Oさんは小学生の頃からCSで育ち、やがて幼稚園教師に就かれましたが、その後東教会の3歳児保育の「こひつじ園」で30年間奉仕されました。退いた後は長老として園長の任を負われました。
ところが1919年8月に婦人科系の癌が発症して化学療法を受け、効果が出ているようでしたが翌年3月に再発し、緩和治療を受けることになりましたが、Oさんと同じく中学時代からCSで育ったS医師が主治医として緩和治療を担当することになりました。
Oさんからは時折便りがありましたが、そこには心臓移植を終えたわが家の長女のことを共に喜び感謝し、「6月から礼拝も再開したので、早く教会に行きたいと祈りつつ送っています。次女が6月13日に入籍します。式は延長です。」と書かれていました。
その後腹水が溜まり吐き気と強い痛みに襲われる中での闘病生活が続きましたが、持ち前の少女のような親しみ深い柔やかな笑顔は失せること無く、主に在る平安と希望に生き抜かれたようでした。最後となったお便りにはこのように記されていました。「『泣きながら夜を過す人にも、喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。』(詩編30:6)。傷みこそ神とその人を繋ぐもの、その痛みを共に背負ってくださる神がおられる。そこに希望がある。」
在宅看護がが始って3週間、8月15日の早朝に召されました。駆け付けたS医師はその時のことを、「頬笑みながら眠っているような綺麗なお顔であった」と追悼文に記していました。耐え難い苦難の中にも、最後まで笑顔を失わなかったOさんでした。今思えばその笑顔はキリストの笑顔でした。
6月22日、主日礼拝での奏楽が最後となりました。
7月23日、次女の結婚式が執り行われました。




