訳ではないのだが、現状として、今の日本の経済状態を見るとワーキングプア層等の増加に見られるように。それぞれのシステムの狭間にあぶれてしまっている人が多数見られるといえる。


ここには大きく2つの要因が考えられる。(実際2つどころではなく無数の要因が考えられるがあえて2つを選択する)

1つは、旧来の不完全な共同体システムに半ばアディクトしてしまっているため、もはやスタンドアローンな状態で現行の社会に復帰する事ができない、よく言えばシステムの被害者、悪く言えば負の遺産と化してしまっている事。

そして1つは、現在この2つのシステムが中途半端なカタチで共存しているために、それぞれにマッチする人間が当て分けられていない事。この共存は名目上は良い点を共用というが実際のところ都合のいい隠れ蓑として用いられてしまっている。それにより、実質的なところを見分けられずにそのシステムに参加するために、非マッチング状態が多数発生する。



一つ目の場合、これまではみんなで一体に、と言う考えが崩れたために、上の方の既に力、金、権力とかの既得権益をいただいた層が経済の崩壊と共に持ち逃げを起こし、おいていかれた無言の賛同者層の生活構造が崩壊したというわけである。(もちろん他にも色々あるけど)

これに関しては今後、個人としての生き方をより真摯に考えねば今後の社会において生きていけないというとても現実的なアナウンスを行う事でマシになると思う。

二つ目の場合、どちらのシステムを、と大儀面分のように用いるのではなく、それぞれの共同体がその構成員に見合った仕組みをそれぞれ考え構築していく事に解決があると考える。それは一朝一夕でできるものではないが、それを模索して進化を続ける事が共同体の宿命なのでは無いだろうか。


そこで、提言 と言うほどのものでもないが。一学生の考えを掲げてみる。


それは まっとうな努力が報われる社会を創る事 である。


まず、日本が格差や様々な問題が存在しているという事は十分にアナウンスがされている。それもメディアの戦略的な方法だが、それでも現在のインターネットや様々なメディアを持って補完する事ができるだろう。

よって、次に、努力のインセンティブと、個人の独立の重要性を真剣にアナウンスするのだ。

格差と言うものが必然であるが、その仕組みは思っている以上にシンプルな構造で出来ている。

一日1時間学び働くものと一日10時間学び働くものでは、3年後には途方も無い格差ができている。

しかし、これはつくべくしてついた格差であり、是正するべきではない。むしろここで是正を持ってくるのではなく、このような事をしたから結果として格差が出来ているという状態を明確にして、人々が日々の努力をするインセンティブをより喚起するべきなのだと思う。

そこで重要になってくるのが、努力と結果に対するフェアな報いである。努力のインセンティブとはその結果を持って補完される。よって、個人の努力が報われる社会ができて初めて努力のインセンティブが成立するのである。

また、そこで大事になって来るのが国家のシステムだ。国家は国民に対してフェアでなければならないのである。しかし、このフェアというものは、無償の愛というものではなく、あくまでgive&takeの関係であり、国家のために何らかの方法で尽くす国民と、そんな国民を守る仕組みを作る国家という関係である。

人は、国が と言う言葉を良く用いるが、国民と国家は別物ではない。国民が稼いだ以上の資産は国家には無く、また、国民の努力はパイが広がらない限りゼロサムである。 努力をしない人間がいて、彼らを救済しようとするには、同じ国家にいる誰かがその分の努力を行い補填しなければならないのだ。もちろんこれはアリとキリギリスの話にあるように。アンフェアで歪んだ話である。  

よって、今後、このようなアンフェアな構造をどれだけ変革する事ができるかと言う点が今回のコンセプトである、まっとうな努力が報われ、それをインセンティブとしてスタンドアローンな状態に耐えられる人を生み出す社会を創るための要点であるといえる。




