ご訪問ありがとうございます。
今日は、ゼロ意識共鳴個人セッションの御感想を
掲載させていただきます。
H様のご感想です。
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蓮さま 昨日はありがとうございました。 共鳴はすごいエネルギーをもらっていると最近感じます。 意識共鳴もパワーを感じました。(木曜日の合同共鳴) 始まってすぐに脳の上の方に力が集中してくる、 力が集中して脳圧が上がっているという感じでした。 念仏を1,2時間唱えた後のモードと同じようでした。 ですが、昨日の共鳴(個人セッション)のほうがパワフルでした。 静かで動じない、安定という感じでした。 パワーをもらい、セッションが終わってから、 ずーと言葉にうまくできなかったことができそうに思いました。 井上老師という和尚さんは、若いころ見性されてから説法をあちこちでされていたそ うです。 そんな状態でしばらくいてから、ある時遠くの祭り小屋を見た時、すべてが無くなっ た、 大悟したというはなしを聞いたか、読んだことがあります。 本人はわかったつもりでも、まだ実は終わっていなかったそうです。 総持寺をひらいた瑩山禅師という方が修行している時、 お師匠さんから平常心の真意を問われ 「黒漆の崑崙 夜裏に走る」と答えましたが、 許されず、しばらくして 「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯に喫す」 と答えて許されたそうです。 真っ黒な崑崙産の玉、宝石が、暗闇を転がっていく、 同化した様子、平等、ワンネス、ものと一つになりました、 では許されず、 お茶の時はお茶に徹する、地獄もまた風流と 平等の一面のみならず、差別の相に徹底することが出来て、 はじめてゆるされたそうです。 心の中のことは本人ですらわかりにくいものです。 もともと、真偽、成・不成、など無い世界ですが、 許す、許さないの見極めは、誤ったことが伝わることにも繋がりますので やはり必要なこととも思います。 私の中で、自分を点検する作業をどうしてもしてしまいます。 そうした時、あの震災のような状況で本当に風流を感じられるのか イエスが出せるか、と思います。 なってみないとわからないと思います。 それでいいとも思っています。その視点は邪魔にせず、 そのままにしておこうと思います。 いつか何らかの形で答えがくるように思います。 世界は全部わたしの心が造っている。 そう思っていましたが、先日さらに強くそう思いました。 特に何か出来事が有ってそう思ったのではなく、思いが湧いてきました。 今の私の状況は、私の心の現れたもの。 私の心が変わると、状況がかわる。 南無阿弥陀仏でもありがとうでも何でも唱えつづけていると 色々な考え、観念、こころのおしゃべりが入り込む余地がなくなり 心の本体が直に現れてくる、感じられてくる、そんな気がしています。 何かを唱えて唱えて唱え続けると、 すごいことになるという大きな確信があります。 もっともっと見えてくる、そんな予感がすごくします。 身体のワークとお経に身体全身でなるワークとともに 続けたいと思っています。 どうもありがとうございました。 H 拝 ************************