私ができなかったこと。

たくさんあります。

ありすぎて、ありすぎて、正直毎日が後悔です。


ある人の前で、母が亡くなった日、


「なぜ母が亡くなったのか、なぜ私じゃなくて母なのか?

私が死ねばよかったのに。」


こう言って号泣しました。

自分勝手だけど、本当『後悔』っていう悪魔にとりつかれたかのように、

苦しくて私は一生この悪魔にとりつかれたままなのかと思うくらい

つらかった。


その後悔のうちの一つ。

それはやはり、母に精神的に楽に最期を迎えさせてあげられなかったこと。


最後まで医療費の事、転院の事ばっかり心配して、

やっと次の病院が見つかったってほっとした矢先に亡くなった。

母が服用していた薬は新薬で、なかなか処方してくれる病院がみつからなかった。


急性期医療の病院は医療費等の事もあって、3か月以上の入院を好まれない。

3か月以上になる場合は、自宅療養もしくは、転院。


いつか転院しなければいけないというのは、私の中でも認識はあった。

でも実際転院先は想像以上に簡単に見つからなくて、ケースワーカーの方と相談しながら、

直接何軒かの病院にも行ったが、薬価が高い薬とのことで、扱ってない病院が多く、

それでなくても、治療方法のない末期がん患者の転院は難しいのに、

さらに条件は厳しかった。


母が一切の治療をあきらめていたら話も変わっていたかもしれませんが、母は諦めてなかったし、

主治医も諦めないように母に話してくれていました。



そして、やっとホスピスのある病院で新薬も扱ってくれるという病院が見つかった。

本当嬉しかった。

ここなら、心穏やかに、ゆっくりとした時間の中で、最後を迎えられるだろうと安堵した。

けれども、病床は少なく、やはりホスピスは入院患者さんが亡くならないと部屋があかないというのが現実。

あいたとしても、有料の部屋だと差額ベッド代等を考えると月額軽く100万になる。

ただ、保険がきくので、実際は一番高い部屋でも60万。


母は、自分の命がもしかしたら数年もつかもしれないと考えていた。

だから、そんな高い医療費を数年も払い続けられないと・・・・・


それでも、入院している病院からは早く転院をと言われ、

母の精神的負担は増大していきました。

私自身も病院には、いさせてもらってるという肩身の狭い思いで、ストレスがたまり、

一番つらいのは母なのに、母に度々あたってしまっていました。


近所の昔からのかかりつけ医の先生に相談したところ、

癌患者さんにとって、転院はとても負担になるので、できればずっといられるホスピスをと言われました。

もし、ホスピス以外の病院に入院できたとしてもまた3ヶ月後には転院が待っている。

それは非常に負担が大きく、幻覚を見たりするんですよと言われました。


実際母も幻覚症状は出ました。

ただ、ホスピス=治療を放棄するイメージが強くなかなか、母も決断するのには勇気がいったようです。

でも、新薬が処方してもらえるならということで、転院を決めました。


それでも、ずっとずっとお世話になった病院や先生のもとを離れるというのは、母にとって不安はたくさんあったと思います。

できればこのまま、この病院にいたいと看護師長さんに話していたそうです。



自宅療養は主治医の反対もあり、選択肢にはありませんでした。

恐らく主治医の先生も、母自身も私1人への負担が大きすぎると考えてたのでしょう。

でも、それが、今となってはこれもまた後悔の一つです。

一度も家に帰らせてあげられなかったから・・・・・


転院とはこんなに難しいものなのかと、本当に思いました。

今の医療はこれが現状です。

自宅療養ができない患者にとって、転院先を探すのにこんなに大変だとは思ってもいなかった。

長期療養型になると、老人病院ばかりでした。

それでも病院には病院の事情、そしてドクターにはドクターの事情があるのだというのもよく分ったしそう思うと、その間で余計につらいものがありました。


私の母の場合新薬の処方できる病院という条件付きでしたので難しいものがありましたが

転院でもし悩んだら、どうしたらいいのか?

まずはケースワーカーや、かかりつけ医、そして、転院先候補の病院に直接相談してみてください。


それと、ホスピスは入りたいと思った時に入れないのが現状です。

ホスピスに入ろうと決意して、部屋があくのを待っている間に亡くなられる患者さんも少なくありません。

早期から、ホスピスに行く決断をするのは難しいかと思いますが、転院の事を考えられたとき、ホスピスも一度考慮されるのもいいかもしれません。