あとがき

今回は本当は 学歴社会というシステムから肩書きをはずして、一個人としての存在を再認識した時に得られる不可解な社会の歪みの正体について考察するつもりだったのだが、書き始めてみたらなんだか一般論的な方向によってしまった。と言うのは、このテーマ自体もやっぱり思いつきでしっかり考えていなかったのでちゃんと文章にできるほど練れていなかったってのが原因だと思う。 もう少し考えがまとまったら記述しようと思う。


それにしても、そんな世界の事を知っているわけでもないのだが、どうして日本人というのはこう生き急いでしまうのだろうかね。人生が50年あるなら、5年位は立ち止まって本気で自分と世界について考える時間があってもいいと思う。そのために自分とその周囲の環境について明確に認識するための余裕のある生活を送りたいものだ。


ちなみに、テーマの二つの単語の意味は言いたいことは同じで別の単語で書いただけですw


最近、ニートがニートという肩書きを堂々と持つようになった事で何か安心感を得てしまっているような気がする。


何故だろうか


ヲタク って単語で露骨に引く女の子も

ニート だと、ダメな子ね♪位の感覚だ


まぁ実際この2つが同棲する事は多いけど。
なんて言ったら怒られてしまうか


まぁ何が言いたいかと言うと

肩書きのイメージ が如何にその対象者に対して心理的な作用を及ぼしているか、と言う事だ。


例えば ヲタク の推移

一時期 笑い男 のヒットにより知名度と共に所謂 お宅な文化からサブなれど日本文化として定着。文化の向上によりヲタクに対するイメージが社会的に向上 それと同時に電車や街中で心なしかオタクが堂々とするようになる。イベントの増加。対象がオンからオフに浮上。市場の形成、街中におけるオタクエリア増加。所謂「興味津々」的に文化に触れる一般人の増加。。。 むしろ勝ち組? 

こうして だんだんイメージが変化していく。
これはいい例


逆に -になった例。一概には言えないけど
男 と言う不安定な概念が
草食系 と言う形容をつける事によって具体化
クサしか食べない受身且つ非好戦的なイメージ
それにくわえて誕生した肉食女子から捕食される対象への変化

これにより、別に肉食ってワケでもない男子は草食という形容を持ち、その肩書きの影響を少なからず受けていく。

ちなみに自分を例にとると、とある友人と同じく、所謂ウサギ年御羊座農業高校を卒業毎朝の日課は野菜ジュースを飲む。と言ったようなベジータっぷりに加え、親からも何の関係があるのか、あんた草食系なんだから肉食いなさいとか、兄がいると、お前は野菜食え、とか言って肉を奪われたり。


人というキャラクターを認識する上でこのような肩書きとかを貼る事で相手の存在を具体化するのは確かに便利な事だと思う。

しかし、大衆迎合化されたニュアンスと言うものは時に逆影響を与えてしまうような事が良くある。血液型占いとかも。

別にそれ自体が全て悪いというわけじゃないが

時にそれは自己正当化や人間関係における誤った判断の元になる事が多々ある。



故に、肩書きの扱いと言うものは極めて気をつけなければならない。



追記

日本に置いては多くの人間が老年期を迎えリタイアするまで常に何かしらの肩書きを持つようにできている。

いや、もしかしたら、社会が容認しやすいように、そのようなシステムが出来上がったのかもしれない。

これは、日本の、個人、では無く集団に所属にするうちの1人、と言う価値観が強くにじみ出いるように感じられる。

そこには多くのメリットとデメリットが存在する故に一階に成否は下し難い、故に既存文化として今も残り続けているのだろう。しかし、今後は上記のようなネガティブさをネガティブと捉えないような控えめな文化が起こす弊害の可能性を考えると、より柔軟な対応が出来るような文化的進化の必要性が問われているのではないだろうか。


