2005年にPマーク(個人情報保護システム)の認定を受ける前まで、弊社には緊急連絡網がありました。


しかしPマーク導入後は、住所や電話番号を公表するのは個人情報の流出に繋がると即廃止!


今回グループ会社の東北事業所の従業員のご家族の行方不明・負傷及び家屋流出が報告され、支援活動を行っている最中なんですが、

安否確認等に時間がかかった事から

やはり「緊急連絡網」を復活させるべきだという声が上がりました。


でも一部の社員からは、個人の電話番号を会社であっても公表したくない!と拒む人もいて、会社へ提供してくれた社員だけで連絡網をつくっても意味があるのか?と未だに応えはでていません。


確かに、このような非常事態にあっても、支援詐欺や倒壊した家屋で悪事を働く人がいます。


150人ほどの弊社ですが、緊急連絡網を売ってしまうような人がでないとは言い切れません。


以前学校現場でも連絡網がなくなった話を聞いたことがありましたが、まさかうちでもこのような議論がでるとは・・・


今のところ各事業部ごとリーダーが責任をもって取りまとめることになりましたが、このような時だからこそ、信頼関係を築きあげていくチャンスにしたいものです!



19日の夕方ごろから偏頭痛がはじまり、20日、21日と吐き気をともなうほどひどくなりました。しょぼん


起き上がるのも苦しく、今大きな地震がきたら動けないまま潰されてしまう!

と覚悟を決めたほど。。。ドクロ

もう頭と鼻から下と、とにかく体が分裂したと錯覚するほど、コントロールができませんでしたショック!


自宅では眼精疲労からくる頭痛や肩こりを和らげるため極力PCを使用することもなく、できるだけ自然体でくつろぐ時間を大切にするつもりが、
それなのに、大事なお休みが頭痛と吐き気で台無し叫び
気がついたら頭痛薬を3日間で1箱分服用していたほど・・・・・


今朝も苦しくて休んでしまおうかとも思ったのですが、弊社のグループ会社の東北支店や福島営業所の被害が大きく、支援活動を始めている最中こんな事で弱音を吐いてどうすると我が身を奮い立たせ出社し、

午前中は鈍い痛みのなか、どうにか乗り越えることができました。


そしてお昼休みに拝読したブログで20日が満月だったことに気がつき、やっと納得した次第です。


私の場合、新月や満月の前後は何度となくバランスを崩していました。

いつもはチェックして気をつけていたのですが、今回は地震や計画停電のことに気をとられノーマークでした。ガーン


昨年脳神経外科で検査したのですが異常が見られず、どうも「月」に影響を受けていると確信がもてるようになったのです。


月の満ち欠けで体調を崩すなんて、まだまだ軸がしっかりできてない証拠と情けなくなるのですが、今はあの苦痛がウソのように頭もスッキリ音譜

月のパワーの大きさを改めて痛感した3日間でした。

PCの調子が悪くやっと今日アップできました。


11日の地震発生の日は、会社に泊まり上司と先輩とで社員の安否確認をかなり遅くまで手分けして行いました。
午前2時頃には、ほぼ全員の無事が確認されましたが、特に営業職の社員と連絡がとれず心配でした。


中にはヒールで表参道にある取引先から調布の自宅まで徒歩で帰った女子社員。
あまり知らない地域で途中道に迷って心細い思いをした者、

郊外にでかけた社員の中には、ホテルも一杯でやっと空いていたラブホに宿泊した者と様々でした。
2時間かけて会社に帰ってきたものも数名おりました。

私は先輩が床に段ボールを敷いてくれたのでそこで仮眠をとったのですが、相次ぐ余震と極度の緊張でなかなか眠れませんでした。
でも段ボールがこんなに暖かいとは・・・・
そして電気があって水があることにみんなで感謝しあったのです。

社員の中にも被災地に実の妹さんが嫁がれていて未だに連絡が取れない方や、

義理の弟さんが出張先で地震にあい、避難所が一杯で入れず、寒い中今も車中で生活しているそうです。
ガソリンもない為、帰るに帰れないようです。


本当に被災地の皆様の事、原発地域の皆様の事を思うと胸が痛みとても辛いのですが、社内でもとにかく前向きに良いイメージを描いていこう!!と声をかけあい出社できない社員の分も頑張っている状態です!

そして今日も大規模な停電の情報で大変でした。

でも必ずこの事態を日本は乗り越えられると信じています!


先の大戦からも甦った日本人の底力を私達は受け継いでいるのですから!!