2020年の闘病記をもとに綴っています


2/3(月)
この日ドレーンを2本抜管してもらい
1本だけになったけれど…
またまた麻酔なしでのホッチキス。
痛かったけど抜ける喜びの方が強かった。
少しずつ身体も動くようになっていて
リハビリでの端坐時間も
5分→10分→15分と伸びていた

リハビリ担当の理学療法士Kさん。
ICUの時から転院するまで
ながーくお世話になることになります

呼吸苦もほとんどなくなっていて、
酸素量も少しずつ減量。
あんなに変だった胸郭の違和感も、
呼吸に合わせて動いているなって感じ

午前中の心エコーでEFが30%程まで
回復していることが判明

毎朝8時頃にエコーしに来てくれてる人が、
ずっと検査技士さんだと思ってた私………
いつもおんなじ男の人でICU専属で
いるんだろうか……なんて思っていた。
ふと、ネームを見ると
『医師』の文字

うそ~ん!?ドクターだったなんて…
どーりでやけに詳しいこと言って
突っ込んで聞いてくるし、
外科のドクターと対等に話してるなぁと。
ドクターに見えない雰囲気
(ほんとーにすみません
)だったから


重症心不全・移植科のドクター達は連携してICUにいる時からチームで診てくれていた。
そんな仕組みなんだな~!と
初めて知ったのでした。
そしてそのドクターが循環器内科の
担当医S先生



もう1人来てくれていたのは循環器内科の
主治医K先生



2人の先生は私と地元が近いこともあって、
遠い大阪の地でも不安にならないようにと
色々配慮してくれたんだ

2/4(火)
この日の検査で右肺に胸水が
貯留していることが判明。
利尿剤でフロセミド&スピロノラクトン
を飲んでいたけど、サムスカも追加された。
このおかげで沢山飲んでも口が渇く渇く

飲み物を飲みまくってた

胸水だけじゃなく足もパンパンで

利尿剤で浮腫分の体重が減ったはずなのに、
この時まだ入院前より6kgも多かった

この日は兄が面会に来てくれる日。
ちょうど私がリハビリで端坐していた時に
やってきてパシャリ



写真見たら分かるように……
足は浮腫んでる

お腹の辺りから出ているのが体外式LVAD
そしてドレーン
点滴や酸素などのルート類
端坐しながら面会時間いっぱいの30分
座って話をした

な~んて喜んだのも束の間、
その後ポータブルトイレにかかったりと、
なんだかんだで1時間近く起きていたら
あまりの体力消耗に昼からぐったり

午後からもな~んにもやる気でなくて
ひたすら寝て体力の回復に努めた
・・けど夕方になっても駄目で

昼食も夕食も全く食べられなかった

たった1時間起きて座っただけなのに
これだけの事がこんなにも大変だなんて

外科のT先生と共に診てくれているt先生
(同じイニシャルなので小文字で)
の許可をもらって兄にゼリーとヨーグルトを
買ってきてもらった。
19時~の面会の時も食べられず
一旦冷蔵庫へ……
飲み物も買ってきてもらってパンパン↓
お茶類は入らなかったので
床頭台の上にずら~っと並べてもらった。
話していても私があまりにぐったりなのと、
思うように身体を動かせないために
全身が凝りかたまっていたところを
兄が肩や腕をマッサージしてくれた

面会時間が大幅に過ぎていたけれど、
遠方からということを配慮してくれたのか、
しばらくは看護師さんも来なかった。
『声がかかるまではマッサージしてあげる』とやさしいお兄ちゃん

20時を過ぎた頃
『そろそろ面会は…………』
となって慌ただしく帰っていった



こんな妹のために
色々してくれて本当にありがたい



幼い頃から母子家庭で、
母は18年前に他界している。
2人だけの兄妹
それぞれ家庭はあるけれど、
こんな歳になって兄と沢山話したり、
わがまま言ってみたり

マッサージしてもらってる時、
『みかんが助かったのもきっとお母さんが
助けてくれただな!まだこっちにくるのは
早いって言ってるだよ』
なんて言ってた。
でも本当そう思う。ここまでこれたのは、
沢山の人が繋いでくれたから!
運もあったけれど、みんなの想いが重なって今があると思ってる。
もちろん生きたい

って、強く願うことも大切

VAD離脱して心配かけたみんなに
お礼をしたい!
って思いながら過ごしてたICUでの生活。
心機能がもっと改善して
きっと離脱できると信じていた頃でした。