先ほど、あるブログを書いてらっしゃる方の奥様が亡くなられたということを知り、
母が亡くなった日の事を思い出し、涙してしまいました。
ずっとその方は奥様を支え続けられていました。
本当にお疲れ様でした。
私は、母が亡くなってから、一日足りと母の事を思わない日は無いし、
今まで思い出さなかったような、私が小さかった時の事や、些細な事を断片的に思い出しますが、
少しずつ入院してた一日一日の記憶が薄れていっています。
でも忘れてしまう前に、ここに残しておきたい。
亡くなった日の朝6時前、担当の先生が来るまでもう少し頑張ってと思って手を握り、頑張ってと言葉をかけ続けた。
私を置いていかないでって言った。
でも、そんな言葉とは裏腹に、「今まで幸せだった?本当ごめんね。」って死を覚悟する言葉もかけてた。
「ごめんね」って何度言ったか分らないぐらい言った。
最後の最後に言えなかったこと全部言った。
意識がなくても聴覚は残るって本で読んでたし、看護師さんにも言われたから。
「私はお母さんの事、世界で一番誰より愛してるよ」って亡くなる間際にはじめて言えた。
意識のないはずの母の眼から涙が何度かこぼれた。
熱が43度まで上がってしまって、呼吸が時々途切れるたびに気が気じゃなかった。
私自身激しい胃の痛みの波があり、隣のベッドで横になりながらも、呼吸が途切れると不安で起きて
母の手を握った。
ずっと握っていた手が、指先から急に冷たくなりだした。
嫌な予感がした。
そのあと、呼吸が弱くなり、とうとう呼吸をしなくなった。
ナースコールをした。
看護師の方が来て、もう呼吸が止まってる。先生を呼ぶので待ってくださいと言われた。
待っている間、再度看護師の方に、脈ももうないと言われた。
覚悟はしてた。
けど、どこかでまた普通に今日も朝が来るんだって思ってた。
けど、母は朝日がの昇るのを待たずに亡くなった。
母の言葉を思い出していた。
「あんたの手は温かくて病人に優しいね」って。
だから最後の最後まで手を握り続けた。
脈がないって言われてからも、当直の先生が来られてからもずっと手を握ってた。
まだ、私が手を握ってるの分かるよねってそう思ってた。
極力最後までぎりぎりまで手を握ってたかった。
でも、死後硬直がはじまるから、って親戚に言われた。
そのあと、担当医の先生が来られたけど、かける言葉もないといった感じで会釈をして出ていかれた。
看護師の方や、女医さんが、顔に化粧をしてくれてる間、
病院の、朝日が眩しいくらいの病棟の廊下で、ぼ~っと青い快晴の空を見上げてた。
誰とも話したくなかったから、親戚から離れた所に1人でいた。
親戚が軽い笑い話を横でしてた。
しょせん人事なんだなって、思ったけど、腹立ちはしなかった。
人事でうらやましいって思った。私もこの現実が人事でありたかった、そう思った。
昨日までの病棟と、今の病棟、まるで違って見える。
でも、私が泣いてたら、他の患者さんまで不安になるなとか思いながらも、涙は止まらなかった。
入院してからの、色んな事が蘇ってきた。
確か2日前まで意識もしっかりしてて、普通に会話してたのに。一緒に病室でテレビ見てたのに。
病室に戻って、引き出しなどから、母の荷物を整理した。
昨日まで、ここにいたのに。冷蔵庫には母が飲むつもりで買っておいた飲み物がいっぱい残ってた。
母が書いたメモも残ってた。
昨日までここで一緒に過ごしてたのに・・・
そう思うと涙が止まらなかった。
けど、大部屋だったかし、朝早かったから、他の患者さんに心配させてはいけないと思って、静かに整理した。
病室から見える景色、いつもここから母と外を眺めてた。
病棟の廊下、全部昨日までと同じなのに、あの日は朝日がすごく眩しかった。
看護師さんやお世話になった先生方にお礼を言いたかったけど、それどころじゃなかった。
でも、律儀で、周りの人にいつも気を使っていて、私に「迷惑かけてるからお礼言っといてね」っていつも言ってたから
お礼をちゃんと皆さんに言えなかったのが心残りでならなかった。
転院の事など、色々あったけど、きっと母は皆に感謝してるはずだから。
入院後一度も家に帰れず、こんな形で家に帰ることになった。
母の部屋、入院した日のままだった。
家に帰ってからは、うっかり何も考えれなかった私はお通夜をその日にしてしまったため、怒涛のような一日だった。
遺影の写真は?葬儀代は?来訪者は?悲しんでる間なんてなかった。
遺影の写真は、ちょうど2年前に、もし私が亡くなった時の為に綺麗に写真撮ってよって言われてとった写真にした。
笑顔が可愛い写真で良かった。
お通夜の夜は、一晩中起きてないといけないのに、疲れていつの間にかイスに座って寝てた。
母が、「疲れてるのに、寝てていいよ」って言ってくれてるかのように、熟睡してしまってた。
でも生きてても本当に、母はそう言うんだろうな。
翌日告別式の間中涙が止まらなかった。
お坊さんがお経を読んでる間って気がまぎれないから、
やっぱり後悔で、病院での母と交わした言葉や色んな事を思い出し、声が出るほど泣けた。
だれが告別式に来てたかなんて、見れなかった。
火葬場で、昨日まで生きてた人間を焼くなんて、なんてひどい事するんだろうって思うとまた、涙が出てきた。
母の骨は細くて、細くて・・・
こんな体で一生懸命生きてたんだって思った。
あっと言う間に2日すぎた。
一人になると、母の事を思い出して、道のど真ん中でも涙が出てくるから、極力一人にならないようにしてた。
あれからちょうど2か月。
母の事を思い出すと悲しくて、辛くて前に進めなくなる。
人間って都合よくできてるから、思い出さないようにすることだってできる。
思い出さないようにしてたら、今まで通りに過ごしてる。
けど・・・・・
母の事を思い出さずに忘れてしまうなんて私にはできない。
でも悲しい辛いって立ち止まっていられない。
その葛藤でどうしたらいいのか分らなくなることがある。
今日は、母が亡くなった日の朝のようにお天気がいい。
あの日も3月なのに、眩しくて暖かかった。
母は、今もいつもそばにいる気がする。
こうしたら、ああ言われる。こう言ったらこう言われるんだろうなって、即座に思う。
まるで、そこにいるみたいに。
本当私の事愛してくれてたから、今もこうやって毎日過ごしてる私の事きっと心配してるんだろうな・・・
時々本当に亡くなったのかなって思う。
優しくて、周りにいつも気を使っていて、私の事をたくさん愛してくれてて、頭が良くて、気丈で、本当に本当に
大好きだった。
最高の母親だった。
私はあなたの子供に産まれてこられて、本当幸せだなって今そう思う。
ごめんね、今日は泣いていいよね。
明日からは多分もう泣かないから。