H-nszw


友人で 狙っている女の子と映画を見に行く時は事前に
その映画を一度観て、一緒に見に行くのに適しているかを確認してから見に行くというやつがいた。


その時の俺は
同じ映画を二度見てどうする
むしろ感動が薄れて自分のテンションはストップ安じゃないか
と、思っていた。

しかし

今になって考えてみると



そこまでの努力とか熱意のようなものも
少しは分からなく無いと感じるようになってきた。


そんな事を考えながら
今一本の映画を見た。


嗚呼、、、


やはり 
もう一度観る気にはなれない。


本当の名作だったら違うのか
いやそのような問題では無いのだろう

恐らく。。。







「愛を読む人」-The reader-


ドイツを舞台した映画です。


1人の純情な青年の人生を軸とした淡く切ない恋物語



オトナと子供


法と道徳


愛と体裁



何が正しくて、自分はどうするべきで、どうなるべきなのか


考える程に時は経ち 時間は自の心を置き去りにする


そこに留まった思いは いわば呪いの如く記憶にしがみつく


ただ1つの純粋な想いが生まれてしまったが故に


決して失う事の出来ないものができてしまったが故に


その喪失は決して癒えない傷を残す 自ら記憶に刻み続けるが如く...



されど運命は時に甘美で残酷な顔を醸し出す


失われた禁断の想いが蘇る時。


全ての欺瞞が明らかになり、真実の想いが再び現れる。


されど時は 過ぎ去りし時間を非常にも突きつける


慈悲も加護も無いその現実は


急速に人を変化させる


その変化が何を起こすのか


今はまだ知る由も無い




編集後記


このブログを書き始めた頃

自分は、急速な転機にいる自分の変化を綴ろうと思って文を取ろうと考えた


しかし、変化と言うものは、ただ転機にあるから発生するものではない。

そこに起こるべき何かが起こって始めて 人を゛変える"のだ。


ただ現実を受け入れて、その流れる出来事を考え続けるだけでは人は変わらない

変えるためには変わろうとしなければならない。

自分を変えようと動き そのキッカケを掴み取らねばならない。


だが、その変化の良し悪しも一概ではない。

それを知るには

事の善悪、ルールなど多くの事を知らねばならない。


しかし、社会や現実など多くの事を知るようになった時には膨大なときが過ぎ去っているのだろう。

それは変化を起こすにはあまりに遅すぎるのかもしれない。


人は変化する時に 変化した後を知らずに変化しなければならない運命を持っているのかもしれない。


そんな考えを起こさせるような作品だった。


それと、少し自分と重なる主人公に感情移入してしまったのかもしれない。



よい作品のひとつだと後世に伝えたいと想う。  キロ


ちなみにこの作品は 2008年のアメリカ・ドイツ合作映画(英語製作)。

ベルンハルト・シュリンクのベストセラー小説 『朗読者』 をスティーブン・ダルドリー監督が映画化。


朗読者 (新潮文庫)/ベルンハルト シュリンク
¥540
Amazon.co.jp

ネタバレ要素が入っててもいい人は以下参照

wikipadhia「愛を読むひと」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E3%82%92%E3%82%88%E3%82%80%E3%81%B2%E3%81%A8


最近 自分が駄目人間


いわゆる社会のボトムス的な生活を過ごしている事に気付いたので


その状況を脱するために、少し 何故こうなってしまったのかを考えていた。



まず、自分の立ち居地だが


進路(就職か進学か)

