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現実を突きつけられた翌日は
朝からバタバタの1日だった

移植申請を行うのかまだはっきりとは
決めきれずにいた。
けれど、移植に関しての話をする事は
予め決まっていたので、話を聞くために
旦那さんは昨日から泊まりできてくれてた。
心臓移植の適応評価のための各種検査は
同時進行で進めていてた。
今日の午前中は精神的評価をするために
精神科ドクターからのヒアリング。
私の小さな頃から今までの事を中心に
聞かれたことを答えた。
午後からは社会的側面の評価をするために
レシピエント移植コーディネーターと
ソーシャルワーカーからのヒアリング。
旦那さんと私、そして午後から来た兄の
3人で臨んだ。
まずは移植についての詳しい説明を聞いた
⇩
・心臓移植とは
・心臓移植の適応について
・心臓移植の方法について
・心臓移植後の治療について
・ドナーについて
・植込型左心補助人工心臓装着後の生活
・心臓移植にかかる費用について
など……
その中で特に重要視されたのは
①生活面
②金銭面
③退院後の待機場所
について
①生活面について
・植込型左心補助人工心臓を入れ自宅待機する場合、24時間介助者と共にアラームの聞こえる範囲で生活をしなければならない。
・補助人工心臓は生命維持装置で緊急時に対応(命に関わるため)する必要があるため、介助者は家族・親族になってもらう必要がある。
・介助者が疲弊しないように1名以上複数の方になってもらっていた方がよい。
・介助者の年齢は20歳以上80歳未満
(病院によって違います)であること。
・介助者になる人は補助人工心臓の講義を
受け、筆記・実技テストに合格すること。
説明の中で介助者を決めるにあたり、
私の家族構成を詳しく話してその中で
誰が介助者をすることができるのか、
どの時間に誰が一緒にいることができるのか…などを詳しく聞かれた。
そしてシュミレーションを兼ねて旦那さんが
介助者シフトを作って提出する事になった。
これは移植待機者の家族構成や背景によって
様々なパターンが考えられるための
聞き取りと確認
私の場合は両親はいないため
メインの介助者は旦那さんと兄が
なってくれることになった。
②金銭面について
・日本臓器移植ネットワーク登録費について
・移植前の費用(医療費など)について
・移植手術・心臓摘出にかかる費用について
・摘出チーム旅費について
・コーディネイト経費について
・臓器搬送費について
・クロスマッチ用血液搬送費について
・移植後の費用について
保険適用のものと適応外のものがあり、
適応外のものでいくら必要になるのか
大まかな目安を説明してくれた。
臓器運搬費については国内のどこでドナーが
出て、どの病院で移植を行うのかで
かなり違ってくるとのこと。
搬送方法は緊急車両・航空機・ヘリコプター
などがあり、航空機の場合数百万かかることもあり、沖縄や北海道などの遠方からだと500万円以上かかる場合もあるとのこと。
(チャーター機で700万円かかった例もある)
臓器搬送費については移植後に現金で払う
必要があるため、
家族の年収や貯蓄額を赤裸々に話し
足りない場合、これからどのようにして
移植費用を貯めていくのか…
などの踏み込んだ話も行った。
臓器搬送費は各自治体によって還ってくる
ことがほとんどだが、かかった金額の何割
返還されるのかは自治体により異なるため、
移植までに費用を貯蓄していかなければ
ならない事実。
③退院後の待機場所について
自宅へ帰る場合、
植込型左心補助人工心臓実施認定施設から
緊急車両で2時間以内に居住すること。
私の自宅は入院している大阪の病院から
車で4時間程かかってしまうような
遠い場所だった。
そのため退院後は
・最低半年は大阪の病院近くにアパートなど
を借りて暮らす。
・地元に補助人工心臓管理病院がある場合
退院後半年経ち落ち着いていたら
移植までの間、地元の病院で管理してもらう
移植前になったら大阪の病院近くに戻り
暮らしながら移植待機をする。
・管理病院がない場合
退院してから移植が終わり
落ち着くまでの間ずっと大阪に移住する
幸い自宅から2時間以内の場所に管理病院は
あるものの、退院してから半年は大阪に
住まなければならないということ。
補助人工心臓を入れて介助者が必要になる
ためそこが引っ掛かって進まなかった

私のメイン介助者は旦那さんと兄。
子供を残して旦那さんが大阪にくるわけにも
いかず、兄も仕事や家庭があるために
その選択はかなり厳しかった…
退院後の半年と移植前後に大阪に住むため
子供を転校させるのも厳しい…
しかも持ち家…

待機場所については色々と障害がありすぎて
はっきりした答えは見つからないまま
2時間のヒアリングは終了した。
その後も旦那さんと兄と色んなパターンを
想定して話をした。
どちらになるにせよ兄は
『全力で協力するから介助者の事も大丈夫!
みかんは良くなることを考えて気にするな』
と言ってくれた

昔からそうだった。
高校時代も建築の勉強をして大工になって
家庭を支えてくれたり、
身体が弱かった母を助けてくれていた。
とっても優しくて頼りになるお兄ちゃん

旦那さんも昨日のやり取りはあったけれど、
何だかんだで高校から20年以上
連れ添ってきた夫婦の絆

『どうなろうと生きていて欲しいから
俺も頑張る!』と言ってくれた

本当に本当に私は幸せものだなと思った。
こんなに大切に思ってくれて必要とされている
それに応えなきゃいけないな

このまま移植に向けて話が進んでいくのかも…
と思っていたところでまた新たな問題が
降りかかる事になるのでした
