My Birthdayと聞くと、小学生の頃に
定期購読していた占いの本を思い出す
タロットカードや血液型占いなどの付録が
付いていたりして、友達と好きな男の子との
相性みながらキャーキャー言ってたあの頃
特に血液型占いが好きで、友達や職場の人の
血液型を聞いては相性や性格を分析していた
こともあったな。
でも血液型がこうだからと言って全員が
その通りの特徴ではなくて、生まれ持った
性格や育った環境でも違うしね。そもそも
科学的根拠がないのは分かっているけど
つい占いをみてしまうって感じ
でも歳を重ねた今、いつの間にか血液型は
意識しなくなったのかも。
血液型ではなくて相手の性格や特徴を
捉える能力が伸びたのと、私自身の性格が
変わったこも関係しているんだと思う。
極度の人見知りだった小中学生の頃は相手が
自分のことをどう思っているんだろう…と
思うことが多くて、自分から話しかけること
なんで出来なかったし、コミュニケーション
をとることも大の苦手だった。
お正月に母の実家で親戚一同が集まって
新年の挨拶をした時でも、人見知りが
発動して母の後ろに隠れて挨拶できず、
親戚の叔父さんに
『そんな性格じゃ看護の仕事なんて無理』
なんて言われたこともあったな~。
悲しいよりも悔しい気持ちの方が強くて
絶対になってみせる!!!と闘志を燃やし、
看護職に就くならとにかく人見知りを
変えなくちゃ!と思った。
でもそう簡単には変われないよね・・
小学生の時から看護職に就きたいと思って
いた私だけど、こんな性格で看護学校へ
行って実習できるのかずっと不安だった。
性格が少しずつ変わったのは
高校時代のこと。
人見知りだからこそ、人と関わろうと思い
高1の夏、コンビニでアルバイトを始めた。
始めは「いらっしゃいませ~」の声も
小さくて、店長から「もう少し大きくね!」
と言われてはへこんで…
でも2ヶ月経つ頃には段々と
大きな声で言えるようになって、
店長も「良くなったね!」と褒めて
くれて、自信を持つことができたし
色々と認めてもらえることが嬉しかった。
小中学生の頃の私は自己肯定感が
かなり低かったんだろうな。
何をやるにも自信がなかったし、
自分のことが好きではなかった。
高校のアルバイトで少しだけ自信が持てた
私は、家庭の事情もあり、働きながら
看護学校に通う選択をした。
看護学生時代はとても忙しかった。
午前中仕事して午後から学校、
夕方帰ってきてからまた仕事という毎日。
学生なので常勤の職員の勤務時間より
始まりも終わりも30分長く働かなければ
いけなくて、帰ってから勉強する日々。
夜勤もしていたので、夜勤の休憩時間に
テスト勉強をして、夜勤明けの学校の
テストで撃沈したり。
週3回の実習が始まれば朝早くに寮を出て
自転車を走らせて実習先へ行き、1日実習。
実習が終わったら職場へとんぼ返りして
18時までの勤務だったり夜勤に入ったり。
夜勤の休憩中に実習記録を書いて、明けに
学校へ行き眠気と戦ってたなぁ、、
そんな忙しい看護学生時代は人見知りが
どうこうなんて思う暇もなく、資格を取得
するため必死だった。
あの時、頑張ったからこそ自分に自信を
持つことができたと思うし、働いていくうち
にコミュニケーションの取り方も少しずつ
学んでいった。
まぁ、、今でも苦手なことには変わりなく、
初めての人との会話は緊張して構えてしまう
けれど、小中学生の頃の私と比べたらかなり
成長したよね(←もうおばさんだけどねw)
決してコミュ力が高いとは言えない…
むしろ低いと思われる私だけど、
VADを装着してから色んなことに
積極的になった自分がいます
今こうしてブログを綴っているのもそう、
職場との出来事だったり、新たな資格取得の
ための学校のことも、昔の私だったら
〝何て思われるか嫌だし、今さら新しい
ことにチャレンジもできないし、やめよう〞
なんて思ってたんだろうな。
VADを装着していることで、
周囲を巻き込まなければならないことが
心苦しいし、申し訳ない気持ちがずっと
あるけれど、それでも家族や友人が
協力してくれることに感謝をしながら、
今私に出来ること、やるべきことに向かって
突き進んでいくしかないんだよね!
・・・なんだかMyBirthday→占いの話→
よく分からない話へと飛躍してしまい
ましたが
何が言いたかったのかというと、、
5月18日は私の誕生日
ということです
また1つ歳を重ねました。
誕生日が近づくといつも以上に昔のことを
思い出したり、振り返ってしまうんだな
今日は平日だけど下の子の習い事が終わって
から、私が行きたかった(食べたかった)お店
へ行ってきました







