2020年の闘病記を基に綴っています

28日(火)
---術後4日目---
午前中に洗髪をしてもらってさっぱり

入院してからはじめての洗髪

この日ぐらいから意識も
鮮明になってきていた。
昨日から大阪にきていた兄も
午前中に会った時、
「表情良くなってきた!」
と言ってくれた。
心臓外科の担当医
T先生から現状説明があった。
・現在はRVADとLVAD(両心補助人工心臓)で
両心をサポートしているが、
普通の人の1/5(EF10%ぐらい)程度しか
機能していない状態。
・RVADは外す事ができるかもしれないが、
LVADは厳しい状態。
・今後、心機能が改善しないことも見据え、
植込型LVADへ移行できるように
治療と並行して移植申請をするための
適応検査を進めていく。
とのこと。
・局所麻酔で左第2肋間に入っている
送血管を抜去して縫ってある人工血管を
結紮(けっさつ→縛る)する。
・LVADのみになるため一般病棟へ移って
管理し精査を進めていく。
兄と聞いていて説明の最後にT先生が
『今はこうやって話もできているけど、
VADを入れていたら、いつ脳梗塞が起きても
おかしくない状態ですから』
『突然何か起きてもいいように
ご本人さんと沢山お話しておいて下さい。』
と、、
兄はショックを受けているようで、
落ち込んだ顔をしていた。
でもそうなんだろうな…
こんな太い管に血液送って戻して…って、
いつ、どうなるのかなんて、わからない

それでも今はこのお蔭で命を繋いで
心臓を休めることができてる。
心筋炎なら炎症が治まった後に
心機能が回復する可能性もまだあるはず!
そう信じていたし、強い気持ちを
持ち続けなければいけないと思った。
私が弱気でいては駄目だしね!
もともと楽観的というか・・考え過ぎないで
落ち込んだとしてもすぐに浮上できる性格。
入院中、関わってくれた医療スタッフも
前向きで弱音を吐かない患者に見えて
いたみたい

兄は仕事があるため、地元へ帰って行った。
地元から大阪まで新幹線で往復するだけで
2万円近くかかるのに、、
子供達を見て仕事にいかないといけない
旦那さんの代わりに来てくれている。
本当にありがたかったし、
感謝の言葉では足りないぐらい。
退院した今でもお世話になりっぱなしだよ。

この時に兄が先生に頼んでくれた事⇩
・遠方でなかなか来れず私も動けないため
ICUに携帯を持ち込む事。
・麦茶でも口が不味くて飲めないため、
飲めそうな飲み物はOKにしてもらいたい事。
聞いてくれたお蔭で許可された!
そして28日夕方から食事が始まったけれど
ほとんど食べられなかった。
29日(水)
---術後5日目---
この日も食事は食べたい気はあるのに、
ほとんど食べられなかった。
心機能は変わらず。
日に日に元気は出ていたものの、
腹部からLVADの管2本
右鼠径部と左肋骨辺りからRVAD
が入っていたので左足以外は動かせないし
少しの寝返りすらうてなかった

4本の太い管(それぞれの送血管・脱血管)と
足元には両心VADの機械2台
その他の管関係も取れるものがないまま
繋がれていた。
この時期は身体を動かせないことによる痛み
やコリが本当に辛かった

30日(木)
---術後6日目---
朝突然、担当医のT先生がきて
『今からRVADを抜きます!』と

突然すぎてびっくりしたけど、
これで右足も動かせるようになるし
寝返りもうてる



先生の処置は素早かった!
局所麻酔だったけど最中も麻酔が切れた
あとも痛みは全く感じなかった。
この日も大阪に来てくれていた兄と面会
管が抜けすっきりした姿を見て喜んでいた。
緊急入院だったから入院生活に必要なもの
が全然なくて兄に調達を頼んだ。
RVADが抜けたので午後からリハビリ開始
約10日寝たきりの身体は激変していた



管が入っていても起き上がることぐらい
できると思っていたのに、全然出来ない。
ベッドを上げ、少し横向きになり、足をサイドに
下ろそうとしても足が動かない。
なんなんだ!?
私の身体じゃない
!?!?

みたいな…
支えてもらいながら両手で片足ずつ持って下ろし、
体勢を整えて端座。でも…
5分も座っていられなかった。
浮腫で足もパンパン!
重いよぉ〜

でも、ほんの少しだけ前進したね!
起き上がれただけで感動したよ

午後の面会時に調達してきてもらった物↓
ICUにいた頃は麦茶すら濃く感じ、
なぜか牛乳が飲みたい衝動にかられ…
おいしい牛乳にはとても助けられました!
そしてこのまま元気になって回復していく

と思っていた矢先、
トラブルが起きるのでした