を早急に決めねばならず かつ準備もそれぞれに大きな時間を要するために時間もさしてない。

保険で両方選択とか言うのが厳しくなってくるじきだ。


そして大学の講義でも 論文を書く講義が1つ 自主学習型講義が1つあり そのウェイトも大きい

また、ダラケズムを発揮したおかげで殆ど出ていない授業が半分程

これのフォローアップも大変だ。



では、何故このような状況のなるのか 日々の生活から追ってみよう。


では普段まず何をしているのか


まずよくいる場所 布団の上 机の前 PCの前 そしてフロトイレ食卓などなどだ。


やっている事は ネットサーフィン ブログ レポート 研究 英語 筋トレ ゲーム 


ここだけ見ると特に問題の無いように思える


では何が問題なのだろうか、もう少しフォーカスしてみる。


まずそれぞれに使う時間だが


ネットサーフィン 数時間 ブログ 30分程度 レポート1時間位 研究不定期 

英語 不定期 筋トレ不定期 ゲーム不定期

不定期が多いので測定し難いが どれも多くても2時間位だ


そう考えると 何かきになる事が・・・   そう   時間が余っているのだ。


全てフルに一日でやったとしても7,8時間、多く見ても10時間くらいだ


他の時間はどこに行っているのか。 そう



ボーっとしている時間、睡眠過剰時間 である。



このような時間は中毒性があり、日に日に量を増していく傾向があると判断する。


では、駄目人間は皆このようなボーっとタイムを用いているかと言うと そのようなワケではない。



では何がダメ人間要素を作り出しているのか 3時間ほど考えてみた。 

ダメ人間について3時間考えて自分が3時間分ダメ人間になった気がしたが・・・


自己生産性 と言う概念を考えてみた。


つまり、自分に対して生産性 (知識、技術、能力、感性とかなんでも

蓄積するものが自分に与えられているかどうか、と言う観点だ。


そしてコレの過多が駄目人間か否かを生み出していると考える。


まぁモット狭く取れば、社会に必要とされるもの以外は身に付けても駄目人間とか言われそうだけど

ここではなんかこう社会的な制約下の話はしたくないのでその点は除外


しかし、まぁボーっタイム以外の阻害要因はあんま自分に関係ないのでここではぼーっと時間が起こる要因を考えてみる。


まず、集中力が一定以上散ると発生するという仮設がたった。

つまり、部屋にあるものの種類、散らかりよう が1つの要因になっているのでは、と考えた。


しかし、何も無い和室においても、ボーットする時間は発生する。

睡眠時間も十分摂っているのに何故このような事が起こるのか。


仮説2

体力の低下説、 体力が低下すると 姿勢の維持や集中力が低下する

すると自然に意識が散漫になりやすい。

これは1つの要因であると思われる。


仮説3

これが一番大きな問題だと思われるのだが 危機感と言うファクターだ。

何事についてもそうだが、何かをするときには優先度と言うものが存在する。

何故それをやるか やらなければいけないか やるべきか。何を優先すべきか。

と言う問いである。 そこにおいて ボーっとするというものはある意味で至上の楽な選択である。


しかし、それによる効用を越えて選択を行うという場合には何らかの理由がいる

そう、やらなければいけない理由。


今の自分に対して言えば 今選択をちゃんと決めないと後で苦労するだろう と言う緩やかなビジョンがあるだけで

実際の明確のビジョンが見えていないだけに、危機感が足りないのだと思う。


ここまでをまとめると 駄目人間になる要素は


体力低下 集中力低下 優先度付け、つまり目的の喪失 危機感のロスト であると考える。



よって対策として


トレーニングプログラムの作成

日々の生活の形式化

目的をしっかり見定め その間の選択肢を割り出し、優先度別に分けて実行する


である。



よーし がんばろ

就職活動してると良く聞く話で


学生生活なんてのは就職した後に比べれば何もしてないようなものだといわれる。



確かに、9時に出社して夜まで働いている人と


目が覚め 堕落し 御昼前に大学に行き3,4時間勉強して そこから趣味やら酒やら堕落やらで一日が終わる学生を比べたら


まぁいわゆる 成長(社会経験的に) ってのは社会人の方が上かもしれない。


