ここ最近

救命病棟24時の再放送してます。


東京都に震度7の大地震がおきたという設定の。




見ならが思いだしたこと。


亡くなる直前の母の涙。


意識もなく、呼吸も不安定だった中

流した涙に

どんな思いが込められてたのかなって

ふと思いました。


死ぬのが怖かったでしょう。

もっと生きたかったでしょう。

私に言いたいこと沢山あったでしょう。

したかったことまだいっぱいあったでしょう。



ドラマの中で

末期がんの患者さんが言います。


「人って欲張りだな。

昨日は死ぬのは怖くないと言ってたのに

息子が仕事を頑張ってるのを見たら

3ヶ月もなくていい、たった後1ヶ月でいいから

一緒に働きたいと思う・・・」



最後の最後まで弱音を吐かなかった母でしたが、

きっと、

死がたまらなく怖かったでしょう。


でも私の為に

必死で弱音を吐かなかった。


一言も吐かなかった。


全部母の愛です。


私なら

死が怖くてたまらなくて

泣き叫んでたと思います。


人はいつか必ず死を迎えます。


でも・・・・・


できることなら

ご長寿だってお祝いされるぐらい

生きたい。


私は、今生きてるのが辛いと思う事が

多々あります。


でも、

母の闘病生活の中での

不安や恐怖には比べ物にならない。


どうしてあんな気丈な人だったんだろう?


足の骨にも癌が転移して

骨がとけてしまって

担当医から「もう歩ける事はない」と言われたあと、

泣いて怒ったそうでう。


担当医の先生は

変な期待を持たせてはいけない、

事実を伝えなければと

苦渋の決断で伝えたと思います。



でも最後の最後まで

一生懸命生きる事を諦めてなかった母は

それを受け止めなかった。


一日一日、一瞬一瞬を

一生懸命最後まで生きようとしていた母を

心から尊敬しています。


でも、私は

母に何も答える事ができませんでした。


生きたい、死ぬかもしれないという葛藤の中で

私に言い残したかったこと

沢山あったでしょう。


でも、遺言を聞くことで

母の死が近い事を認めるようで

それができなかった。


言おうとしても、

大丈夫だからって言い続けた。


もっと母の言葉に耳を傾けてあげればよかった。


主治医の先生は

母にも私にも

はっきりとした余命宣告はされませんでした。


多分

母が一生懸命生きようとしてたから。


担当医の先生は

ドクターになって確か5年目、

私と2歳ぐらいしか変わらず、

母を目の前にきっと

彼も葛藤していたと思います。


毎日のように

転院の話を死に来ていた事も

彼なりに辛い仕事だったんだと思います。


末期がん患者の居場所は

あまりありません。

でもそれが今の現状。


死の恐怖に

更に追い討ちをかけるように

転院の話。



皆が葛藤していた。


死と向き合う事は

患者も、患者家族も、ドクターも

精神的に想像を絶するものです。


生きてるのが辛いなんて言ってる自分が

甘いなって思いました。


生きたくても生きれなかった人が沢山いる。


その人の分まで、

この世で目一杯生きるのが

恩返しであり、

生きてるのが辛いのであれば、

それに耐えることこそが、

亡くなった母への償いなのかもしれません。


この世に生まれることには意味がある。


生きるのが辛くなったら

今、死と向き合ってる人を思い

踏ん張って生きよう。


生きてたら辛い事もあるけど

楽しい事もあるから。