僕は、1967年に、19才でNEWYORKに渡米しました。休日にBROADWAYを歩いていると後ろから来た人が ヘイ、チャリー と呼んでくるのです。僕はチャリーでは無いので無視していると、後ろから上着を引っ張り(小さな携帯ラヂオを買わないか!)僕が要らないと言うと又しても(チャリー安くするから)と勿論断りました。少しずつ米国の生活に慣れてくると、人々は、東洋人と見るとチャリーと呼んでいるのに気が付きましたが、不思議な事に白人からは、聞いたことが無く、チャリーとと呼ぶのは中近東や欧州の移民した人達でした。それから次に聞いた言葉は、JAPと元軍人の白人に呼ばれた事も在りました。暫くして用事が出来て、グレイハンド バスで3時間位掛かる田舎町
に、驚いたのは、休憩所の所で白人と黒人のお便所が分かれて、黒人は道をまたいで向こう側に
行かなければ行けないのです。僕は、わからいので運転手に聞くとカラー(黒人)の方に行けと言われました。それでも差別なんて言葉も思いもつきませんでした。仕事が忙しく、生きていくのが楽しかったのです。多分 若さの特権ですね!
それから数十年後、英国で支配人の仕事で2年ほど住みました。その時、貴族階級の英国人と
お付き合いした時、初めて差別を肌で感じました。言葉つきも態度も紳士的ですけど無言の差別を
感じました。ですから米国が大好きです。
差別を口に出す人達は、自身の生き方や不満を他人のせいにするので、なにも解決しないでしょう。