ただ

ここで、すぐに社会人にならなければならないという 流動性のワナにハマってはいけないと思う。


もっと冷静に


社会人になるとどうなる


学生ってのはどういうものだ


自分はどうしたい


あれ、モウ1つ 社会人と学生の他に選択肢は無いのか



とかとか色々葛藤するべきだと思うんだよね。



ただ、今の日本社会ではキャリアの穴 っていわゆる学歴とか職歴に空白ができるのはまずいらしい。


だからギャップイヤーとか無いし


学生生活の中で 学問と 人生と 仕事と 全部考えなければいけなくなる。 大半は 


次の未知(道)に進めば分かる って思っていくのだろうけど 果たして見えているのだろうか



学生にはもっと考える時間が必要だ。 と思った今日この頃




ただ、勘違いしないで欲しいのは


それでも時間には制限があって


考えられる時間ってのも決まっている。


少なくとも今の社会ではさっきみたいなキャリアの穴とか社会的体裁とか色々ある訳で。

少なくとも今の体制下ではその基準の中で大半の人が判断されることになる。


そして そのために考える事ができる時間ってのはそれぞれの家柄や家庭環境に比例してしまう。

まぁそこらへんは 考えて親も生んでいるのだろうし育ての親に相談してみるといいだろう。


一番まずいのは

タイムオーバー



何も決定せずに時間を過ぎてしまう事


決定的な場面で新しい何かの岐路を決断するに当たっては必ずと言っていいほどなんらかの条件が課される


その時に当たってそれを満たしていないとその道は閉ざされてしまう。



そのためにそれぞれの選択肢にはまたそれぞれ準備期間を含めた制限時間がある。



だから、進路を考える時は


それらを列挙すると共に


その制限時間を考えなければならない。



それ故に 人生選択ってのは最高に難しく そして楽しく 大半の人間が苦悩するのだ。




随分と話がそれてしまったが。


最初に言いたかった事は


ただ社会で実務がベストと言うような既成概念にとらわれる事なく。


周知である事実が事実であると受け入れられる要因を自分なりに分析して最善手を選ぶ事だ大事だって事




別に会社で朝から夜まで仕事する事が大学で一日中勉強する事より勝っているとは限らない。

机上と実践ってのはそんな簡単に比較する事はできないって事。








と、少し言い訳を考えてみた。

2005年6月12日 stanford university の卒業式におけるSTEVE JOBSのスピーチである



要約 


三つの話をする

 最初の話は点を繋ぐ事

私は養子である。大学に入ったが学費に見合う価値を見出せず退学した

しかしそれで自由になった私は好きな科目のみを学んだ

そしてそれが後のマッキントッシュを作る役にたった。当時は何も考えずに

好きな事をやっていたが、それが後に点として繋がっていく事になった。

しかし、当時この点のつながりを見越す事はできなかった。だから

将来のつながりを信じて進む事が大切だ。

 次の話は大切なものとそれを失うことについて。

私はマッキントッシュをクビになったとてつもない衝撃を受けた。しかしそれは私にとってはラッキーな事だった。その後創ったNeXT 社は世界一のアニメ製作会社になったそして、素晴らしい女性と恋におちた。

 三番目の話は死について

私はガンを申告された。しかし翌日の検査で稀な例で回復が見込めるということがわかった

私が若いころ、とある出版物があった。今でのグーグルのようなものだが理想に満ちていて巧妙な道具や偉大な概念が溢れていた。そして最後の号にこうあった ハングリーであり続けろ。そして愚かであり続けろ。


と言った内容だ。

少し雑な要約だが、詳しくは是非本物を見て欲しい


youtube で steve jobs speech で検索しても出る。↓これ  俺親切~

http://www.youtube.com/watch?v=UF8uR6Z6KLc

google で steve jobs speech してもいい。台本も和訳英訳共に出てくる。

http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html  (英語版

この中で惹かれたのは二つの文章(読みやすいように和訳してあるやつを使う)


