今更ですが
私のうつ病について
私が再認識する為にも
書いてみようかと思い立ったのですが、

テーマを探すと「病院」しかない…


記憶を探ると
ブログでコスメの事とかを書いていると
サンプル紹介のオファーとかがあって
うつ病の事を書いてると良くないんじゃないかと
うつ病のテーマは恐らくあったはずなのですが
消したんでしょうね。

もしくは病院というテーマに変えたのか。

それも
美容の事を書き出したのは
勿論私が美容が好きだった事もあるし
大阪にいた時の主治医に
私の美容好きを知って
美容の事で仕事をしてみては?
と言われたことも大きいし、
私自身も、
ブログか流行り出した当初からブログをしているので
美容ブロガーみたいになりたいという思いもありました。

ブログ開設当初の思いとは
だいぶ方向性が違っています。

新たなブログを開設することは
思いつかなかったのか
アメブロでアカウントを2つ物ってその当時できなかったのかなんなのかは
記憶にはないけれど
そんな事は思いつきもしなかったのかも…

うつ病な私は
大好きな美容ですら
予約通りにいけなかったり
していました。

外出も
うつ病が酷い時は
人混みは酸素が薄く感じて
頭がふわふわして冷や汗が出ました。

大好きなはずの心斎橋のあの人混み
辛かった。

でも
ブログではいたって楽しそうにしているように
してたくて
楽しそうな事書いてますよね。

過去見返すと。

楽しいわけもなくっていうと今までの人生否定することになるので
勿論楽しい日もありました。

休職中は、
優しい友が心配して気を使って
飲みに誘ってくれたら
気合い(出かけるまでに相当気合い入りました)で出かけて、
出かけてしまえば
それは楽しくて
心底楽しくて
なんでも話せて私の弱さも知ってくれている人と心置きなく笑っていられる時間が唯一楽しかった。

いや、楽しさに逃げていたともいうのかな?

そうでもしていないと
孤独に押し潰されそうだった。



このブログは
リアルに知っている人にも伝えていました。

母の事を知って欲しかったり
うつ病を知って欲しかったり
私の思いを知って欲しかったり色々な思いから。


でも…
それは裏目に出ました。

私が
あまりにネガティブなことばかり書いてるこのブログが嫌になって
楽しいことばかり書いてた時もあります。

それをみて
「仕事を休んで(休職して)遊んでる」
って言われていた事がとてもショックでした。

私にとって
何もかも失ったあの時
遊ぶのも実は気合いがないと出かけられなかったあの時、
心の知れた友人達と飲みに行くのが唯一の楽しみであり、
心の拠り所でありました。

それ以外は廃人のようでした。

朝になれば
涙が止まらなくて過呼吸を起こしたり
それが治っても
1人になれば
どうやって死のうか?
と死ぬ方法をひたすら考えたり、
私の心の傷は
深く深くえぐられていて
何かに依存しなければ生きて行けなかった。

そんな私をそんなうつ病を理解される事は
ほとんどなくて
平気なフリをしていた事もあります。

そんないつかは誰もが通る
親の死を何年引きずるのかと
思われるかもしれませんが
私も分かりません。

こんなに引きずって
これは親の死に依存して
自分を甘やかしているのではないかと思う事もあります。

今はそうかもしれない。

でも少なくとも親が亡くなって
あの時いた会社を辞めるまでは
うつ病は深かった。

そんな事逐一
主治医以外に報告するわけでもないし
ここに書いていた訳でもなく…

「遊んでる」
と思われても仕方ないのですが
私はもがき苦しんでいました。

未だにもがき苦しんでるのかもしれません。

とりあえず①はここまで…