今日は兄の送迎で忙しく、次男はその間に一人でプリント2枚を仕上げていた。つまづいていた繰り上がり、繰り下がりも出来ていた。全部合ってるよ!すごいね!と褒めた。


支援級の先生から「国語の音読、耳で聞いて覚えているんですよね。記憶力がいいですね」と言われて、「そうなんです。でもちゃんと読めてるわけじゃないから、抜けたり文作ったりしてて…きちんと読んでほしいんです」と答えた私。すると先生は「読むのもこれからがんばっていきましょうね。耳で聞いて覚えられるの、すごいことですよ!褒めてあげてください」とおっしゃったのだ。次男の出来ないところばかり目についてしまう自分が恥ずかしかった。


4月の家庭訪問で普通級の先生に「先生の話や授業内容が理解できなくて、ただ座っているだけだなんて、(次男は)つらいだろうなと思って」という話をしたら、「(次男が)わからない、それをつらいと思っているかどうかはわからないけれど、例えそうでも教室の自分の席で座っていることができることは、強いです。(次男の)大事な力です。褒めてあげて下さい」と返答されて、ずっとその意味を考えていた。自己中で視野の狭くなっている私にはよく理解できなかったからだ。

でも最近、それが分かってきたような気がしている。すぐには理解できなくても我慢強く向き合って少しずつ成長しているはず、次男も私も。


今年度も良い先生に恵まれたと思う。先生とは偉大な存在だ。

甲子園の台風の目となっていた島根の大社がベスト8で散った。エースの馬庭くんは今日もよく吠えていた。大社を背負っていた。
2回戦の創始学園との延長を制したときは熱いピッチャーだなと思ったくらいだったけど、一昨日の早稲田実業との一戦で彼の強さに圧倒され魅了されてしまったので、なんか今日も勝つんだろうと思い込んでいたけど、負けてしまった。


地方の公立高校が甲子園で快進撃を続けること。いわゆる強豪私立には全国からそういう子が集まっているため甲子園はプロになるための品評会になっている現実があって、だからそうじゃない、地元の普通の高校生たちが活躍している姿は、純粋に高校野球を楽しませてくれるというか、とにかく応援したくなる。それが本来の甲子園じゃないのかと、野球素人の一般庶民は思う。

選手層の厚い強豪ではないので、強い公立は馬庭くんのような絶対的エース頼みになってしまうのは否めない。馬庭くんの肩は途中登板した時から既に限界だっただろうけど、それでも投げる姿に泣けてしょうがなくて、7回からもう見てられないとか思ったけど、これで最後なんだから、つらくても最後まで見続けた。

大社の準決勝を楽しみにしていたので、それがなくなって急に喪失感。大社ロス。もう神村学園が優勝でいいと思う。


鶴岡東、小松大谷もいい試合を見せてくれた。今年の夏も暑かった。






ドラマなどを見る時、一番共感できる役の視点で見ている。海のはじまりで言うと、私はあかね(水季の母)か津野くん(水季の同僚)に共感できることが多い。二人とも言葉が強めで、夏に厳しいことをがんがん言うタイプ。そこまで言う?と思いながらも2人に一番共感できる自分…と愕然としたりもするが仕方ない。あとは海ちゃんの背中見てるだけでいつも泣いてしまう。幼くして母親を亡くした子を不憫に思って泣いている、母も子も健在な私。
ほとんど共感できないのが夏と弥生のふたり。いい人たちであるのは間違いないけど違うタイプだからか何言っててもあまり響いてこない。無。自分とは全然違うけど、いつもすごく魅力的なのが水季。亡くなった人は美化されるというけれど。(古川琴音の演技が私は好きなので。そういえばかすみちゃんと姉妹やってたドラマもよかった。)生きていた頃の彼女が必ずプロローグとモノローグなのがたまらない。

色んな人が色んな風に見ているんだろうなと思って見ている。そんなふうに楽しむドラマは今までなかった。
でも、どんな人でも絶対みんな味方!って思うのは水季の父役、利重さん。朱音の夫で海の祖父。あの大きな優しさに毎週癒される。