一つ目 


人生は時にレンガで頭を殴る。信じることを止めてはいけない。私は自分がしていることがたまらなく好きだ。それが私を動かし続けている唯一のものだと堅く信じている。たまらなく好きなことを見つけなければならない。そしてそれは仕事についても愛する人についても真実だ。仕事は人生の大きな部分を占めることになり、真に満足を得る唯一の方法は偉大な仕事だと信じることだ。そして偉大な仕事をする唯一の方法は自分がしていることをたまらなく好きになることだ。まだ見つけていないなら探し続けなさい。妥協は禁物だ。核心に触れることはすべてそうであるように、それを見つければ分かる。そして素晴らしい関係は常にそうであるように、それは年を経るにつけてどんどん良くなっていく。だから見つかるまで探し続けなさい。妥協は禁物だ。


二つ目


死を望む者はいない。天国へ行くことを望む人でさえ、そのために死にたいとは思わない。それでもなお死は我々すべてが共有する運命だ。それを免れた者はいない。そしてそうあるべきなのだ。なぜなら死はほぼ間違いなく生命による最高の発明だからだ。死は生命に変化をもたらす主体だ。古き物を消し去り新しき物に道を確保する。現在は皆が新しき物だが、いつかそう遠くない将来皆は徐々に古き物になり消し去られる。芝居がかった表現で申し訳ないが正に真実だ。

皆の時間は限られているから誰か他の人の人生を生きることで時間を無駄にしてはいけない。教条主義の罠にはまってはならない。教条主義とは他の人々の思考の結果に従って生きることだ。他の人の意見という雑音に自分自身の内なる声をかき消されないようにしよう。そして最も重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。心と直感は本当になりたい自分をどういうわけか既に知っている。その他すべてのことは二の次だ。




