「・・・竹原、おまえあいつと同じクラスだったよね?」



帰る支度が済んで店を出るまでの間、いつも出口まで一緒にかえる修二とハル。


暗い作業場を抜けて、質素な裏口のドアを開けると街灯がポツポツと見えてくる。



「あいつ?」

「周防猛!」

「あぁ・・・」



あからさまに嫌そうな顔をする修二。



「あいつにさ、面倒なことになりそうだから連絡できないって言っておいてもらえない?」

「は?!あいつの連絡先・・・その、メアドとか聞いたのか?!」

「いや、聞いたってゆうか一方的に教えられた?・・・あーっ、もしかして竹原、実はあいつの連絡先知らなくてあたしに焼いてる?」



無駄にニコニコしながら聞いてくるハル。



「だぁほ!そんなんじゃねーよ・・」



(猛が連絡先を女に教えるなんて、もしかしてあいつ小泉のこと・・・いやでも・・・)


悶々とした考えの中、ハルは じゃあよろしくね、また明日。と手を振って一人で夜道を歩いていく。


前に修二が、恥ずかしさをこらえて『危ないから送る』と言った時、ハルは頑なに断った。


ハルは修二と帰るよりも一人を選んだのだ。


当然の如く、修二は落ち込んだ。


ただ、ハルは修二だから断ったわけではなかった。








*・・・・・・・・・・・・・・・*









暗い夜道、無表情に歩くハル。



「・・・あたしはつよい・・・あたしは、まけない・・・あたしは、つよい・・・」



一人譫言のように繰り返す。



まるで何かから逃れるように。



「負けたくない、負けたくない、負けたくない、負けたくない・・・」



自我を保つように。



「怖くない、怖くない、怖くない、こわく、ない・・・」




突然、一つの住宅から子供の泣き声と男の怒鳴り声が聞こえてきた。



「・・・!」



ガシャン!と物の壊れる音と、筒抜けの罵声。



目がそらせない。



冷や汗がハルの背を伝う。



「悪いガキは消えてしまえ!」



悪い、子・・・?



[あたしの目の前から消えろ!消えろ!!お前なんて死んでしまえ!]



ドクン



心臓が痛いくらいに跳ね上がる。



聞いてはだめだ!



心の警告だった。


昔受けた傷が発する警告。


ハルはその場から走り出した。



疲れも忘れ、我も忘れて無我夢中に走った。



短くはない帰路を、一心不乱に、まるで見えない何かから逃げるように。



バンッ



家にかけあがる。



靴を脱ぐのも忘れて、電気をつけた。



すぐに明るく照らされる、誰もいない、いるはずがない部屋。



はぁ、と大きく息を付きそのまま座り込む。



体中が震えていた。



狭い六畳のワンルーム。


必要最低限の物だけが揃った部屋。


何人も住むことの出来ないような、シンとした部屋にハルの整わない呼吸だけが聞こえる。



「・・・」





何十分経っただろうか。


やっと落ち着きを取り戻したハルは、自分が土足であることに気づき苦笑する。



訳あって高校に上がってから暮らしている家には、ハル以外の誰も住んでいない。



「あたしは、一人だ」



安心したように呟いた言葉は誰にも届かなかった。
*・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・*




