その昔、時は戦(イクサ)時代の物語。

とある国境の砦に、父親と息子が暮らしていました。

息子は戦に駆り出されても良い年頃です。

そんなある日のこと、事件は起こりました。

父親の飼っている馬が逃げ出したのです。

昔の馬は今の時代で言う資産。
いわば大金を失ったようなものです。

それを知ったご近所さんたちは、父親を慰めに見舞いました。

「いやいや今回の事件は残念だったなぁ」

すると父親はこう返します。

「それはどうだろう。この災難幸福になるかもしれないよ。」と。

そして、しばらく経ったある日。

なんと逃げた馬が、たくさんの駿馬を従えて戻ってきたではありませんか。

その出来事にご近所さんたちも、お祝いに駆けつけます。

「逃げた馬が戻って来ただけではなく、駿馬を連れ帰ってくるとは!よかったなぁ」

すると父はこう返します。
「それはどうだろう。この幸福災難になるかもしれないよ。」と。

そしてまた、しばらく経ったある日。

息子が野生の馬を手なずけようとした際
落馬し足を骨折してしまいました。

その野生の馬とは、以前逃げ出した馬が連れ帰った駿馬です。

ご近所さんたちも、お見舞いに訪れます。

「かわいそうに息子さん、大怪我しちまったな」

すると父親はこう答えます。

それはどうだろう。この災難幸福になるかもしれないよ。」と。

そのうち、その父親と息子が暮らす地域でも戦が始まり、集落の若者は駆り出されることになりました。

しかし父親の息子は、足を骨折していた為
戦力にならないと言う理由から徴兵を免れることができたのです。

そして、その命を全うしましたとさ。


以上。



ここで超訳するならば、
幸福も不幸も周りの変化や状況、また道理によっても変わってしまうような意味が深いものである。
また予想もつかない事で、一概にはっきりとは言えないものだ。というところでしょうか。

どう在ろうとも受け取り方次第で出来事の意味は変わってしまうもの。
それならば「なんとかなると考えよう」
と気持ちに余裕がを持てるようになりました。






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