最近自分の進路を本気で考える中で。自分が本当にやりたい事って何なんだろう といつも自問自答している。


そして、一体どれほどの人がこの答えを見つけているのだろうか。と思う。


最終的に人は一人で生きていくための力を身に付けなければならない。

そのためには得なければならない能力は力はたくさんある。

そして時に、何も考える余裕無くがむしゃらに走り続けなければならなくなると思う。

そして走り終わった時、走っている時に、何を考える事が出来るか、何を成し遂げることができるか。

それが一番大事なのだと思う。

それを誇れないようにはなりたくない。 だからこそ この今を本気で考えなければならない。


考えて 動いて また考えて 学んで そして考えて。


何もしないで過ぎていく時間が怖い。 堕落へ向かう自分を恐れる。

それでもその時は自分を意識せずに過ぎる。 過ぎてから自己嫌悪する。

そうならないためには、もっともっと考え 自分に色々な習性をインプットする必要がある。


ジョブス曰く がむしゃらになれる大好きなものを見つけなければならない。という

これは本当に大事だと思う。見つからない間は走らなければならない。妥協してはならない。


二つ目の文章に関しては、誰もが考えていてもあえて口にしない事だ。


何故ならそれは人にとってのある意味での暗黙裏のタブーとなっているからだ。

人にとっての唯一絶対なるものであり、究極の諦めの対象であり恐怖である。

しかし、それを認識する事で自分という存在を常に引き締める

それは素晴らしいことだと思う。そしてそれを受け入れる事は強さだと思う。

見習いたいものだ。


常にハングリーであり続け 常に愚かであり続けろ


この最後の記述に関して 説明はされていない。

だがこのスピーチを聞いた後だと、少し分からなくも無い気がする。

心理的な変化を書こうとは言ったものの、、全然書いていなかったww


三日坊主でゴメンナサイ。 って一月で2回って3日も続いてないか。


某友人の書いた句を思い出す。


フィットネス 入退会を 繰り替えす。。



今回はテーマの通り、 認知的不協和の解消 について。


まず認知的不協和ってのは何かというと


例えば今日何をするかって時に


天気がいいから外に遊びに行こう


と言う選択と


今日は家で勉強しよう


って選択があったとする。



この時、、外で遊んで気分をさっぱりさせるべきか勉強してもっと自分を磨こうって思うか。

どっちの選択をするか と言う点で自分の中で少なからず葛藤が起きます。


その葛藤を 行動経済学の用語で 認知的不協和 と言います。


そして認知的不協和の解消とは。



例えば、上記で 本来渋谷に遊びに行こうと思ったが 勉強を選んだとします。

しかし、その日、渋谷にエスパー伊東とラーメンズが突撃路上対決コントをやってたとします。


そんな時に あぁぁぁ、渋谷に行っておけば良かった!!って思いますよね。


しかし、ここで。


いや、待てよ。狩りにあの時間に行ったとしても時間遅れてるから途中からだし込んでて後ろの方でジャンプしながらがんばってみてさらにギューギュー詰めの場所で汗だくになりながらまでして見てさらにその後終わって汗が冷えて風邪引くかもしれない状況になるなら今勉強ちゃんとやって後でyoutubeかなんかで見たほうがいいな!


と、対象のネガティブな面と自分の選択のポジティブ面を考える事で自分の選択を正当化し、葛藤を解消する事。


これが認知的不協和の解消 と言うものです。


しかし、これには冷静な判断が必要なワケで。



今日も全く勉強しなかった。 でも勉強したらストレスでハゲるかもしれないし健康にも良くない。それにくらべて今日はぐっすり寝てダラダラしてリラックスできたから自分に取ってはそっちの方が良かったんだ。


と、言ったような。一見そしらの方がいいように正当化されているが、他の価値観を通す事で客観的に見たら全然正当化できないようなケースが起こりえます。


それ故に


自分の中で認知的不協和が解消される際には きちんと冷静な判断と視点をもっていないと。


負の解消パラドクスが発生してしまいます。







そんな事を考えていた時間と英語の勉強する時間。。。ちゃんと正当化できるかな。



というのは、皆が毎日色々なものを改「善」してけば凄まじい勢いで善が増える

そうなれば世界はもっと良くなるんじゃないかってこと。


まぁでも変わるのは確かだと思う。よくなるかどうかは別として

しばらく前に友人が 一日の終わりにその日の改善点を考えろ と ボスに言われた。

という事を聞きて、 確かにそれはアツい って思った。

一日の最後に一つずつ改善。できたら面白い


簡単そうで難しいよね。



ってことでやってみようと思う


今自分に課しているものは



一日の中に必ず英語に触れる機会を入れる事

一日の中に必ず将来を考える時間を入れる事

一日の中に必ず人と話す機会を入れる事


ネタやアイデアを考えたらASAPでメモり。まとめてネタブロに投稿


夜寝れなくても朝はちゃんと起きる事 夜更かし←睡眠時間の減少

遅く寝て遅く起きると生活が歪む でも遅く寝ても同じ時間に起きれば

そのうち限界に達して結局時間は戻る。

戻らなくなる時は耐性がつくかお逝きになる時。それはそれでいい。


プレゼン ディベート ディスカッション 論文 を作る能力がほしい どうすれば学べるだろうか。

それもこれからは考えるようにしよう。



一度も挫折を経験しないと、流れに乗っている自分を認識できない。

流れが最後まで続いているならばそれでいいのだが

その終着点と理想が異なる場合は早めに一度挫折した方がいい。

考えるきっかけってのは 意外と少ない。


そしてどんな人間でも なりたい自分とかやりたい事ってのはあるものだ

改めて考えると出てこないのは、あまりに多い選択肢から選ぶ事に苦悩しているにすぎない。

別にひとつじゃなくていい。たくさん効用を満たせるものを選び続ければいい。


流れに乗っているってのはラクだけどハッピーじゃない気がする。

マトリックスに出てくる繭の中にいるような気分になる。

モーフィアスと一緒に戦うのも大変だし夢の中で生きるのもいいが

夢は壊れるリスクがある。


まずは強くならねば。

そして何を専門にして強くなるか それが重要


まずは選択肢を考えてみよう

それから選択してみよう。


今日の改善点


無想時間をもう少し減らす努力をしよう 光陰矢のごとし