いつまでたっても

この4ヶ月の母との闘病生活は

後悔ばかりです。



ふとした瞬間、母を思い出す


病室のベッドで

痛みから

ほとんど動く事すらできなくなっていた母が

冷蔵庫の中身を取りやすいように入れておいて欲しいと言った



色々言われて不機嫌な私に

「ごめんな」

って言った



「いつも毎日来てくれてありがとう」

って言ってくれた




寝返りが打ちにくくて

帰り

私が「おやすみ、じゃあね」

って言ったら

こっちから覗いて挨拶してって言った




「ここが痛いねん」

って私に言った


先生が見に来てくれたら

例え何も治療しなくても

それで安心しているように見えた




毎日毎日

「早く来てね」

「何時に来れる?」

「今どこ?」

ってメールと電話があった




けど亡くなる3日前から

電話もメールも無かった




どうして、どうしてもっと

早く来て欲しいって言ってるのに

早く行ってあげなかったのか


どうしてもっと話を聞いてあげなかったのか


どうしてもっと死を覚悟した母に遺言を言わせてあげなかったのか




でも最後まで母は諦めてなかった



癌と最後まで戦っていた


亡くなるその瞬間まできっと戦っていた




本当に本当に何も出来なくてごめんね



お母さんの人生は幸せだった?



私みたいな娘でごめんね




ずっと辛い思いばっかりの人生だった??




親孝行できなくてごめんね







転院のことで私もいらいらして

一番辛いのはお母さんあなたなのに

八つ当たりして本当ごめんね




すっごく辛かっただろうね

分かってあげなくて本当ごめんね




夜眠れなかったんだよね

色んなことが心配で不安で眠れなかったんだよね



それに気付いてあげれなくて本当ごめんね



末期だって分かってたけど


私もお母さん自信も


こんなに早くに最後が来るなんて思ってなかったよね






一度危ない状態になった時に

私の手は暖かくて病人に優しい、ほっとするって言ってくれた

あの時笑顔で手を握ってくれた




だから、最後に私は手を握った

亡くなるまで握ってた

無くなってからも握ってた




ごめんそれしかできなかったの



私が先生から今夜が山だと言われて

母の下に戻った時

「何したらいい?何ができるかな?」

って独り言言ったら

意識がほとんどなかったけど

首振ってくれたよね




最後の最後まで私に気を使ってたのかな



誰よりも私をいつも心配して、愛してくれて本当ありがとう



ありがとうって言えたのは

母の意識が無くなってから・・・



それまでちゃんと言った事なかった



最後に私を産んでくれてありがとう

世界で一番大好き、一番愛してるって言った



熱のせいか、母の目から何度か涙が流れたね




本当最後の最後まで何もできなくてごめんね



亡くなる4日前、私にメールくれたよね

電話くださいって


仕事中だったけどびっくりしてすぐに電話した

そしたら

「何もないよ、間違えた」って言ったよね

本当は何か言いたかったんだよね

話したかったんだよね

早く来て欲しかったんだよね


なのに私

何もないのに電話しないでってきつく言ってしまった

本当に本当にごめんね

あの日以降電話もメールも来なくなった

そして亡くなった




私が死ねばよかった

そう思う事もある



それは後悔してるからか?

その後悔の思いが苦しくてそれから逃れたいからか?



もっと生きて欲しかった。


大部屋で一人お正月を迎えようとしていた大晦日の日

「来年は一緒にお正月迎えようね」ってメールした

それに対しての返事は無かった

けど叶わなかったね




幸せだった??

私はあなたの子供に産まれて本当幸せだったよ

そして、最後まで一生懸命病と闘った母の人生を誇りに思っているよ