こんにちは
江戸時代に生きた、「吉田大八」という人物はご存知ですか?
山形県出身の私ですが、これまでその名を聞いたこともなく、そのような人物がいたことすら知らずにいました。
今回、この人物を主人公とした映画製作をしていると、大八伝製作実行委員会の横尾さんの投稿で知りました。しかも、多くの天童市民、企業、団体のみなさんがスポンサーになり、自らの手でこの映画を完成させるほどの人物となれば、興味が湧くのも必然。
完成後の試写会にご招待いただき、天童市にあるイオンシネマ天童にて、鑑賞してきました。
天童は、織田信長公の子孫が治めていました。「吉田大八」は1832年(天保3年)江戸天童藩邸に生まれ、15歳で父の後を継ぎ、天童藩大目付、武具奉行、養正館督学などの要職を経て1867年(慶応3年)中老に昇格。
子どものころからその才能は秀でていて、周りからも一目置かれる存在だったそうです。
要職を歴任する中で、江戸では藩校の改革を図り、天童では藩の財政難対策に取り組んでいました。
当時天童藩の財政は困難を極め、下級の藩士ほど生活が苦しい状況でした。大八は、その救済のひとつとして、藩士が将棋駒を製作する事を取り入れました。武士が手内緒を営むことについて反対もあるなか
「将棋は兵法戦術に通じ、武士の面目を傷つけるものではない」
とし、将棋駒作りを広く奨励したことで、今でも将棋駒の生産地としてその産業は根付いています。
ドキュメンタリー映画は、大八の人生を辿る中で、天童の民のために何をしたのか、どんな思いだったのか、切なくも勇気づけられる内容でした。
監督・撮影・編集全てを担当したのは、「世界一と言われた映画館」などドキュメンタリーを多く手掛ける天童市出身の佐藤広一監督。
吉田大八役は、天童市出身でタレントのミッチーチェンさん。いつもの陽気なイメージは封印してのシリアスな役もまた味があってよかったです。
ナレーションと司会進行役として、山形のアナウンサーと言ったらこの人、と言われる人物、古池常泰さん。素敵な声は映像をさらに深めてくれていました。
そして脚本と解説は、大八が最期を迎えた観月庵のある妙法寺副住職の矢吹栄修さん。
天童の民を救った吉田大八という英雄がいたことを県内外の人に知ってもらいたいと映像化の脚本を書いたのが数年前。
そこからたくさんのつながりと、協力のもと、この映画は完成しました。
代表者であるこの4名による舞台挨拶の際に、
「この映画をDVDにしたので、天童市の歴史を知る教材として小中学校で活用してもらいたい、天童市内のホテルロビーや観光施設などで放映してもらえれば、観光客にも大八を知ってもらうことができ、ゆかりのある場所を巡ってもっと天童市を知ってほしい。」
と話されていました。
DVDは天童市の宮脇書店天童店でも販売しています。
将棋は、時代の流れの中でまた若い世代から注目を集めています。
「吉田大八」がいたから、今の天童にも将棋駒の産業が根付いている、このつながりをもっと多くの人に知ってもらいたいと思いました。
子どものころ、父はなぜそんなに大河ドラマや歴史のドキュメンタリーが好きなのかな、と思っていましたが、今ならその面白さがわかるような気がします。
歴史は知るほどに面白く、味わい深いものですね。
私も大人になった証拠でしょうか。