50歳を過ぎてから死を意識するようになりました。




死を意識すると、生きるということがよりリアルになり、1日1日を大切に、目の前の人を大切にする意識が生まれます。



1日1日を大切に、目の前の人を大切にするなんて当たり前と思うかもしれません。
ですが、それを毎瞬毎瞬、意識している人は少ないのではないでしょうか?




私は執着が少ない方で、この物質界で失いたくないものってあまりないんですよね。
死ぬときは何も持っていけませんし。
物質はあれば便利だけど、何がなくても困らないんです。



驚かれるかもしれませんが実際、布団を持っていません。
冬は断熱材、夏はヨガマットの上で寝ています。
今のところ、不便さはありません。




話を戻します。
人間には肉体を脱ぐという寿命があります。
それは神が決めているのではなく、医師が決めているのでもなく、運が決めているのでもなく、偶然でもなく、自分で決めています。




自分で自分の寿命を決めて生まれてきています。
自ら決めてきた寿命は自分自身に問えば、知ることができます。
もちろん、これは自分の死に対して恐怖がなければですが。




自分の寿命を知りたいと問いかけたことがありました。
でもそのときはまだ恐怖心があって、その数字を自ら歪めてしまいました。
数字を多めに頭に描いてしまったんです。




でも最近、いつ死を迎えても後悔しない状態になったので、また寿命を問いかけることをトライしてみたんです。
そしたら、前回より20年も早かった。




かと言って、焦りも不安もショックもありません。
「寿命まで生き切る」ただそれだけです。





さすがに死因までは分かりませんが、病死は考えづらいなと思っています。
十数年前に甲状腺癌の摘出手術をしまして、そのとき結構辛かったので、「私はもう病気はしない」と設定したんです。
そして毎朝毎晩、身体に感謝を伝えています。
病院にかかるような病気は今のところしていません。




「生きる」ことを1日たりとも無駄にせず、いえ、一瞬たりとも無駄にせず、命を輝かせて生きるならば、
真剣に「死」を意識することが先だと思います。




「死」と真剣に向き合うと、
生きることが尊くて、
「命」が輝きます。












またね。






 Hikari⭐︎