「いらっしゃいませー!」

「おっハルちゃん!今日も元気がいいねー!」

「あ、こんばんわー!いつもありがとうございます!今日もいつものメニューですか?」

「あぁ、生2つに手羽二人前からよろしくー!」

「かしこまりました。少々おまちくださいませ」





ハルはバイトをしている居酒屋に来ていた。


高校が始まってからずっと働いていて、今では常連の客にも顔なじみになっている。


今来た中年の男と、若い部下の二人の客もハルの噂をしているようだ。



「あの子、かわいいっすねー!」

「だろ?この店一番のべっぴんさんだな。でもな、かわいい顔して・・・強いんだぜ!」

「え?強いってこっちですか?」


若い男はシャドーボクシングの構えをしてみせる。



「そーなんだよ!意外だろ?・・・ここだけの話、この店で働いてる竹原って男の子でさえハルちゃんにはかなわないらしいからな」

「・・・ま、まじっすか?」





「・・・人の噂話っすか?」



生二つです、とテーブルに置いたのは竹原だった。



「・・・―あ、竹原くん。・・・その顔ハルちゃんにやられたの?」






*・・・・・・・・・・・*


「あ、竹原来てたん・・・」



ハルがパッと竹原の顔を見た瞬間、表情が止まった。



なぜなら、竹原の左頬全体を覆うような大きい湿布が貼られていたからだ。



「なんだよ。」

「いや・・・もしかしてそれ昼間の時のやつ?」

「そーだよ・・・って、これは・・・ちょっと大げさなだけだかんな!明日から手加減してやろうとか考えてたらぶん殴るぞ?!」

「え・・・あ、はいはい。んなことしませんよー」



ハルはフッと笑い、止まった表情が和らいだ。やはりハルは、修二の顔を気にかけたようだった。


そんなハルの笑顔を見て、修二は自分の顔がみるみる熱くなるのを感じ、照れ隠しに、うるせーばかやろー!と叫んでぎくしゃくと仕事を始めた。


そんな修二をみてまたハルが笑う。


あいつは本当に変な奴だ、と。





ハルと修二はこのバイトを介して知り合った。



そして2ヶ月以上前のこと。


仕事が長引き、帰りが遅くなった日。


ハルが少し早く店を出て、修二が後から出たときのことだった。


直後遠くで細い路地でハルが3人の男に絡まれたのだ。



まずい!と修二が走りかけたとき・・・―



一人の男が吹き飛んできだ。



えっ・・と修二が呆気に取られていると、路地から何かに怯えるような、しかし怒りを露わにした形相のハルが二人の男に殴りかかっていく。



「・・・」



ハルは完全に我を失っていた。



男たちも取り押さえようとするがほとんど歯が立たないようで、そこにはハルが殴る音とうめき声だけが聞こえてくる。



一方的な攻撃だった。



ハルの想定外の強さに、男たちは怯んで逃げ出した。



「・・・!小泉・・・!」



修二が追いつくとハッ、とハルが我に返る。



ハルは泣いていた。



「竹原・・・」

「なっ・・・何泣いてんだよッ!」

「泣いてない何でもない」



ハルはくるりと背を向けると、何事もなかったように歩きだした。



「おっ・・・おまえ強いんだな!」



ピタリとハルの足が止まる。




「明日っ俺と勝負しろ!」

「・・・?」



ハルは何を言っているんだと言う顔で修二を見た。

修二自身も、勢いで言ったことに混乱しているようだ。



「・・・」



ハルは修二を一別すると、すたすたと歩いて行ってしまった。



「な、何言ってんだよ俺は・・・」



はぁ、とため息を付いて帰路を歩いた。





*・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・*






「?!」

ガタッ


修二は席から落ちそうになった。



翌日、ハルは修二のクラスに来ていた。



「?おまえ昨日勝負しろとか言ってなかった?」



修二とハルが学校で話すのは初めてだ。


大きな瞳でキョトンと修二を見るハル。



「おっ男に二言はねぇ!!」



いつの時代だよ、とハルが笑う。


ドキッ―


それから、修二はハルの笑顔に惹かれ、それゆえに"勝負"から引くに引けなくなったのだった。
「小泉さん」



ハルが声に気付いて振り返ると、クラスの女子が4人立っていた。


ハルとは普段あまり関わりのない4人。


そんな関係の人たちがいきなり話しかけてくるのだから、何を言われるか大体の想像はつく。



「美香ちゃんたち・・・どうしたの?」

「あのさぁ、

・・・あんま周防くんに近づかないでくれない?」

「・・・はぁ」



内心、どうでもよかった。


ハルが美香と呼んだ女は、少し高飛車なイメージがある。


ハルはそんな美香と、好んで友好関係を築くつもりはなかったし、これからもないと思っていた。



「なんで?」

「あたしが好きだからだよ!」

「ふーん・・・そなんだ」

「だから、ね?協力してくんない?」



ハルは何を言っているのかわからない、という顔で美香を見た。



「なんで?好きなら自分で連絡先くらい聞けばいいんじゃないの?」



美香の返事が返ってくるまでにちょっと間が空く。


どうやら図星だったようだ。



「・・・うるさいなー!周防くんに女友達がいると邪魔なんだよ!だから関わんなっつってんの!」



つまりは、連絡先も聞けないか、聞いても教えてもらえないか。


定かではないが、美香は猛をよほど自分のモノにしたいんだろう。


そうこうしているうちに、午後の授業開始のチャイムが鳴った。



「・・・いい?周防くんに関わろうとするなら、あんただけじゃなくあんたの友達の早紀にも何するかわからないからね」



美香は勝ち誇ったように笑うと、教室に入っていった。


早紀とは、よくハルにちょっかいを出してくる、ハルがクラスで一番仲のいい子だ。



「・・・」



自分ならシカトされようが陰湿ないじめを受けようが放っておけばよいことだ。


しかし、早紀が関わるとなれば話は別になる。


中学の時にハルが早紀の学校へと転校してきた。


その時からずっと、ハルが一人になると決まってちょっかいを出しにくる。早紀は優しくて楽しい奴だ。


そう思っているから、ハルも闇雲に断るわけにはいかない。


今日初めて会った見ず知らずの男子より、早紀の方が大切だ。


「小泉ー!授業はじめっぞー!早く教室に入れ!」


教科担当の声で我に返り、促されて教室に入る。




答えは決まっていた。


美香の思い通りにことが進むのは少々癪に触るが、こればかりは仕方ない。



(周防・・・ごめんね)



席について携帯を取り出すと、アドレス帳から新しく入ったばかりの"周防猛"の名前を消した。