母方の実家は気候の温暖な片田舎にあった。
中学まで、夏休みのほとんどをその祖母の家ですごした。
隣の家のブロック塀に沿って細長い花壇があり、
夏になると決まって祖母がその花壇にレイシを植えた。
どんな肥料を施していたかは思い出せないが、
大きな水がめに汲み置いた水を朝晩たっぷり与えて
いたのはよく覚えている。
炎天下でも青々と育ったレイシは見事なグリーンカーテン
になり、表面がでこぼこの大きな胡瓜のような、
小さなヘチマのような実がびっしりと鈴なりに成った。
ある日私は祖母に言った。
「食べ物みたいだね。」
「あら、レイシは食べられるわよ。
ニガウリっていってね。
好きで食べる人多いのよ。」
そういえば訪ねてきた知り合いに摘み取ったレイシの実を
数本包んでわたすのを何度か見たことがある。
渡された人たちは嬉しそうだった。
だが、私は違和感を覚えた。昔の人は食べ物を大切にする。
なぜこんなにある食材を収穫して食べないのだろう?
それを祖母に問うと、祖母は声をひそめて大切な秘密を
打ち明けるように私の耳元で言った。
「ニガウリってね…
…苦いのよ。」
数年前、沖縄のわしたポーク缶を手に入れて、缶に書いて
あったレシピを見ながらゴーヤーチャンプルーを作ってみた。
そしてとっくに天国に引っ越している祖母に声をひそめて
語りかけた。
「ほんとだね、ばあちゃん。マジ苦いわ、ニガウリ」
ゴーヤー、食べたことある?
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