2020年の闘病記をもとに綴っています


2/1(土)
17時頃から開始された緊急手術が
無事に終了し覚醒したのは0時頃。
2月1日になってた。
また挿管されたまま意識の確認され
すぐに抜管してくれると思いきや、、
夜勤ドクター
『もう30分ぐらい様子見て良さそうなら
抜くから』
と言っているのが聞こえる…
(え?早く抜いてよ~~)
挿管されて意識あると異物感ハンパなくて、
何度もむせ込むような、咳をしたい反射が
出てきて辛かった

なんとか30分耐え、
大嫌いな吸引されながらの抜管

ほんの十数秒なのに呼吸が苦しいのって
ホントに辛い。
これでスッキリできる!と思ったのに…
抜管されてからも夜中呼吸が苦しかった。
息を吸っても胸郭が広がらない、
吐いてもへこまない?
高濃度で酸素入れてるんだけどな…
開胸したから動かないのかな?
常に溺れてる感覚

最初の術後はこんなに苦しくなかったから、
こんな風になるとは思わなかった。
前回はRVADが入っていたから、それで呼吸が
補助されていた部分もあるのかも…?
それにしても今回、
痰も全然出せなくて、咳をして
一生懸命出そうとしても創部の激痛…
大嫌いな吸引を1度頼んだけど
結局取れずに苦しい思いをしただけ

その後は自力で出そうと試みるも、、
やっぱり咳をすると激痛で出せず

苦しくて長い夜だった。
なんとか過ごしたけれど、
朝9時になってもそれは続いていて、
T先生にも息苦しさを訴えてNPPVを
してもらった
けれど、結局変わらず…
すぐにNPPVを外してもらった。
もう良くなるのを待つしかない!
なるべく苦しくならないよう、動かず話さず…
ひたすらじーーっとしていた

そんな中、
兄が旦那さんと子ども達を連れて
面会に来てくれた

ICUなので小学2年生だった下の子は
病院に来ても会うことができなかった。
それでも少しでも近くにいたいから!と
大阪までみんなと一緒に来てくれて
待ち合い室で1人待ってくれていた

中学生の上の子も呼吸が苦しい私の姿を
見ても『思ったよりも元気そうだね!』
とベッド周囲の医療機器を
珍しそうに見ていた。
話をしていても、どこか照れ臭そうな
ぎこちない感じがあったけれど、
ひとまず急性期は抜けつつある母を見て
安心できたみたい。
旦那さんもはじめの手術以来だったから、
辛そうな私を心配しつつも嬉しそうだった

私も息苦しかったけれど、
みんなで遠い大阪まで来てくれたから
余計な心配をかけないように
力を振り絞って笑顔で会話した。
本当に嬉しかったし、
頑張らなきゃ!と、心からそう思った。
下の子にも早く会えるように
回復しなきゃ!って

しんどい闘病生活も家族や友人の支えで
軽くなることを実感した、
色んな意味で救われた日でした

2/2(日)
それからも呼吸苦は直ぐにはよくならず
少ーしずつ、良くなってきていた。
酸素も経鼻4㍑になったりと、
昨日よりはずいぶんとマシになっていた

胸郭がへこまない感覚も改善してきていて、
時間経過と共に良くなるんだ!
と思えたら、頑張れた。
ふと、
周りを見たらドレーンが復活していて
また3本…まぁ仕方ない。
昼から食事再開して洗髪してもらったり
念願の洗顔もできて身も心もさっぱり

気分も上がったおかげか、食事も8割程
食べることができた。
この時期辺りから点滴のボリュームが
減ってきて、水分をしっかり摂りなさい!
という指令がでた。
4日に来てくれる事になっていた兄に
飲み物を色々注文しておいた。
トイレ事情………(苦手な方は注意
)

前の病院からバルンカテーテルが入っていて
尿に関しては心配なかったけれど、
排便に関してはずっと出ていなかった。
ご飯を食べられるようになってきてから
なんとなく出したいと感じてて。
この日は朝から出たいのに出ない、、
まだまだルートだらけだったし、
何よりも体外式LVAD入れてるから
ベッド上で差し込み便器を入れて1時間。
頑張ったけどそれでも出ない!
お腹苦しい!!
相談してなんとかポータブルトイレに
座らせてもらうことに。
でも思ったより筋力がかなり落ちてて、
1人で立てず……
ルート類もあるから
3人がかりで座らせてもらった。
まだ息も苦しいなか頑張ること20分、、、
つ・い・にっ
!

約2週間ぶりに出て

記念日にしたいぐらいスッキリした
この日なのでした


