小林麻央さん
亡くなられて
私は都合のいいことに忘れ去っていた
母の闘病生活を
今沢山思い出すのです。

手に取るように鮮やかに思い出します。

あの日交わした言葉
痩せた母
痛み苦しむ母
せん妄になる母
泣く母
沢山思い出すのです。

小林麻央さんは
ブログでは気丈に前向きな言葉を書かれていましたが、
本当は痛みや苦しみや悔しさや悲しさ
沢山の葛藤の中過ごされていたはずです。

自分が直面した事を
思い出したくなくて
私は
小林麻央さんのブログを読むことを避けてきました。

頑張れなんて他人事過ぎて思えないし、
可哀想だなんて上から目線でとてもおもえないし、
辛いよねって同情なんて失礼だし、
母もこうだったって思うことは
案に先は暗いんだよって思ってるみたいだし、
何を思ったところで全て所詮他人事で、
無責任な感情にしか思えなくて
読めなかったのです。

簡単にそんな気持ちになるのが
失礼すぎて
読めなかった。

でも今は
子供さんのことや
海老蔵さんのこと
嫌でもニュースで知る。

悲しみの底にいる海老蔵さんの言葉を聞くと
麻央さんが頑張った証が知りたくなった。

そしたら
母のことを沢山思い出した。

母は一生懸命生きた。
麻央さんも精一杯人一倍生きた。

私は
母が亡くなった時
私が代わりに死ねばよかったのにと思った。
生きてるのが死ぬほど辛かった。
後悔に押しつぶされて
生きてるのが辛すぎた。

そしてうつ病になった。

人は言った。

あなたが幸せそうにしてる方が
お母さんも喜ぶよと。

あの時の私にはその意味が全く理解できなかった。

幸せそうにするなんてできないし、
喜ぶなんて思えなかった。

あれもこれもさせてあげたいことが多すぎて
私が幸せになるなんて選択肢なかった。

私は
主治医の判断もあって
在宅治療は選ばなかった。

でもきっと母は
家で最後を迎えたかっただろうな。

今思い出しても
後悔しかない。

残されたわずかな時間で
できることも沢山あっただろうに、
私は何もしてやれなかった。

お葬式の日、
火葬場で
なんて酷いことをするのかとまた泣けた。

母はしばらくずっと私のそばにいて
何かするごとに口出ししてきた。

いつかそれが聞こえなくなった。

早朝の
号泣と過呼吸が始まった。

悲しくて悲しくてたまらなかった。

そこにはやっぱり後悔しかなかった。

でも海老蔵さんにはそうなってほしくないな。

お子さんのために
前を向いて明るい未来を生きて欲しい。

アイス食べたいと言ったのに
食べさせてあげれなかった。

そんなことを思い出した。

他の人から見れば大したことないかもしれないけど、
亡くなる前に唯一食べたくなったものを
食べさせてあげれなかった。

書き出すとキリがない。

今は
とりあえず生きなきゃいけないから
仕事しなきゃいけないから
前を向いて必死で生きるのです。

悲しい過去は
見えないふりしてるのです。

そんな事が出来るようになったのです。