みなさまこんにちは

今日も読んでくださってありがとうございます。

おおてるです。

 

子供の通う幼児園では

親の見守る力もついてきます。

必然的に

見守る機会が増えてくるので

そうなります。

 

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例えば

あることについて親だけで話し合いをするから

その係でない親は子供と一緒にお散歩いってきてね~

など。

 

先日もそんなことがあり

十数名のちびっこを連れて

数名の親とお散歩に出かけました。

 

その中には

もちろん

わが子もいるわけで・・・

 

一緒に楽しくお散歩をしました。

 

帰り道、長女が落ちていたアジサイのお花を大切そうに

 

小さい掌に載せていました。

 

わぁきれいなアジサイ!とゆっくり落ちないように

見ながら歩いていたのですが、

 

同じ年の男の子が

「ちょっとちょうだい」とお願いしてきました。

 

長女はいいよと言って

少し分けてあげました。

 

するとその男の子は

「もう少しちょうだい」と言って

長女の歩く前に立ちはだかりました。

 

長女は

「そんなにあげたら私の分がなくなっちゃう!!」

と叫んだのです。

 

その時

ハッとしました。

 

親のエゴですが

 

 

まだあるんだから少しずつ分けてあげたらいいのに。

自分の分がなくなっても、また拾ったらいいじゃない。

わけてあげたらいいのに。

 

思ってしまいました。

 

その時、私も

その男の子と一緒にほかのアジサイの花を

探してあげたらよかったかな。

 

それとも

持ってる分はその男の子に全部あげて

長女と一緒にまたほかのアジサイの花を

探してもよかったかもな。

 

後になって思いましたが、

 

結局その男の子は

長女の大きな叫びにドン引きして

あきらめて行ってしまいました。

 

長女にとってはやっとみつけた宝物のアジサイの花だったんだよね。

その男の子にとっては

(きっとその男の子が長女の立場なら、自分が無くなっても全部分けてあげる子なのです。

だから「全部って言ってない、あと少し」という気持ちでお願いしたんだなと思います。)

たいしたことのないお願いだった。

 

それぞれの思いはいろいろだから

今回は

これでよかったのかなと

思いました。

 

なかなか自分の気持ちを言葉にできない長女が

大切なアジサイの花を守った。

これは大事なものなのだとお友達に伝えられた。

 

その男の子もきっと

自分と感じ方の違うお友達もいるということを学んだだろうと。

思うのです。

 

本当はわたし

「お友達にちょうだいと言われたとき、全部なくなっても

分けてあげられる子でいてほしい。」

とわが子に親のエゴを押し付けようとしていたのだと思います。

 

もう少し大きくなったら分けてあげられる子になると思います。

 

なぜなら、

娘の環境である大人の私。

 

 

きっと普段そういう態度や言動があるのかもなと

思えたからです。

 

だから影響を受けているのかも。

 

私も変わるよ。

 

物質次元と意識次元は苦楽を引き寄せる法則性がさかさま。

 

そのことを理解して行動できるようになると

 

お花を分けてあげることに

どんな意味があるのか。

 

わかるようになると思います。

 

「もの」はわけるとどんどんなくなっていくけれど、

 

「考えや気持ち」は分ければ分けるほど豊かになっていくという世界。

 

物にこだわらず

 

ニッコリ笑顔で「相手の」喜ぶことをする。

 

(そしたら必然的に欲しかったものも手に入る。)

 

人間の豊かさってそんなことじゃないかしらと

 

自分もそうありたいと思うことでした。

 

子供の世界を見ながら

 

私も成長しています。

 

もしよかったら

聞いてみてください。

 

 

大いなる勘違い

 

 

今日も読んでくださってありがとうございます。