2020年の闘病記をもとに綴っています


ポンプ交換が終わり一安心した翌日
2/15
旦那さんと兄が来てくれた。
また色々と買ってきてもらった。
飲み物類やジャム、ふりかけ、テレビカード
入院してから沢山お金を使わせてしまってる
大阪にくるだけでも馬鹿にならないのに
本当に感謝しかなかった

離脱テストでいい結果が出るといいな。
心からそう思っていた
この日は熱も落ち着いていたから
ベット挙上し2時間以上
他愛もない話をした

そんな何気ない時間が嬉しかった

この頃、血栓問題で夜しっかりと
眠ることができない日々が続いていた。
体外式VADのせいで
ほぼ仰向けのみの睡眠。
個室だけどドアは開けっ放しのため、
聞こえてくる大きなモニター音や作業音
仕方のないことだから
我慢して過ごしていたんだけど…
その夜は夜勤専門のベテラン看護師さん。
何気ない会話の中から
私の気持ちをくみ取ってくれて
ドアストッパーを持ってきてくれた

ドアを閉めても数cm開いているから
アラーム音は聞こえるようにしてくれたり、
消灯時にさりげなくベッド横モニター位置を
ずらして光が気にならないようにしてくれた
その夜は入院してから最長記録
6時間・2時間・1時間半
も寝れた

目覚めすっきり

ホントにありがたい。
患者さんの気持ちに寄り添えるって素敵

その日は高熱も出なくて
離脱テスト前日は
穏やかに過ごすことができた。
2/17
離脱テスト当日
運命の日!
そんな気持ちで臨んだ離脱テスト
11時頃心カテ室に到着
循環器内科の担当医S先生がカテを行う。
主治医のK先生はその様子を見守る。
その他にも数名のドクターがいた
心筋炎が落ち着いているか確かめるために
まずは心筋生検

3ヶ所から取って終了
そして次は離脱テスト
体外式VADの回転数を段階的に下げる。
その状態で心臓内圧やポンプ機能など、
様々な評価を行う。
何ヵ所かで息を止めたり吐いたりしながら
測定していく。
S先生は
『みかんさん、順調ですからねー』
『動きなかなかいいですよー』
と話してくれながら進めていく
動きがいいなら離脱できるかも

最初はそう思って期待してた。
回転数を徐々に下げていき、
最後はギリギリまで下げたところでの評価。
やや遠くで先生達の声が時々聞こえる。
なんだか悩んでる?
難しい?
声のトーンがよろしくないなぁ

そうこうしてるうちに離脱テスト終了。
部屋に戻ってすぐにS先生がやってきて
離脱テストの結果を教えてくれた。
・思ったよりも心臓が動いてくれていない
・体外式外せないことはない
・でも、もし外してたとしても弱った心臓で
この先どれだけ耐えられるのかは何とも
言えない
・K先生も僕も今後の事を考えると
移植の方向でいった方がいいと考えている
・他の先生方の意見も離脱よりも
移植の方向でっていう意見ばかり
午後から旦那さんがくるため、
その際説明してくれる
との事だった。
現実を突きつけられた感じ。
落ち着いて冷静には聞いていたけれど、
心ここにあらずだった。
離脱できると思ってた…
毎日のエコーで心機能が少しずつ上がる度に
期待が増していたけれど、現実は外せるまで
回復できていなかった。
先生の意見も分かる
外したとして、弱った心臓でこの先どこまで
持ちこたえられるのかは誰にも分からない。
感染症に罹ったり、子育てしながらの
仕事復帰で心負担がかかってしまうと
心不全の繰り返しになってしまう。
どんどん弱っていく心臓→最終的に移植
頭では分かっているけれど
自分の中で納得ができなかった。
私の心は悪あがきをしていたんだ…