大震災の記録 20110313
昨日午後からの、「メディアの関心」はこちらか。
0525 起床、ぐっすり寝た。期待に反して電気は来なかった。つけっぱなしのラジオから鉄道全面不通と。
0541 余震。「余震」と言っても微かな揺ればかりでなく、いつもなら本震の震度3、4もザラにある。
0615 朝食。電気はないが、水とガスはある。
・・・にもかかわらず、早くも「輪番(計画)停電」の話が出てくる。一度も復旧していないのに。
多くのメディアが「東日本震災(大地震)」との表記になるも
震源近く、直接被害の大きい東北地方ばかりがクローズアップされている。それが不満だとは言わないが
北関東の窮状に中央のマスメディアがふれることはほとんどない。
携帯電話からblog仲間にコメントを残す。東北ばかりでなく助けを待つ人が多いのだと。同じように感じ、被災の
ない地域のフォロワーに働きかけた県内被災者も少なくなかったようだ。
その後、twitterを通して「メディアが取り上げない茨城にも助けが必要だ」とのツイート、リツイートが溢れる。
鉄道や高速道路の不通、主要道路が使えず(渋滞)、食料、生活物資の不足は今後さらに懸念されることだ。
食料品を扱う店では陳列棚に商品はなく、ガソリンを求める長蛇の列が各所にできているとのレポートあり。
0825
宮城沖の余震が伝わる。小さな余震は昨日と同じぐらいの頻度か。時間帯で比べると朝は多く感じる。
今日の天気は「晴れ」の予報、気温も高くなるようで、それだけでも気持ちは幾分軽くなる。
充電池もクルマで充電する。乾電池は入手困難、特にUN-3規格。不用不急の家財からも電池を抜いて備える。
状況次第で充電が満足にできないということをすっかり忘れて、以前ほど乾電池の買い置きをしなくなっていた。
1015 従兄から電話あり。
1026 直近震源で地震発生。
1115
余震の間隔が短い。クルマの使用は今日も控える。ガソリン確保にはかなり時間を要しているよう。小パニック。
今ここを「長時間空けないこと」を優先する。
1145
相変わらずnetには「・・・みたい」「・・・らしい」が多い。それを広める人も。悪気はなかろうが。
電気の復旧は東電発表で『本日夜中のうちに』・・・と歯切れが悪いが仕方ない。ダメにならないうちに食べる。
1340 余震のスキを縫っての屋根の修繕。
見回すと天井が落ちて屋根のゆがんだ家屋、瓦の落ちた家屋も見られる。全壊こそないものの被害は大。
スコッチモルトウイスキー・ソサエティと会場のBar Seleneからアナウンス。他会場の皆さん、どうか愉しんで。
1400 横になって仮眠。 1515 「揺れ」で起きる。
1545 今日も補充物資の調達。昨日とは違うエリアへ
「リアルな情報」はnetにはない。自分の目で見て確認できたものだけを共有したい。(が、ムリな外出は控えよう)
2キロと離れていない同じ町内で既に電気が来ている。帰る頃には復旧なるかと期待する。
必要としている人たちのところに行き渡ったのであれば、それでいい。
もちろん、今日もバックパックに入るだけ
主食は肉体的な満腹感を得られる反面、非常事態の「行動食」にはならない。万一のときも携行できるモノを
入手しておく。菓子類は「精神的な満足感」が得られる。
多少落ち着きつつあるとは言え、酒は控える。
電気も来ない、食事も味気ない。そりゃ酒でも飲むしかない・・・のは「平時」のこと。酔って行動を鈍らせない。
落ち着いたら、同じように震災と戦った「新潟」のエチゴビールを飲みたいと、眺めながらノンアルコールを。
もちろん挽肉は「格納庫」(冷蔵庫だった白い箱)から処分するために。米は少し水が足りなかったかな。
古いマグライトはLEDにコンバートしておいたもの。この明るさは助かる。電池の消耗も少ない。
2010 揺れる。県内停電軒数、逆に増える。
2035 「計画停電」発表。まだ電気が来ていないのに停電することが決まった。
2145 携帯電話でbiogを更新。
2219 自分を奮い立たせ、耐えるつもりでblogを更新したはずなのにイラ立つ。冷静になれ自分。
2300
携帯電話(2台)のバッテリーがエンプティ、予備バッテリーも既にエンプティ。充電のために夜間クルマの
エンジンを始動させることを控える。ベッドに入り体力回復を図る。
2359
と、待望の電気!! おそらく同一市内では一番最後のエリアだったのじゃなかろうか。しかし明日は停電がある。